Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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60 フリーマン・ダイソンフリーマソ・ダイソ (Freeman Dyson) 教授は、ブリンストン大学高等研究所で物理学を教えている。彼は、一九二三年イギリスで生まれた。戦争中は、英国空軍の才ベレーションズ・リサーチ・ヘッドクオーターズに勤務した (一九四三-一九四五年) 。ケソブリッジで数学を学び、一九四七年、英連邦奨学金を受けてコーネル大学に来た。一九五七年にはアメリカの市民権を得た。 彼はサン・ディエゴ (カリフォルニア州) のゼネラル・アトミックでTRIGAリアクターとオリオン宇宙船について研究し (一九五六-一九五九年) 、またアメリカのいろいろな兵器研究所、宇宙局および軍縮局の顧問もしている。
あなたは、アーサー・C・クラークGa naar eind〔註1〕が「人間は、銀河の湾流の中に永遠に漂っている太陽系という小さないかだに乗った唯一の漂流者なのではない」Ga naar eind〔註2〕と書いたのと同し感じを持たれますか。
わかりません。実際のところどうなのか非常に知りたいと思っています。
クラークはどうして知ったのでしょうか。
それは信念の問題です。私の同僚の多くは、われわれは宇宙では孤独ではないという、宗教的信念を抱いています。私は彼らが正しいことを望みます。もし彼らが正しければ、宇宙はもっとずっとおもしろい所になるでしよう。 トインビーGa naar eind〔註3〕は、宇宙へのオデツセイ (宇宙旅行計画) は浪費であったと感じています。長期的にはこれは浪費ではありません。これまでわれわれがとった方法は正しいものではありませんでした。アボロ計画は行詰りました。このことは、それに関与してきた者にとっては驚くべきことではありません。それは、非常に放漫なやり方で、そして多くの点で非常に知的でないやり方で行 | |
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なわれてきました。それでもそれは実行されました。これが重要な点です。私は、月にまったく行かなかったよりば、行った方がよかったと思います。もし宇宙で何か賢いことをやろうと思うならば、必要なことは、宇宙を安価に旅行することです。アポロのような宇宙船は、私の若い頃の大きな飛行船のことを強く思い出させます。その飛行船とは、イギリスのR101やドイツのヒンデンブルグですが、これらの驚くべき、美しい、ひよわな飛行船は、ばかばかしいほど小さな積載量しかもっていなか ったのです。それらはちょうどアポロ字宙船と似ています。われわれが今必要としているのは、ポーイング747に匹敵するようなものです。われわれはいずれそれをもつようになるだろうとは思いますが、しばらく時間がかかるでしょう。
あなたは、ソビ工トは宇宙探険にもっと知的にアブローチしているとお考えですか。
そうは思いません。その判断は非常に困難です。なぜなら、彼らはその費用を公表しません。彼らは、われわれよりも少しばかり愚かな方法でやってきたと私は思いますが、これは判断の問題です。彼らもまた間違った目的をもつていました。
彼らの目的はどのように誤っていたのでしょうか。
彼らは積載量よりはロケットに興味をもっていました。私の知る限りでは、ソビエトの宇宙計画を運営した人々は、われわれの場合よりも、科学的な目的に関与することがもっと少なかったそうです。もっとも私は、そういったことについてはほとんど知識がありません。なぜなら、われわれのなかのほんの少数のひとしか、これらの人々と語る機会をもったことがないからです。
危険が減少し, 関係が改善すれば、ソビェトの宇宙関係者とのもっと緊密な、もっと開かれたコミュニケーションの機会が増すと思いますか。
われわれはすでに、ソビエトの同僚たち-というのに宇宙計画を外側からのぞいている人々ですが-とかなりのコミュニケーションをもっています。内側の人々の間にも十分よいコミュニケーションがあると思いますが、しかし、われわれはどちらの国においても、内側の人々と外側の人々との間の非常によいコミュニケーションをうちたてることには成功していません。しかしなが | |
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ら、これら陸人類の未来にくらべれば小さな問題です。
アメリカは最近火星の最初の地図を兜成しました。これは七〇〇〇枚のテレビジョン写真によって、三五〇〇万マイルのかなたから作られたものです。この逮成の意義は何でしょうか。
それに答えることは困難です。人々は、アメリカが最初に発見された時その発見の意義を知りませんでした。
一歩前進でしょうか。
巨大な一歩です。それはわれわれが地球以外の惑星をはっきり眺めた最初のものでした。それがどういう結果をもたらすかは、私には語ることできませんし、誰もできないでし占う。次のステップは、二つの軌道船を一九七五年あるいは七六年に打ち上げて、ずっと近くから火星を見ることです。試みるに値することをみつけるためには非常に長い時間がかかるでしょう。当面は、われわれは火星の探検の極めて初期の段階にいるのです。
あなたは『ニューヨークタイムズ』 (一九七二年十一月二十七日) で、銀河系っまリ宇宙について、もっと情報を集めることが重要であるという見解を述べられました。それは可能でしょうか。それはコンピュータを用いてなされるのでしょうか。
それにアブローチする方法は、現状はどのようなものかを見てみることです。ほとんどの器具はそんなに高度のものではありません。われわれが既にもっているような種類の普通の光学望遠鏡を使って宇宙を見なければならないのです。われわれほあらゆる種類の望逮鏡を実際に必要としています。現在、普通の、古い型の望遠鏡が非常に不足しています。望遠鏡の数よりも、非常によいアイデアをもった天文学者の数の方が多いのです。われわれは宇宙空間の中から物を見始めているのですが、そ れは多くの新しいことをわれわれに告げてくれます。この宇宙計画から生じた最も重要な成果は、科学に関する限りでいえば、X線源を空中に発見したことです。これは全く新しい種類の天文学です。このことのすばらしさは、それが比較的安価だということです。この宇宙計画の中でなされた最も重要な科学的発見ば、計画全体のコストの一パーセント以下でなされました。すべての宇宙天文学上の発見は、無人人工衛星によってなされたので | |
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す。X線天文学の研究は、特に、ほとんどが非常に小さなロケットでなされました。このような観察には何十億ドルといった金額は必要としないのです。実際、何十億というドルがない方がうまく行くのです。
あなたは今、あなたが赤外線天文学と呼ばれるものについて語っておられるのですか。
いいえ。赤外線天文学は地上で行なわれます-大部分は。
それは非常に盛んなのですか。
そうです。盛んです。しかしまだ望遠鏡の非常な不足があります。
ソビエトは、今、世界で一番大きな望遠鏡をもっているのではないでしょうか。
あれはまだ完全に作動していません。しかし近い将来作動するようになるでしょう。
そうなれば非常に重要な一歩前進でしょうね。
それは明らかではありません。ロシア人も、それに関しては懐疑的です。あの望遠鏡はあまりいい場所に設置されなかったように思われます。今のところあまりうまく操作されてもいないようです。しかし結果を見てみなければなりません。あれはきっといい道具になるでしょう。
あなたは最近、ある可能な、全く新しい発展について語られました。それをあなたは銀河の縁化と呼ばれましたね。地球の限界を新しい見通しの中におくような、新しい発見が宇宙であリ得るでしょうか。
未来についてはっきりいえることの一つは、それが、人々が今期待しているものとは異なるであろうということです。その人々の中には、もちろん私も入ります。私は将来何が起こるかを予言できるとは考えません。ローマ・クラブ、というよりフォレスターとメドウズによってなされたような予測は、他の大部分の予測よりも説得力が少ないと私は思います。私が過去三〇年、あるいは四〇年間に世界を眺めて学んだことは、質的な変化が、常に量的な変化を凌駕する、ということです。世界が量 的な変化の結果としてある特定の方向に行こうとしているかのように見えるたびごとに、ある新しい質的な要因が生じて、問題の性質全体を変えてしまうのです。このこ | |
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とは何度も何度も起こりました。
水素核融合......
水素核融合はそのような効果をもつかも知れませんし、もたないかも知れません。私に、それは十分に大きな質的な変化だとは考えません。むしろ小さな変化にすぎません。大きな変化は、どちらかといえば無形のものであることが多いのです。人口のゼロ成長について語られだしたのは, ほんの数年前のことです。すでに、プリンストンの小学校に閉鎖され始めています。十分な数の子どもがいないからです。それはわずかここ五年間かそこらのことでした。変化は滑稽なほど急速に進んでいます。私はこうしたことが、次の一〇〇年間に何度も何度も起こると思います。今後一〇〇年間に人々が問題にすることが何であれ、私が予測したいと思うことは.フォレスターやメドウズがあれほど騒ぎたてているような問題ではないでしょう。もちろん、私が問違っているかも知れません。だ れだって皆間違い得るのです。しかし重要なことは、私にいわせれば、常に予期しない転回に儀えることです。
しかし、彗星の上に木を育てたり、生物学的な副産物を食糧にする可能性、というところまで話がきますと......
物理学は私の専門ですが、物理学からはあまり大きな驚きは期待できません。この点でも予測を誤るかも知れませんが、しかし、次の一〇〇年間に、物理学が科学的発展の主なフロンティアになるとは考えられません。生物学が主要なフロンティアになるでしょう。生物学的諸過程がどのように働いているかを学んでそれを実際にマスターできるようになれば、その結果、われわれ自身に関する考え方やわれわれの環境に関する考え方に、非常に大きな変化が生じるでしょう。それはまだ生じていま せんが、私はそれが次の五〇年間に生じる可能性が非常に大きいと考えます。その時には、われわれに物理学や化学で達成したと同じていどに、益本的な生物学的過程をマスターしていることでしょう。それは宇宙における人間の地位全体の、また事物の構成の、非常に大きな変化を意味するでしょう。私はこのようなことを予測として述べているのではなく、単に問題として提起しているだけです。一〇〇年後には、われわれが主として問題に | |
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していることは、われわれが単一の種としてとどまるだろうか、それとも千の異なった種となるのだろうか、という問題であるかも知れません。
どういう意味ですか。
人類が一つの種のままにとどまるのか、それとも千の別々の種に分かれるほどの分化をとげるのだろうかという問題です。
そして銀河系全体に広がる......。
必ずしもそうではありません。この地球にとどまったままでそうなるかも知れません。この問題に直面するためには、必ずしも字宙に出て行く必要はありません。それはすでにここで始まっています。
それらの千の異なった種が一つの地球の上に住まなければならないということになれば、全員に受け容れられうるような行動のルールが必要になるでしょうね。あなたは、生物学が未来の科学であるといわれますが、その場合行動科学と心理学とはどこに入ってくるのでしようか。
もちろん、恐らくそのことが将来の問題の九〇バーセントを占めることでしょう。私はあなたと完全に同意します。ただ、われわれは、人々を自分が望むように行動させたりはしないでしょう。問題は、人々がどのように行動したいと望むか、ということだと思います。
絶対的な自由をもつて、ですか。
私は、人々がどう行動すべぎかを決めるようた世界が来ないことを望みます。それは、私の望まないことです。問題は、われわれの社会が十分に柔軟で、生じつつある多様性に対処できるか、ということです。これが、私の考えでは、大きな問題です。いくらか希望があると思います。社会諸制度は、多くの点で、かつてよりもずっと柔軟になっているという証拠があります。これは非常に健全な発展であると私は思います。三、四〇年前には許されなかったようなあらゆる行動が今では許されてい ます。これは私の歓迎するところです。将来はこの自由がもっと増えると思います。
そして最後の審判の日が......
私は終末論者にはまったく反対です。彼らは、なんの | |
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いいこともしてくれませんでした。
しかし、文明が、この地球の限界内にしばられている代わリに、惑星から惑星へ、恒星から恒星へと広がって、新しい生活空間、われわれを養う新しい宇宙、われわれの新」い住処となる宇宙にわたるということは可能なことだとお考えですか。
人類をヨリ大きな生活空間へ展開させるとは申しましたが、恒星から恒星へということはいいませんでした。それは非常に遠い将来の話です。私が申し上げたのは太陽系内のことです。問題は、われわれにそれができるだろうかということよりは、われわれがそれを望むだろうか、ということです。もしわれわれがそれをすることを望むならば、それはきっと可能になるでしょう。われわれがそれを望むようになるかどうかはまだわかりません。多様化の問題を解決するにはより大きな生活空間が必 要であろうというのが私の見方です。この多様化は、私の考えでは、入類の主要な社会問題です。もしわれわれが地球の外の太陽系の中で新しいフロンティアを開くことができれば、これらの問題のうちの非常に多くのものが解決されるようになるでしょう。私は、それが非公式な方法で-ヨーロッパ入が地球全体に広がった時に生じたのと全く同じような方法で-なされることを望みます。つまり、ある超政府が、太陽系を植民地にするために巨大な計画を立てるといった方法ではなくて、です。私は、 むしろ小さなグループが、自分で決心し、自発的に、そして必要な資源を自分で集めて、自分で実行することを望むのです。だからこそ、それが安価であることが非常に重要なのです。そうすれば数百人の人々が必要な資源を集めることができます。私は、そのようなことが実際に生じると恩いますが、それが実行可能になるためには、まだ多くの発明がなされなければなりません。私が将来に期待する非常に重要な発展の一つは、自己再生産機械です。このアイデアは.最初に数学者フォン・ノイマ ンGa naar eind〔註5〕によって理論的観点から研究されました。生物が再生産し、遺伝および分化の過程が自然界で生じる方法をわれわれが十分深く理解した暁には、それらの過程を、機械を-すなわち、十分に高度で自己を再生産できるような機械を-作るというわれわれ自身の目的に役立てることができるようになるのです。すでにわれわれは原理的にはその方法を知っています。フォン・ノイマンは, このような機械をすでに紙の上では作 | |
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り上げました。それは僅か五〇万の部品をもっているにすぎません。ほんものは、もちろんそれよりずっと多くの部品をもつことになるでしょう、それは非常に複雑なけものにならざるをえないでしょう。しかしこのような機械が実用可能になった暁には、新しい世界を植民地にするという過程はずっとやさしくなるでしょう。たとえば、月に向かって非常に複雑な機械を打ち上げます。この機械は岩石と太陽光線以外の何ものも使わずに自己を生産するようにプログラムされているのです。それ は自分の部品を作り出すことができます。月が人間の住処となるために必要なものは何でも作れるようにプログラムされているのです。宇宙開発の経済学は、このような方向への転換を考えることができましょう。それは、単に推進システムのちょっとした改良などではなくて、問題の質的性格の根本的な変化なのです。もし自己再生産的な機械があれば、経済学の諸問題は非常に異なったニュアンスをもつようになります。資本の蓄積はずっと急速になるでしょう。物事を行なう費用は非常に根本的 な意味で変化してしまい、もはや、将来できること、できないことの予測は不可能になるでしょう。私の考え及ぶ限り、自己再生産的な機械が地球上でも重要でないという理由は何もありません。それを用いて地球上でしなければならないことはいくらでも思いつくことができます。地球上で自己再生産機械を用いる場合には、より大きな制限があります。もし自己再生産機械が自由に活動し始めれば、それを阻止しようとする人々がたくさんでてきそうです。自己再生産機械は、地上では、あらゆる 種類の生態学的な問題をひきおこすでしょうが、それらの問題にに非常に注意深く対処すべきでしょう。これらの機械はまた、貧しい国から富んだ国への移行をずっと容易にしてくれるでしょう。そのことを資本主義的な見方でいえば、たぶん、巨大企業、たとえばIBMが「産業発展キット」を売り出し、貧しい国がそれを安い分割払いで買い取るといったような事態が考えられます。一つの機械がIBM工場からこの国に船積され、そしてこの機械が自己を再生産し、分化をとげ、工業プラントを組織し、完全 な近代的な通信網を組織し、一国を近代化するのに必要なあらゆるものを作りだすのです。
しかしそうした発展は、ますます増大する人口問題にどう対処するのでしょうか。より多くの機械、よリ少ない労働、そしてより多くの失業。自己再生産機械 | |
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はインドやブラジルで災厄をひき起こすでしょう。
私は、人類の社会問題に対する解決案を私がもっているなどといっているのではありません。私はただ、このような技術的な発展が生じる可能性が極めて大きいといっているのです。それらは、われわれの問題の性格を急激に変えるでしょうが、しかし問題そのものは残るでしょう。その問題はむしろ今の問題よりも悪いものになるかも知れませんが、異なった問題になることは確実です。私は、そうしたことの結果の一つは、大衆の経済問題からの疎外がヨリ大きくなること、機械を動かす人々か ら、単にその傍観者にすぎない人々が、ますます疎外されるようになること、だと思います。われわれは、博識な机上の空論家たちがボスト・インダストリアル・ソサイェティ〔脱産業社会) と呼んだものの方向にますます動いていくことになるでしょう。この社会というのは、人々の大多数がもはや昔のようなスタイルで稼ぐことに関心をもっていないような社会です。しかし、経済問題が解決されれば、その代わりに他の問題が必ず生じます。
それらの人々は月に向かって出するかも知れません。
私は、彼らが月に行くべきだとは考えません。私はただ、月に行きたい人は行けばよい、といっているだけです。この地球上にとどまりたい人々は、時間のつぶし方を見つけ出し、自分が満足のいくような生活方法を見つけ出せばいいのです。それは、インド人にとってはわれわれの場合よりも、それほど大きな問題ではないと思います。なぜなら、ある意味でインド人はわれわれよりもボスト・インダストリアル・ソサイェティにより近いからです。われわれがインド人の生き方を学ぶ方が、イン ド人がわれわれの生き方を学ぶよりもずっと必要なことかも知れません。そういう可能性はあります。しかし、そうなると予測することは困難です。完全に明らかなことは、人類に将来生じるであろう問題は、富んだ国にも貧しい国にも共通するような、大きな範囲をもつであろうということです。ある点においては、自己再生産機械は偉大な平 等Ga naar margenoot+主義者です。それは、富んだ国ができることならばなんでも、貧しい国もまたできる、ということを意味するからです。それはまた、富んだ国の問題は貧しい国の問題でもある、ということをも意味します。 |
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