Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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58 エドガー・モランフランスの社会学者エドガー・モラン (Edgar Morin) は、一九二一年パリに生まれた。地理学、法律学、経済学および社会学を学んだ。一九五〇年から一九六二年にかけては、CNRCの研究主任をつとめた。また、王立人間科学センターのブログラム主任でもある。サン・ディエゴ (カリフオル二ア州) のソーク生物学研究所に籍を置いて、生物学理論と社会学理論の間のありうべき関係を検討したこともある。「九五七年から一九六三年にかけては、『アーギュメンッ』誌の編集長であった。 彼の最もよく知られている箸書の中には、「人間と死』L'Homme et la Mort (1968), 『フランスのコノミューン』Commune en France (1967), La Breche (1968), および『オルレアソのうわさ』Rummer d'orleans (1967) がある。新署Le Paradyme perdu: la Nature Humaine は一九七三年に出版される予定である。
あなたは、人類がすでにその最終的な崩壊の途上にあると感じておられるようでずね。ストックホルムの国連人間環境会議 (一九七二年六月五日~一六日) や、最近の『成長の限界』の出版以後に始まった、現在の危機に関する自覚の増大が、その流れを逆転するとは感じませんか。
そう。生態学的意識の面で突破口が開かれたのは一九六八年~一九七〇年のことでしたね。それは、自然発生的なロマンチックな「自然に帰れ」運動と、環境をまったく磯械的なものではなくエコ・システムや組織だとみなすような科学を生みだそうとする真剣な試みとの、出会いから起こった。この突破は根本的な重要さをもつ出来事ですが、だからこそ私は「生態学紀元元年 」Ga naar margenoot+という表現を用いたのです。この生態学的意識は、汚染が問題の核心ではないという事実と緊密に関連しています。汚染ば、撹乱の局所的な現われなのです。この撹乱は人間 | |
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にとってはひじょうに明瞭に感じとれるので、それは不可選的に局所的な意識の目覚めと、多かれ少なかれ時間の遅れを伴った多数の反応とをもたらします。要するに、私の思うには、多くの汚染問題は、それ自体純幹に技術的な方法で解決することができるのです。たとえば、排気ガスの問題は、きれいなエンジンを作ることにょって、あるいは一連の交通規制によって、数年以内に解決することができるでしょう。これはまた、いわゆる「都市」汚染に関する多くの問題にもあてはまります。 私は、今起こりつつあることこそほんとうの自覚だと思っています。なぜならば、人々は、実際の問題は汚染でにないことに気づいたからです-汚染にもっとずっと根本的なある問題の言いかえにすぎないのです。その問題というのは、われわれの経済発展がまったく統制されておらず、また規制されていないという事実です。そればかりではない。経済発展を規制する標準として指数的成長率がとられていたという事実が問題なのです。いいかえれば、自然が、われわれの金融的、財政的、経済的、お よび道徳的な問題の観始末をしてくれると仮定されていたのです。これはきわめて逆説的な情況です-われわれの問題を規制するために、結局のところは絶対的な無規制に終わるような工夫をもちいたのですから。これは非常に大切な点です。私の思うには、この無統制の成長こそが真の問題なのです。問題は、原料やエネルギー資源の枯渇なんかではない-まだまだ多くのエネルギー源が残っています。たとえば、太陽エネルギーや海洋のエネルギー源がそれです。生物圏というものは、極度に複雑な全 地球的エコ・システムであって、そこでは、海のプランクトンから霊長類に至るまでの、植物の光合成からわれわれ人間に至るまでの、基本的な循環が生起しています。そして、知らなければならない非常に大切なことは、われわれがこのシステムの核心ちゅうの核心を毒し、それによって生命-すなわちわれわれの生命-の一般的な劣化をもたらしはしなかったかということです。実際、真の問題は、これまでは常に戦争産業の独占的な特性だとみなされてきたような分野にかかわるものです。明らかに 、戦争産業は死をもたらす。明らかに銃や戦車の生産は人間の生命を危うくする。しかし、平和産業、生活産業もまた同じ効果をもちうる。そんなことはわれわれは思っても見ませんでした。ところが、事実はその通りでした。しかも二つの道を通じてです。第一は、文明の制御の欠如、すなわち文明の結末の制御の | |
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欠如。第二は、自然のエコ・システムの制御の欠如。人類の衰亡の正確な時点を確定することは不可能です。突然生じるかも知れませんし、長年にわたるかも知れません。しかしそれにもかかわらず、それは人間の文明の本質にとっても、根本的な重要性をもつ問題なのです。というのは、デカルト (一五九六~一六五〇) 以来、人間の概念は常に自然の概念から切り離されてきたからです-あたかもそれらは二つの絶対的な、異なった存在であのかのように。人間の生命の全般的な衰亡がいつ起こるかを予測できないという事実のほかに、最もドラマチックな要素は、たぶん、問題がわれわれにとって隊あまりにも大き過ぎることがわかるかも知れない、ということです。 私の考えるには、二つの種類の生態学的意識を区別しておくべきです。私が「大」生態学と「小」生態学とよぶものがそれです。小生態学は、主として汚染の問題を扱います。それは、局所的な規模における汚染の具体例を示し、同時にどのような技術的な手段によってこの問題が解決できるかを示してくれます。大生態学はそれよりもばっと根本的な問題にかかわりますが、この問題を把握できるりばただ、われわれがなんとかして理論的にものを考える場合にかぎり......
地球全体の観点からして......
その通りです。地球全体の観点が必要なのです。テクノクラート的な思考方法にほ反対しなければならないのです。こいつは、あらゆる問題を分解してしまう思考方法です。そうすれば、高い精確度が保証されるかも知れませんが、回時に、非常に本質的な要素、すなわち全体を形づくるさまざまな構成部分間の結合、を除外してしまうのです。われわれには、地球全体の観点が必要です。理論的な伜組が必要です。反省のための基礎が必要です。そしてそれが見つかるや否や、問題の真の本性に気 づくことになるのです。それは、われわれにとって、不可欠な新しい発展のコースの出発点になり得るかも知れません。ミシェル・セレスの素晴しい表現を引用するならば、問題はもはや、いかにして自然を制御するかではなくて、いかにして制御を制御するかということなのです。これは政治的な性質をもつ根本問題です。今日、全人類は紛糾にまき込まれていますが、その結果がどうなるかは決定的な重要性をもっています。 | |
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『成長の限界』-地球の力夕ログを作ろうとするMITの試み-は、この紛糾の制御に向かう一歩だとお考えになりますか。
MITの研究は二つの側面をもっていますが、どちらの側面を主に見るかが問題です。第一の側面は、私を非常に魅了したものですが、人類の歴史において初めて、人類全体に関するデータをコンピュータに投入する試みがなされたことです。疑いもなくMITの研究自体は明らかに不十分ですが、それは新しい思考方法をもたらすことのできる第一歩でした。その新しい思考方法とは、地球全体の観点です。そしてこれこそ全く本質的な点です。肯定的に評価でぎるいまひとつの点は、次の事実です。すなわ ち、われわれは完全にテクノクラート化しているという点を念頭に置くならば、エコロジーに対するこの種の関心が現代科学の聖所の一つ-MIT-において誘発されたということは、非常に重要なことだ、という事実がそれです。現代科学の誇りとされる人々が、根本的に正しい大義-この研究の中の経験的データがすべて正しいというわけではないにせよ-に奉仕しているということは、きわめて肯定的に評価しうる発展です。しかしまた、否定的にしか評価できない点もいくつかあります。第一の否定的な点は 、私が上で述ぺた肯定的な点に直接関係があります。それは、警報としての効果をもち生態学的意識の覚醒に寄与したという点を除けば、この研究自体は明らかに不十分であり、絶対的に無価値だという点です。これに加えて、「成長の限界」という考え方、およびその直接的な帰結としての「無成長」という考え方があります。これは非常に悪い神話です。MITの人々は成長の神話と戦おうとしましたが、そのなかで、一つの反神話を造りだしてしまいました。これば、もとのものと同じほど不合理な ものです。これに対する私の反対諭は、二つあります。第一は、原理の問題です。われわれは経済発展という考えを純粋に量的な成長という考えと同一視していたのだ、という自覚が、今日ではますます強くなっています。いいかえれば、もともと多次元的で質的な概念を、純粋に量的な概念に平板化してしまっていたのです。おまけに、社会的。人間的な発展という考えを、経済発展という考えと同一視してしまっていました。これは、われわれが二重の還元を行ったことを意味します。第一に、非 常に豊かで非常に神秘的な言葉-だって、「人間的な発 | |
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展」とは何なのか、これこそが知りたいことなんですからね-を、経済的規準に還元したのであり、さらにその上に、経済発展を所得と生産の成長の統計に還元したのです。現実には、今日の真に大切なことは, 「成長」という語が示す一次元的な世界を離れて、経済発展の問題をその語それ自身の意味に即して再定式化し、それを人間的発展全体の問題に従属させるよう努力すべきだということです。問題をこのように定式化すれば、解決に達する二とができるかもしれませんが、それにひきかえ「無成長」といった文句は、われわれを量的かっ経済学者的な思考方法にとらわれたままにしておくでしょう。 第二の誤りに進みましょう。「無成長」という表現は定常状態を示唆しますが、これは事実上問題外です。問題の核心に、われわれが事態を動かし続けるよう努めなければならないということなのです。われわれは永遠の変化の時代に生きています。なすべきは、変化を制御し、方向づけることです。実際、均衡状態というものは単なる幻想に過ぎません。以上がMITの報告にみられる二つの根本的な誤りですが、これらの誤りがあったために、今日の生態学的意識の覚醒の反対者たちが、マンスボル トGa naar eind〔註1〕の考え方とともに、MITの考えをも攻撃することが可能になったのです。しかも非常に激しく、またかなりの成功をもって、攻撃することを可能にしたのです。そればかりではありません。無成長論は、どちらかというと軽々しく提起され、しかもまったく西側の諸国の視点に立って提起されました。そのため、発展した産業社会では、少しばかリスビードをゆるめようという考えが出てきたな、といった印象を与えたのでした。そしてこの無成長論は、必ずし も西側の新植民地主義の端的な表現といえるものではなかったのに、発展途上国にとっては、それは、既存の権力と特権の階層構造を維持しようという隠された欲求の、少なくとも無意識の現われだと映ったに違いありません。実際、このような考え方は第三世界にとっては絶対に受け容れられないものなのです。しかし、この生態学的自覚には、非常に重大な問題を含むもう一つの側面があります。 最近まで、経済学者たちは、常に、産業発展の利害・損失計算を「閉じた」観点から見ていました。輸送、コミュニケーションおよびある種の産業の肥大的な拡張の期間に、経済学者たちは工業労働者および都市の住民に影響をおよぼした一連の精神衰弱的、精神身体Ga naar margenoot+的撹乱をまったく考慮に入れませんでした。彼らは牧歌的な計算 | |
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を行い、工業生産ば常に利益のみをもたらすと考え、保健や公衆衛生の問題などはまったく別なレペルで考えていたのでした。新たな種類の疾病の累積によってだんだんやりくりがつかなくなってはぎていたのですが、それでも、それらと産業の発展との関係はふつう無視されていました。今日では、新しい自覚の突破口が開かれて、特に汚染の分野では、工業に、その汚染の影響の相殺を強制するような法的措置がとられるにいたっています。これは産業社会においては困難ですが、決して不可 能なことではありません。産業社会においても、関心が高まれば、資源の再循環を実施させることは可能なのです。これは発展途上国にとっても極度に重要なことですが、ここでもまた、彼らにこの問題をとりあげて対処するよう説得するのは容易ではないでしょう。これらの問題は、国際的および全地球的なレベルでとりあげなければなりません。しかし、不幸にして、これは今日のところ全く不可能なのです。これは発展途上国にとっても極度に重要なことですが、ここでもまた、彼らにこの間題 をとりあげて対処するよう説得するのは容易ではないでしょう。これらの問題は、国際的および全地球的なレペルでとりあげなければなりません。しかし、不幸にして、これまた今日のところ全く不可能です。なぜなら、わレアル.ボリテイータれわれはいまだに、諸超大国の「現実政治」に巻き込まれているからです-ストックホルムの人間環境会議でもみられたように。われわれは今、非常な深刻な危機状況を通過中です。なぜなら、われわれば、システム-思想システム、社会システムおよび、国 際関係システム-の中におかれているのですが、このシステムにおいては、矛盾撞着と逆説が支配しているので、人は好むと好まざるとにかかわらず、一つのメタ・システムについて考え始めずにはいられないからです。このメタ・システムは、最も根本的な矛盾と逆説とを解決し、統合すべきものなのです。簡単にいえば、われわれは根本的に新しい国際的および全地球的な社会を必要としているのです。
どうしたらそれは達成されるのでしようか。
それがですね。さっきの点の理解がひとたび得られたならば、その瞬間に、この解決、唯一の現実的で具体的な解決は、実は同時に最も非現実的で最も具体的でない解決だということに気がつくのです。なぜなら、それは実現が不可能だからです。われわれは、政治指導者たちを | |
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信頼できませんし、政党にも信頼はおけません。とすれば、絶望以外の何物も残らない二とになるでしょう。唯一の救いは、過去の歴史の中に、少なくともわれわれを勇気づけてはくれるようないくつかの事例が見られるということです。たとえば、人間はどのようにして言葉を発明するに至ったのかと自問してみることができます。二重母音の発音といった複雑な体系を人間が創りだすことができたということは、われわれの理解を越えています。生命はいったいどのようにして遺伝子のコード を発明したのか。最初の国家はどのようにして生まれたのか。このような問題に対して適当な答えをみいだすことは、ほとんど不可能です。新しい社会はどのようにして建設することができるのか。これまた非常に難しい問題です。
スキナーGa naar eind〔註2〕のことを考えておられるのですか。
いえ、いえ、まったく違います。私は、このような転換は、刺激・反応理論とは正反対のものによって組織されるはずだと思います。普通それは、無意識の、そして非常に深い成熟過程によって、意識的および無意識的な創造力の出会いによって創りだされるのです。こうしてわれわれが「運動」とよぶものが出現するのです。私はこのような運動がただ今必要だと思いますし、それは根本的に新しい性質の運動であって、古典的な政党の型にはまったものであってはなりません。われわれは国際的 な運動を必要としていますが、それは具体的な形をとうて、ある過程を開始させることができるのです......。
心理学的運動ですか。
心理学的、社会学的、そして敢えていえば、実践論的でもあります。しかしこれは決して簡単な事業ではありません......。
異なったいろいろな文化。日本の、アメリカの、アフリカの......。
そうです。しかし、新しい意識がほとんど至るところきわで同じ形をとっているのは際だったことです。ある意味で、生態学的な問題は、統一をもたらすような問題でインク-ナンヨナル・ム-ブメントす。われわれは国際的運動の実例を歴史の中に求めることができます。これまでに四つのインターナショナルが存在しました。これらはみながっかりするような盛衰をみせましたが、それにもかかわらずそれらは存在しました。そしてそのことは、国際的な運動を創りだす | |
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のは不可能ではないということを示しています。しかしわれわれはそれを既存の政党に合わせて作ろうとしてはなりません。同時にまた、この運動を、学者や知識人の単なる集りにさせてもなりません。
そうなったら大衆は除外されてしまいますね。
意識の覚醒を生みだす上では、深い確信は、知的な判断と同じほど効果的です。実際、大衆にすでに生態学的に目覚めています。現代社会において、都市からの逃避の衝動が全般的にみられるという事実には、ほかにどんな説明のしようがあるでしょうか。田舎に家を持ちたいという夢が広く持たれているのは、どうしてなのでしょうか。なぜわれわれは町を離れるや否やお百姓になったようなまねをするのでしょうか。なぜわれわれは週末に気分転換をはかるのでしょうか。なぜ釣りをするのでし ょうか。なぜ猟をするのでしょうか。ここには非常に緊要な肉体的活動の必要があるのです。
田舎に別荘を買ったりするのは、単なるマニアのしわざですが、どうしたら欲求自体を変えることができるのでしょうか。
これは別荘を持つかどうかとか、何かを所有するかどうかといった問題じゃありません。純粋な環境にたち戻るという問題なんです。こういう欲求は増大しつつあります。なぜなら、現代の文明はますます都市的で抽象的になっており、そして人間は自分の人格を傷つけてしまうような人工のリズムに、ますます支配されるようになっているからです。私は、都市の住民ならばだれでも、ある程度の生態学的意識を持っているのだと思います。たとえそれが、ときには無意識のものであっても-という のはこの意識を無視しなければならない必要が存在するからです。この種の無意識の意識-もしそんなふうにいってよければですが-は、ある意味で人類に課せられた巨大な問題から出てきたものです。すなわち、この生態学的意識は人々を唆かして都市から逃がれさせ、次第に逃避的性格を帯びるようになってきたのです。この逃避は、その反対物、すなわち自分自身の自我の回復、に転換されなければなりません。われわれの社会には何かしら新しいものの萌芽があり、これらは、新しい運動の道を拓 くものに転換されなければなりません。つまり、新しいアイデアが結晶し、数十人、数百人、数千人、数百万人の人々によって担われ、実行に移されなけ | |
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ればなりません。これがわれわれの問題です。
しかし科学者、社会学者、心理学者が指導的な役割を果たせるものでしょうか。政治家には何も期待できませんね。ニクソンにしろ、ボンビドーにしろ、スキナーを読んだりはしないですから。それじゃ誰がこの新しい運動を開始するんでしょうか。若者ですか。
そうです。第一に若者です。しかし最も初期の段階では、それは常に、社会の辺境に住んでいる人々、何物かから手を切ろうとしている人々、自分の階級、自分のカースト-これは科学のカーストでもありえます-といったものから手を切ろうとしている人々です。現代科学はきわめて官僚的です。残念ながら、今日の科学からは何物をも期待できません。科学の実際面での成功は、目的や価値といったものから完全に自分を切り雌したおかげなのです。この分離の過程がもたらした結果はめざましいも のでしたが、予期せざる副次的効果もありました。科学と科学者は、目的や価値に関するあらゆる問題を無視しがちになったのです。このような流れの中で、科学それ自身が、自分自身の特殊分野の外部での、目的や価値の対象になってしまいました。いいかえれば、科学が社会の弁証法的過程の一部となったのです。かつて科学は、何ごとでも解決できるものだと一般に信じられた時代がありました。それは一九世紀のおわりでしたが、ルナンGa naar eind〔註3〕が科学の未来を論じたのはこの時期のことでした。科学の全能についてのこの素朴な信仰はきわめて長く持続しました。とりわけアメリカで。アインシュタインでさえ、入類に警告を垂れる賢明なる予言者といったイメージに従った生き方をしていました。しかし実際には、アインシュタインば彼の世代の科学者の中で、その種の役割を演じえた唯一の科学者でした。事実、モーゼのようなアインシュタインがエレミヤのようなオッペンハイマ ーGa naar eind〔註4〕に変身するのに数年しかかかりませんでした。オッペンハイマーはある意味でアイソシュタインの後継者ですが、彼はもばやモーゼではなく、エレミ ヤGa naar eind〔註5〕となり、権力を握ソった人々が原子爆弾を作り、それが人類の絶滅の脅威になっていることを嘆き悲しんだのです。そして私は、われわれはすでにエレミヤの時代、つまリオッベンハイマーの時代、を過ぎ去り、ヨ ブGa naar eind〔註6〕の時代に達していると思います。科学者たちはふんの山の上に座っているようなものです (訳注-「お山の大将 | |
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です」といった意味にもなる) 。なぜなら彼らが生みだした素晴らしい発明品はみな、人類の排泄物にすぎないことがわかったからです。そして彼らもこのことを自覚し始めています。科学の発明品を前にして、それを作りだした科学者ほど攻められやすくあわれな存在はありません。だからこそ彼らは、自分の地位や身分や特権という小さな官僚的な世界の中に閉じ込もっているのです。科学者が人類を啓蒙することができるという伝統的な考えは誤っています-誤っているどころではなく、全くの気ちがいざたです。自分のまわ りの世界を眺めてごらんなさい。以前には見られた特権階級への支持が今やなくなっていることがわかります。一八世紀には知識人は特権階級とみなされておりましたが、今日では、知識人の世界は、天才的な物事がそこからでてくる宇宙ではあっても、それは他方ではまったく神経衰弱的なものです。そのような世界から問題への答がでてくると考えるのは狂気の沙汰です。事実、われわれは、知識人が光をもたらすとはもはや信じていません。労働者階級もまた、特権階級であり真理の護持者であ るとみなされてきました。しかし、労働者階級は、進歩の弁証法的過程において非常に重要な役割を演じはしますが、彼らもまた、光はもたらしません。おまけに、ブロレタリアートの神話の旗ふり人たちは、自分自身の理論にたいした価値を認めていないために、労働者に自分のアイデアを押しつけようとして、ありとあらゆることをしました。要するに今や特権階級といったものは存在しないのです。特権的民族もいなけれぱ、特権的な人々もいません。だからこそ私は、人類が常にそこから出発 してきたところのものからあらためて出発しなおさなければならないと考えるのです。すなわちそれは予言者たち、仏陀、モハメド......。
そして、新しいマルクス......
......あるいはマルクス。予言者たちは常に、まず第一にはただ考え始めた。それから自分の考えをひろめ、弁護しました。そして彼らの洞察を分かち合おうとする用意のある人々を見出しました。ニーチェは次のようにいっています。「私は誰のためにも書かないが、しかも万人のために書く。」今こそわれわれは、万人に訴えかけなければならないのです。 |