た米ソ両国間の激しい相互不信が、事件の背景にあることだけは確かであろう。
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ここに訳出したゲオルギー・アルバトフの『ソ連の立場』(Georgi Arbatov and Willem Oltmans The Soviet Viewpoint, 1983)は、ソ連の対米不信、特にレーガン政権への強い警戒心の理由や背景を知るうえで、きわめて貴重である。人間関係でも、国家間の関係でも、敵対関係や紛争を解決するには、まずお互いが相手の立場や考え方を正しく理解しなければならない。
本書は米ソ関係を軸とする束西関係だけではなく、ソ連の対中、対日政策はもちろん、人権問題、人類の未来展望に至るさまざまな問題についてソ連の見解を集大成しており、対ソ政策にたずさわる政府関係者やソ連研究者にとってばかりでなく、ソ連の立場を知ろうとする一般読者にとっても、不可欠の文献となることは疑いない。
アルバトフ氏は、一九二三年ウクライナ共和国のヘルソンに生まれ、第二次大戦中はヨーロッバ戦線に従軍、一九四九年モスクワ国際関係大学を卒業、ジャーナリストとなった。一九六二年から六四年まで世界経済国際関係研究所で米ソ関係の研究に従事。一九六七年、アメリカ研究所創設とともに所長となった(同研究所は一九七六年、アメリカ・カナダ研究所と名称を変更)。
本来歴史学者で、科学アカデミー会員、八一年以来、党中央委員会委員でもある。この間六四年からは、当時党中央委書記だったユーリ・アンドロボフ現書記長兼最高会議幹部会議長の顧問となり、ブレジネフ死後は同書記長の有力外交ブレーン、「ソ連外交の設計者」とみられている。
一九六七年以来、パグウォッシュ会議、一九六九年からダートマス会議、また一九八〇年からは、軍縮と安全保障問題に関する独立委員会(パルメ委員会)にそれぞれ参加、一九七三年の米ソ(ニクソン・ブレジネフ)首脳会談に出席した。米ソ両国の議会同士の接触にも長期間、積極的にたずさわってきた。