Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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62 リチヤード・ガードナーリチャード・N・ガードナー (Richard N. Gardner) 氏は、ニューヨークのコロソピア大学の法律と国際機構のヘンリー・L・モーゼス記念講座担当教授である。 一九二七年に一ニューヨーク市で生まれた。ハーバード・カレジで経済学を専攻した後、一九五一年にはイェ-ル大学法学部に入学した。一九五三年から五四年までハーパード大学で教鞭をとり、その後一九五七年までニューヨークで法律の実務にたずさわった。同年、コロンピア大学の教授陣に加わり、一九六〇年には正教授となった。一九六一年四月には、コロソビア大学を一時的に離れて、ワシントンでジョン・F・ケネデイの政府に加わり、一九六五年半ぱまで国際機関担当の国務次官補として 勤務した。現在は、国際連合研修研究所 (UNITAR) の理事でもある。一九七〇年から七一年までは、ニクソン大統領のもとで、国際通商投資政策委員会の委員を勤めた。 著書としては。『国際通貨体制成立史 ‘Sterling-Dollar Diplomacy’, Oxford University Press, (1956).『世界秩序をさして』 ‘In Pursuit of World Order’ Praeger 「地球的協カー国際機関と経済発展-」‘The Global Partnership: International Agencies and Economic Development’, Praeger, (1968) などがある。 『成長の限界』が重要な第一歩であることは間違いありません。最も近代的な予測および分析用具を用いて、あえて全体としての未来に対決した人はこれが初めてです。とりわけ世界銀行による『成長の限界』の研究の過程で出てきた、いくつかの批判点に照らしてみれば、特に資源の分野において、その方法論や仮定のいくつかを正当に批判しうることが、今や明らかになりました。 しかし、ローマ・クラブの研究報告書の著者達自身でさえ、それが荒っぼい第一歩にすぎないことは認めています。私は、アウレリオ・ペッチェイGa naar eind〔註1〕や、デニス・メドウズGa naar eind〔註2〕を、新世界の地図を画こうとした一五世紀や一六世紀の初期の地図制作者に比すべきだと思いま | |
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す。現在ではそれらの地図はあまり良いものではなかったことが、わかっていますが、初めてのものとしては役に立ったのです。ローマ・クラブは、未来の地理の開拓者と見なすことができます。
前国連事務総長のウ・タント氏Ga naar eind〔註3〕は、私との対談で、事態がどう遠行しているかについて、たいへん強い関心を寄せておられました。
感受力があり、思慮深く、事実知識ももっている人なら誰でも、将来の事を考えれば、きわめて深い不安を抱かざるをえないと思います。もし事実が現状のまま進行してゆけば、今世紀ではないとしても、われわれの子どもたちや孫たちの生涯のうちには、確実に想像を絶して厳しい災害に直面することは疑いありません。 私自身、UNITAR-すなわち国連研修研究所の理事会のアメリカ人理事として、国際連合の中に未来委員会を設立することを唱道してきました。 ローマ・クラブの弱点と限界は、一部にはクラブが主としてヨーロッバ人、アメリカ人、日本人によって構成されたことに由来します。つまり、十分幅広い基盤に立たなかったのです。ですから、その妥当性は、特にラテン・アメリカやアフリカやアジアで疑問に付されています。国際連合における私の努力は、何よりもまず、世界のすべての大文化圏、宗教、イデオロギー、知的伝統を代表するような未来委員会を作ることによって、この種の反対意見に対処することに向けられています。そうす れば、誰もそれが偏向しているとは言えなくなるでしょうから。しかも、われわれの研究は成長とその限界に限定はされないで、その他に三つの他の分野を包括するはずです。すなわち第一は通信や教育の技術の発展 (衛星からの直接放送、コンビユータ、情報検索) 、第二は生物医学の発展 (産児制限、死亡制御、性別の選択、遺伝工学) 、第三は疎外と参加の趨勢 (世代間のギャッブ、若者の態度、アッセンブリー・ラインで働く労働者、麻薬文化、倦怠、問題を引きおこす少数派) の問題です。UNITAR委員会の「賢者たち」は、以上三つの問題群をたえず倹討してゆくことになるでしょう。おそらく一つか二っのその他の問題も加えられるかもしれません。委員会は、毎年一月はじめに報告書を提出するのが望ましいでしょう。この報告書は「未来の状態」とでも名付けてよいものかもしれません。 | |
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国連内のこのシンク・タンクに対して、特に社会主義諸国や第三世界は、これまでのところ、どんな反応を示していますか。
正直なところ、それはまだわかりません、としかお答えでぎません。ただ、一言つけ加えさせていただきますと、そもそも、こうした計画の発起自体、それが国連の中でもきわめて異色の機関であるUNITARによってなされたからこそ可能だったのです。UNITARの理事会は、たとえば私のように国連事務総長に個々の学者として指名されて、個人の資格で参加している人々で構成されています。不幸なことに、ソビエト人理事はここ数回の会合には参加していませんので、彼の見解はわかりません。中国人理事は まだいませんが、これは単に中国がまだ人を出すことを決めていないからにすぎません。中国は、国連の各種の理事会のポストの多くを空席のままに残してあります。先進諸国から来ている理事に関する限り、この案にはかなりの熱意を示しています。 勿論、第一回の報告書を提出した後でいろんな反響が出てくるときが、最初の試練のとぎになるでしょう。各国政府の中では、最初はこの案に態度保留を表明するものもあるかもしれません。コロンブスの最初の航海に反対した人々だっていたのです。また、現在の問題に頭がいっぱいになったり心を奪われていたりするために、未来の問題については知りたがらない人もいます。 私自身、未来に対して払われている関心は境在の問題から眼をそらさせようとする試みだとは、いかなる意味でもいえないと思っています。まったくその逆です。宇宙船"地球"号がどこへ行きつつあるかの分析は、貧困の問題、戦争の問題、軍拡競争の問題、環境の問題、また現在人類を取り囲んでいる他のすべての重苦しい問題に対する関心を、一層深める結果になるでしょう。
この新たなプロジェクトが本当に軌道に乗るまでには、一年や二年はかかるでしょうが、そうなった暁には政治的影響力の行使が可能となり、提案のフォローアップや勧告が実際に行なわれるようになる、とお思いですか。
勿論、これはとても重要な問題です。簡単に私たちのやり方をご説明しましょう。UNITARの中に専門家によって構成される一つの小さな事務局を置き、この事務局が一八人から三六人の「賢者たち」からなるこの委員 | |
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会の事務を担当することになるでしょう。
それはジュネープにおかれるのですか。それともニューヨークの国連本部におかれるのですか。
多分、ニューヨークのUNITAR本部におかれるでしょう。この小さな事務局は、世界中の大研究センターと接触することになるでしょう。これらの研究センターのいくつかは、すでにIFIAS即ち高等研究所国際連盟という協議会を組織しています。この協譲会にアスペン人文学研究所の所長、ジョセフ・スレイタ ーGa naar eind〔註4〕氏のすぐれた発意にょって発足をみるにいたったものです。約二〇の研究機関が自分達のしている仕事のすべてに関して、その内容や結論の目録を定期的に提出する取り決めを行ったのです。UNlTARの事務局は、この資料を基にしてそれらの研究の抄録や要約を準備するでしょう。委員会は年に一~ニ回開催され、また恐らくいくつかの分科会や小委員会に分かれるでしょう。どんな形をとるにせよ、ひとたび発足すれば委員会は毎年一月のはじめに、「人類の 未来の状態」という題の報告書を発行することになるでしょう。 第一回の報告書はいつごろ出そうですか。
一九七四年の一月一日と言いたいところですが、こうした事をまとめるのがどんなにむずかしいかはよくご存知でしょう。一九七五年の一月一日までにはなんとかしたいと思っています。私の希望は、世界の主要な新聞が-どうせ一月一日には他にたいして記事もないでしょうから-この報告書の結論を印刷するのに二~三頁割いてくれることです。
『ニューヨーク・タイムズ』はのせるでしょう。
ええ.そうしてくれそうな気配もみえます。『ワシントン・ボスト』、『ル・モンド』、『コリエラ・ド・ラ・セラ』『ロンドン・タイムズ』なども、のせてくれるとありがたいのですが......
それから『二ーウベ・ロワテルダムシェ・クーラント=ハンデルスブラート』だって......。
......そのほか、『イズベスチヤ』または『プラウダ』ですら、この報告書の要約をのせてくれればいいがと思っています。この報告書は、消息通や識者や学者ばかりでな | |
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く世界中の政治指導者や影響力の強い人々の想像ヵを、ひきつけうるたぐいのものだと思います。それは国連文書として印刷されるでしょう。それがこの提案のいいところなんです。というのは、委員会のメンバーは個人の資格で参加しているので.どんな形にせよ国連の官僚的制約にも服さなくてよいからです。それに、この報告書は国連の全公用語に翻訳されるでしょう。ですから、この報告書は世界中のどの政府の机の上にも置かれることになるでしょう。すばらしく想像力に富んだ方法でマ ス・メデイアを利用し、たとえば衛星テレビ中継による大陸間セミナーを行ない、その場ではあなたのこのこ本に出てくるような、すばらしい人々が「賢者たち」の結論を定期的に討譲し、地球的な規模で知的交流を行なう-そんなことになるよう私ば希望しています。 あまりにも多くの専門家がお互いにそれほど話をしないことが多いのは、現代の一っの悲劇です。われわれは恐るべき知的不寛容に悩まされています。あなたのご本に出てくる人々の半分は、恐らく他の半分の人々とは話をしようとはしないでしょう。世界を存続させるためにはこうした障壁を打ち壌さなければなりません。私が希望しているのは、このような努力が.健全な信念に基づいて.しかも、望むらくは専門的で知的に受け入れられうる仕方で行なわれ、地球の未来に関して地球的な討論が開 始されることです。
豊かで富んだ世界のなかでさえ知識人の間にみられるこうした障壁を、どうやったら打ち壊せるのでしょうか。
多くの知識人は、自分たちの職業生活をまったく観念の世界の中だけで過しているので、あまり実際の生活経験がありません。また、現実の世間で他の人々と接しようとする必要もありませんが、実はこれが問題なのです。このことは, あなたのご本に出てくる著名な人々の全部あるいは像とんどにあてはまるとは言えないにしても、その幾入かにはあてはまるかもしれません。私自身に弁護士及び経済学者として、しかし主としては弁護土としての訓諫を受けました。私ども弁護士は『ユーノミックス (eunomics") 』とでも名付けたいもの-すなわち良き取りはからいの科学-を仕事としています。この良き取リはからいの科学が要求するのは、目的や態度や価値観を異にする人間たちが何とかして和解に達し、効果的に意思疎通を図ることができるように、制度や手続を | |
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絶えず組み上げてゆくことです。これは今日の世界には欠けている事です。知能指数でいうとものすごく頭が良くても、生活経験がほとんどなかったり、事実というものにはほとんど敬意を払おうとしなかったりする人がいます。事実が理論に合わない場合には事実の方を拒否せよ-こうした態度が学問の指導者と思われている最も知的な人々の間に見出されます。もし最も知的な人々がこうした態度をとるとすれば、象牙の塔にいる人々がお互いに言葉で相手をやっつけあうばかりだったり、意見 の不一致を理由としてお互いに話し合うことさえ拒んだりするとすれば、どうして市井の人々がそれに呼応してくれると期待できましょうか。こんなことは、とうてい世界の模範とはするに足りません。
この本のための調査をしていて私が鷲いたことがあります。私はいままでいっも、政治家は自分の政治的イテオロギーのとりこになっているために、お互いのコミュ二ケーションができないのだと思っていました。ところが、まったく驚き入ったことに、同じ情況が、あるいはもっとひどい情況が、科学者の間にも一般的であったのです。
ある意味ではまったくおっしゃる通りです。
そして、大衆がその犠牲になります。っまり、人間性の真のうねりが、この未熟で野蛮なふるまいの犠牲にされているのです。
人類は悩まされていると思います。私は天性楽観主義者ですが、このことだけは私を時々悲観主義者にさせます。われわれは、国家のエゴイズムによってばかりでなく、個人のエゴイズムによっても悩まされています。それは結局はわれわれを破減させるもとになりうるのです。これらの著名な人々の多くは、あまりにも大きなエゴをもっているために、彼らの生活における主な偏見は、自分の知的芝生を生やし、たとえ結果がどうなろうと、その知的芝生をすべての陳入者から守ろうとすることに みられるのです。彼らはおそらく-意識的にではないとしても無意識的には-イデオロギーの追求のために、またエゴの追求のために真実を犠牲にする用意ができているのでしょう。しかしそれは間違っています。歴史上の真に偉大な人物、アインシュタインGa naar eind〔註5〕のような大科学者は謙虚な人間であり、たえず自分の考えを改め、ちがう意見を持った人々の言うことにも尊敬の念を | |
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もって耳を傾けていました。アインシュタインの伝統に何がおこったのでしょうか。今日いるのは、どんな種類の人々なのでしょうか。 |