Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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66 ダニエル・ベルダニエル・ペル(Danicl Bcll) 教授はハーバード大学で社会学を教えている。一九一九年、ニューヨーク市に生まれた。一九六〇年、コロンピア大学から哲学の博士号を得た。 はじめ、ベル教授は、とりわけ『二ユー・リーダー』誌の編集部員として文筆活動にたずさわっていた。また『フォーチューン』誌の労働担当編集者にもなった。また、ホワイトハゥスの顧問も何度かつとめている。一九六九年には、ハーバード大学にむかえられた。彼は、アメリカにおける急進主義運動史の専門家とみなされている。 その著書には次のようなものがある。『アメリカの新右翼』 (一九五五年) 、『イデオロギーの終焉』 (一九六〇年) 『急進右翼』 (一九六三年) 、『アメリカにおけるマルクス主義的社会主義』 (一九六七年) 、『紀元二千年への歩み』(一九六八年) 、『今日の資本主義』(一九七一年) 。
あなたは、成長のもたらす諸間題が西側世界の人々の政治意識にのぼるようになったと思いますか。世界的観点からの未来の管理が始まろうとしているでしょうか。
世界的観点などという言葉を使われると、私は恐ろしくなってしまいます。あなたはさっき、私の考え方には奔放さが足りない、とだれかがいったとかいわれましたね。
それはトロントのヨーク大学のウィリアム・アーウイン・トンプソンGa naar eind〔註1〕です。
そして今、あなたは、世界的に物事を考えるかと私にきいていらっしゃる。私は、この点について世界的観点から考えることができるかどうか、はっきりしません。修業と気質の両方のおかげで、私には、質問に対してはその質問そのもののことばで答えることを決してしな | |
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い、という傾向があるように思います。私は、あなたの質問をそのまま残すような形でお答えするのではなく、質問を再構成しようとするわけです。質間は、成長の是非ということなのか、ある抽象的な意味で用いられる成長についてなのかはっきりしません。しかし、問題は、常に、どういう種類の成長か、だれの利益になる成長か、ということです。成長に限界がなければならないといわれる時、私にはそれがどういう意味なのかわかりません。人々が、変化のテンポとか、変化のテンポの加 速化とかを論じている場合、私は本当に彼らがどういうつもりなのかわからないのです。彼らは、これらの言葉を関係概念として用いるべきなのに、そうしないでいわば合成的に、自動詞としてそれを用いるのです。何の変化でしょうか、何にとっての成長でしょうか。時には、人は未来を予見できない、といわれることがあります。私は賛成したいと思いますが、それは ‘未来’ なんていうものは、そもそも存在しないからです。未来といってもはっきりしたものをさす場合もあります。技術の宋来ということはあります。ある特定の国の未来ということはあります。しかし.成長とか、未来とか、変化のテンポとか、その他気軽に口の端にのぼらせられる類似の言葉のような、抽象的なものは存在しません。さっきもいいましたように、私のくせでいつもこういうことになります。まず区別をはっきりさせるようにしましょう。それから.その区別された対象のうちあなたが興味 をもっ特定の局面を、私も問題にしましょう。
あなたは以前、その機構の頂点に最善の人間をおいておかない社会は社会学的および道徳的にばかげている、と書いておられましたGa naar eind〔註2〕。先進世界は、通常、最高の人物によってではなくむしろ中庸の人物によって指導されています。われわれがどうすればこのようなばかげた真似をやることができる、とあなたはお考えですか。われわれは社会機構の政治的方向転換を必要としているのでしょうか。『成長の限界」は、経済学や自然科学および技術につ いては論じています。しかし、政治の方向を大きくかえることなしには、われわれはどこにもいきつくことはできません。われわれの指導者の質を改善するのにはどうしたらいい でしょうか。科学考はそれに影響を及ばすことができるでしょうか。
むずかしい問題ばかりきかれますね。もし私が答を知 | |
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っているのならば、ずっと前にそれを本に書いていたと思います。私がいいたいのは、ひじょうに簡単ですが、次のことです。私は、何らかの現案的な意味で答というに値するような答は、知らないということです。私がやろうとしていることは、答を見出すためにどのへんから手をつけたらいいかについて考えよう、ということです。 いかなる社会でもその構成員の分布にはある幅があるということは、自明の理であり、まったく陳腐なことだと思います。どんな社会でも、最善の人物が頂点にひじょうに簡単に来る、ということはごくまれです。ご存知のように、「釣鐘 」Ga naar margenoot+型の曲線とよばれているものがあります。つまりだんだん大きくなっていって、こぶのような形を作り、それからまた下がっていく曲線です。あなたが最善というのは曲線の小さくなったはじの方です。こぶの頂上にくる人は通常もっともよく目につく人逹のことで、かれらは通常、専門用語でいえば ‘平均’ 人なのです。このような曲線で示される偉大な卓越性を尊重する社会は、実際にはひじょうにまれです。ある程度までそれは、われわれみながブルジョワ的世界に生きているという事実にもよります。ブルジョワ的世界の本質そのものが、まさに反英雄的だからです。この社会では、ある意味で威儀を正し、英雄になろうとする人達は、うさんくさくみられます。こういうことが伝統的にともかく可能であった唯一の場所は軍隊で、そこには軍事的な英雄がいました。彼らは、ある程度の賛美を賛美す るのです。まったくおどろくべきことに、わが国では、並はずれた指導者があらわれた時といえば、一回の危機的状況の場合を例外として、かならず基本的には軍事的英雄が現われた時代でした。わが国の大統領になった何人かの将軍がいます。古くはワシントンGa naar eind〔註3〕からジャクソンGa naar eind〔註4〕グラントGa naar eind〔註5〕ハリスンGa naar eind〔註6〕それからアイゼンハワーGa naar eind〔註7〕、もちろん彼らはみんな将軍でした。発展するブルジョワ社会の中に、この種の人物が頂点にくることを認めるようなある種の分野があつたわけです。必要とあらば指導性を発揮する決定的な立場にたつことができる人であって、リンカーンGa naar eind〔註8〕のように謙遜な人物や、ルーズペルトGa naar eind〔註9〕のように明敏な人物ないし貴族的な人物が、登場することはひじょうにまれです。 常にある問題は、その社会にみられる報酬の種類はどのようなものか、という問題です。困難のもとは、過去二五〇年の間にわれわれが人類史上ひじょうに独特な社 | |
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会を作りだしてきた、というところにあります。この社会は、極端な善と極端な悪の両方をもたらしました。われわれが作りだした社会というのは、そこでは報酬が本質的に物質的な報酬であるような社会です。ここから生ずる極端な善は、それによって、それまでおそろしくみじめな生活を営んでいた多数の人々の水準をひきあげることになりがちだ、ということです。私は、過去の美化に組したことはありません。今日のわれわれは自然に別れを告げてしまったとか、自然をはじきとばしてし まった、という事実を問題にする人はおろかだと思います。過去はつねに大部分の人達にとってひじょうに恐ろしい世界でした。死亡率の統計のようなものをみてみるだけで十分です。ケーシーの自伝の中にでてきますが、わずか七〇~八〇年前には、ダブリンの貧民街では女たちが産む子供の半数が五歳にならないうちに死んだといいます。これが過去の興型的な事態であり、また、現在なお、第三世界の多くの部分で典型的にみられる事態なのです。明らかに、物質的進歩は、何よりも過去二〇〇 年間に見られたあのおどろくべき福利をもたらすようなものだったのです。それはまた、われわれが戦争せずに富を増大させる秘密を発見したことを意味しました。西歴一七〇〇年以前、あるいは、一八〇〇年以前には、大部分の社会が富を、基本的にはお互いの略奪によって、租税徴収によって、戦争や搾取やその他類似のことによって、増大させていたのでした。やっと一八世紀中葉の初まりごろになってわれわれは、生産性とよばれる新しい秘密を発見しはじめたのです。それは、より少ないも のからより多くのものをつくり出す技術でした。もちろん、これこそが大規模な現代経済の成長の全体的基礎なのです。それはまたブルジョワ社会の一部ともなりました。ブルジョワ社会は、英雄主義を志向しない社会です。それは高い文化を志向しない社会です。それは、すぐれたものを、ではなく、本質的に物質的な報酬を志向する社会です。社会の頂点にたとうとする人の動機となるのも物質的報酬です。
一八五〇年以後のプルジ日ワ社会は、第三世界の犠牲において成長を逹成しました。第三世界の資源を利用することなしには、われわれ西ヨーロッパの人間はこれほどの成長を奥現しえなかつたのではないでしょうか。
いや、それは実は正しくありません。私は経済史家で | |
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はありませんから、たぶん、私の理解の及ばないところもあるでしょうが、第三世界は、一九世紀末までは、先進工業社会の経済にはそれほど関係をもちませんでした。また、それ以後もそれほど大きな比重をもちはじめたというわけでもありません。アジア社会とは大した貿易がおこなわれていないのは確かです。ラテン・アメリカからはある程度金が運び出されました。一七五〇年から一八九〇年の間の経済成長の大部分は第三世界とはまったく無関係に生じたものです。第三世界-このことば 自体ずいぶんはっきりしないことばですが-との貿易は、そのべてが本質的に否定的なもの、それ自体たんなる搾取的なもの、だとは思いません。特定の場所や時期や国にょって性質を異にするものです。第三世界というのはひじょうに大まかな用語であり、また、残念ながらひじょうに貧弱な用語です。第三世界という言葉でアフリカの全部、アジアの全部、ラテン・アメリカの全部を包含させようとするような一般化をすることは、まったく人をまどわすものであり、また、多分益よりも害をなすも のだ、と思います。ラテン・アメリカは結局一九世紀中葉に政治的に独立することになったわけですし、一九世紀中葉に世界経済の中に参加したわけです。私が主として主張したい点は、西側世界、特に西ヨーロッパとアメリカにはじまった経済成長は、世界の他の部分とはまったく独立のものだったのであり、したがってその限りでは、開発途上国に依存するものではなかった、ということです。主要な事実は、いうまでもなく、蒸気機関とか電気とかその他世界を転換させるあらゆる方法について の、技術的な革命を導入したことにほかならないように、私には思えます。 ところで今ここで問題だったこと、つまり文化的状況に関することに、話をもどしましょう。というのは、あなたはある意味でひじょうに独特な質問のしかたをされたからです。そんな質問をする人はめったにあるものではありません。まずあなたは成長の限界に関する問題をとりあげ、それから第二番目に指導者の質を問題にしました。この二つのことを結びつけて問題にする人はほとんどいないでしょう。それは技術的・経済学的・生態学的・資源的問題と、社会学的・心理学的・文化的問題と の結合です。私がいま何とかやってみたいのは、あなたの二つの質問を一本の糸で結ぶことです。この二つを結びつけるものは何かといえば、それは、どちらもわれわれの経済的文明の一部をなしている、ということです。この文明 | |
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における諸価値は主として経済的なものであり、この文明の型はブルジョワ社会によって作りだされています。その積極的側面は、基本的には、われわれが生活水準のおどろくべき上昇を実現し、第三世界もある意味ではわれわれをうらやみ、現在ではわれわれと競争しようとしている、という事実です。しかし同時に、西側では、われわれは、その行動の動機が基本的に物質的報酬であるような人間の階級を抬頭させることになりました。彼らの行動の動機は、原則として、学術的な、あるいは 知的な、あるいは美的な成果をあげるというものではなかったのです。歴史的にいえば、これがわれわれの支払う代価-こんな言葉は使いたくはないんですが-であると私は思います。胸に手をあてて、自分はその社会に属してその種の代価を支払う気持があるだろうか、と自問した人がいたとは思いません。しかしこれが、実際、社会学の術語でいえば、経済的領域の機能的成分をなしたのです。その限りで、つまり経済と文化は結合していると見なすかぎりで、私は自分が十分マルクス主義者であ ると思います。この両者は、たがいに結びつき組み合わされて共通の質をもつことによって、本質的に新しい種類の文明である経済的文明を創りあげているのです。このような経済的文明は、積極面と消極面の両方をもっていました。その積極面は、経済と技術の異常な爆発でした。その消極面は、人間の業績の最高のものを正常には反映しないような人物や指導者の一群をつくり出した、ということでした。
われわれは、ますます多様化する方向にむかって動いているのでしょうか。よりよい人間をつくり出すために環境をプログラムするという、スキナーGa naar eind〔註10〕流の方向にむかってすすんでいるのでしょうか。かつてジョン・F・ケネディGa naar eind〔註11〕が「自発的全体主羲」と名づけたものにむかって押し流されているのでしょうか。あなたがいうところの「個人の卓越性」からは遠ざか りつつあるのでしょうか。
スキナーについて論ずることを要求しないで下さい。そうすると問題がこんぐらかると思いますから。スキナーはどちらかというと社会のいわばミクロのレペルの問題を論じているのです。私は、過去のまあ一五〇年間に加速されつつあるといってもよい支配的な傾向は、われわれがますます多様性の増大する方向に進んでいるということだ、と思います。現代のどの社会にもみられるお | |
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どろくべき傾向は、トインビー流の表現でいえば、大規模な社会の管理をひじょうにむずかしくしている要因の増大です。かくも巨大で複雑な社会の中に発生してきた多数の多元的利害集団を管理することのむずかしさがそれです。文化的インテリゲンチャ、科学的インテリゲンチャ、集団農場の経営者、軍人、工場関係者、農業者、など利害集団の多元化が生じてきたのです。それと同時に文化の型の多元化も生じてきました。これを完全におさえることはできません。経済的にいっても、技術 的にいっても地球規模の世界が実現されたことは明らかだ、というわけにはいかないのです。知性や文化の世界性を問題にする場合にも、それが同質的なものだとは決していえません。われわれが現在かかえている問題に対しては、多くの点で、コンスタンチヌス帝時代のローマの特徽に与えられた古典的な描写があてはまります。すなわち、シンクロニズムとよばれてきた特徴がそれです。さまざまな異国の神々がいりみだれ, おしのけあっていて、人々は自分の神を選ぶことができるのです。ところが、人々をたえずおどろきあわてさせる一つのことは、彼らの子どもが親とはまったく違った選び方をする、という事実です。その限りで、世界には多様性の異常な状況、もしそういいたければ異常な爆発といってもいいものがあり、また異なった生活様式と、その中から望ましい生活様式を選ぶ場合の異なった選び方とに対する、開放性があると思うのです。それと同時に、世界に緊張をつくり出すような別の種類の圧力も存 在しています。規制の必要性の増大がそれです。 『成長の限界』について語るとすれば、あなたがすでにいいかけているように、人口の制限が望ましい、という問題があります。つまり三人以上の子どもをもつことを禁ずるというような問題です。あるいは、子どもに税金をかげたり、たくさんの子どもをもつことが難かしいような事態を単につくり出してやったりするだけでも、同じくらい効果的にこの目的を実現できるでしょうが。また、電力ェネルギーの使用を抑制するために、たとえば空調設備のようなある種のぜいたく品に課税すること もありえます。われわれは、不可避的に、経済学者がいうところの〃外部性〃がますます増大する世界に住むことになるでしょう。あふれでるものGa naar margenoot+が、ますます多く産み出され、それが他のあらゆる人に影響を及ぼし、結局もっと規制を加える必要が生じてきます。一〇〇年前なら、道路に馬車を走らせても他人のことは心配せずにすんだかも | |
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しれません。と二うが今日では、交通信号をつくって交通の流れをさばかなければなりません。ここに並はずれた歴史的な問題がみられるのです。人間は、まさに、その人生の星回りの性格に応じて、ますます異なったものになることを望み、多元性を促進する反面、今度はその多元性とか多様性という事実そのものによって、その多様性の存続自体を可能にするためにも、ますます高度の規制や統制や秩序を必要とするようになります。今日の生活様式のもとで自らの生存を維持するためには、 このようなやり方が必要条件になっているのですが、そのことを人々はかならずしも認めたがりません。私はいつもペルトラン・ド・ジュブネルの非常に明敏な言葉を思い出してぎました。何年も前のことですが、彼はこういいました。「人は所得が二倍になっても、前の二倍だけよくなったとは感じない」と。これが考慮しなければならない重要な問題点の一つだと私は思います。人々は、所得が二倍になると、それ以上のものを求めるようになります。こうして、フランスでおこっていることです が、八月になるとみんながリビニラに避暑にいきます。みんながアネシー湖にいきます。アネシー湖は、かつては俗化されていない、ひじょうに楽しいところでした。ところがそれが、単なる数の増加にょって雑踏のるつぼとなっています。もしフランス入にむかって、八月に夏休みをとらないようにしなさいといったとすると、個人のことに干渉するなというでしょう。それはもっともですが、ともかく、もし個人のことに干渉しないとすると、みんなが水青きコート・ダジュールの浜べでお互いに 尻やももをくっつけあっていることになるでしょう。
カントGa naar eind〔註12〕は、人間のようなねじまがった材木から.ぴったリまっすぐなものが建設されるはずがない、といいました。われわれの先ゆきについてあなたはどう思われますか。
パラドックスで終わるというのはいいことだと私は思っていますから、一つお話をしましょう。かつて一人の男が質問を受けました。「あなたは楽観論者ですか、それとも悲観論者ですか、」と。彼は答えました。「私は楽観論者です。」「もしあなたが楽観論者なら, なぜそんなに苦い顔をしているのですか。」男はやり返しました。「私の楽観論の正しさが実証されないように思われるからです。」 | |
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