Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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53 アレクサンダー・トローブリッヂアレクサンダー・トローブリッヂ (Alexander Trow-brdge) 氏は一九六七年から六八年まで、リンドン・B・ジョンソン大統領のもとで商務長官をっとめた。 マサヂユーセッツ州アンドーバーのフィリップス・アカデミーおよびブリンストン大学で学んだ。実桑人としての経歴は一九五四年にカリフオルニア・テキサス石油会社への入社に始まる。一九五七年から六三年までエッソ・スタソダード石油会社に勤務し、一九七〇年には、ニューヨーク市の両院協議会 (The Conference Board) 議長に任命された。
『成長の限界』は、ローマ・クラブが後援したものですが、次のように説いています。すなわち、緊急に必要とされている規制のないままに無統制の成長を続けるのは、地球は有限の球体ではなくて無限に拡がる平面だと考えるようなものだ、と。この技術的産業的な世界は, 『成長の限界』のような研究やそれに続いて計画されている研究に慎重な注意を払うことが必要だとお思いですか。
『成長の限界』にみられるようなこの種の挑戦ば, 一つの警告的信号であり、また絶えず広がっている各界での討論の刺激剤となります。ですからそれが必要なものであり、重要な意味をもっていることは疑いありません。いま私は「討論」といういい方をしましたが、この研究が発見したことをめぐって真剣な議論がたたかわされているのですから、「論争」といった方が適切かもしれません。口ーマ・クラブの研究は、次のような問題点に関して広汎な論争をまきおこしました。すなわち、この分析が行なわれた過程それ自体、技術の与える影響を 過小評価している点、決定因子としての価格機構にふれていない点、などがそれです、けれども、長期の予測や計画の必要性は誰しも否定できませんし、しかも、この種の予 | |
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測から引き出される重大な意味をもつ知見がもし正しいとすれば、それに基づいて即刻行動をおこす必要があります。たまたま私自身は、『成長の限界』が想定している陰うつな指数的成長曲線が示唆しているよりももっと楽観的な期待を、人間の問題解決能力について抱いています。過去にも同じような予言が何度かなされましたが、人類は常にそれを乗り越えて生き延びてくることができました。それは、人類の理性的な存在としての能力によるものです。われわれが今日直面している問題は 解決がずっと困難なものではありますが、それらを解決するための技術的な装備自体、今日では以前よりもはるかに秀れたものになっています。大切なのは、解決しようという意欲なのです。また、実業界では、企業の社会的責任という考え方が拡がり、経済活動の社会的影響に対する認識も深まっていますが、私はこういった動きに感銘を受けています。両院協議会と連合している大企業といっしょに仕事をしてみて、アメリカでも他の諸国でも、このような状況が生じていることがよくわかりまし た。経営者もまた、政治的社会的安定と経済の力強さとは不可分に結びついているという認識に立って、その活動を、全体としての社会的・政治的・経済的な枠組に適合する方向にますます向けるようになっています。会社の業績を判定する際の「最低線」は常に経済面での考慮によって決められるでしょうが、企業の活動の社会的価値を測定しようとする新たなより広範囲にわたる基準も、ますます重要になっていくことでしょう。民間部門の経営陣が、経済的繁栄を追求するばかりでなく、社会的 ・政治的な健全性を助長する途を追求する仕事にもたずさわる点に、私は真の希望を見ているのです。
ローマ・クラブの報告が初めての試みだということはわかりきっているのに、アメリ力の経済学者のほとんどが、価格機構とかモデルの綱目の問題に閥して、この報告を強く批判しているのはなぜだとお考えでしょうか。なぜ、時には理不尽なまでの拒否がみられるのでしょうか。
率直に言いますと、『成長の限界』が強い抵抗を引きおこしたとしても驚くべきではないのです。われわれのものの見方はまだまだひじょうに経済中心的であり、新たな物質的富の開発を強く期待しています。そんなところヘ一つの研究が発表されて、その種の期待の先行きは明 | |
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るくないことを予示し、しかも経済成長の追求を支えている論拠そのものに正面から挑戦したとしたら、それへの反発が強くて、活発な論争がおこることはよく理解できると思います。さらにぺっの理由もあります。それは.『フォーリン・アフェアーズ』誌のカール・ケイセ ンGa naar eind〔註1〕の論文に代表されるような多数の批判者の見解ですが、現在ただいま多数の虎がうようよしているという時に.未来の狼のことを嘆いている暇はない、ということです。ケイセンは、国際通貨制度や先進国と開発途上国との間のギャップのような、重要な当面の問題から注意がそらされることを恐れているのです。『成長の限界』流の世界の終わりが目前にせまっており、したがって優先順位と主要な努力目標を、現存の緊急の問題から将来の可能性の問題に向け かえ、再調整しなければならない、とわれわれが信ずるとすれば、それは間違っている、というわけです。ケイセンに代表されるこのような見解は、あまり長期的な見通しにたったものとはいえないかもしれませんが.確かに理解にしうるものです。
ところで、マクナマラ氏は、一九七二年九月二十五日.世界銀行で重要な演説をしました。海外援助の観点からみると、開発途上国は現在、すでに七五〇億ドルを富んだ国々から借リています。開発途上国は、その借リ貨として年約七〇億ドルを支払わなければなりません。第三世界はー体どうやってこのわなから脱け出すのでしょうか。
この種の多額の負債は、返済をずっと引き延ばすか、それとも何らかのモラトリアムの形で無効を宣言するかしなければならない、ということは十分ありえます。国際的な諸機関や他の諸国に重い負債を負っているために、どうにも難局から脱け出すことができない国がいくつかあることは明らかです。とはいっても、例えば、ブラジルやインドネシアのように、うまく転機をっかんだ例もあります。イソドネシァは依然として莫大な負債の重荷を負っていますが、その政治的安定性は改善された結 果、新たな民間海外投資の関心の的となることができました。第二に、先進諸国同士が開発途上国に有利な一般特恵貿易協定体制をつくり出すことで合意に達することがでぎるならば-これがどうにもつかまえどころのない目標であることは確かですが-開発途上国の収入機会は増大し、したがって、払い戻し額もふやせるよう | |
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になるでしよう。 正当な希望をもてる分野は他にもあるかもしれません。先進諸国では、国民総生産および充用労働力の大部分が経済のサービス部門に移りつつあります。アメリカではGNPの六〇バーセント以上が、サービス・流通産業、政府、および教育の分野で生み出されています。労働力の五○バーセント以上が、非製造業、すなわち非工業部門にいます。日本や他の多くの先進諸国でも、サービス部門の成長には著しいものがあります。同時に、先進諸国のインフレ傾向も風土病的といってもいいほどになったよ うです。以上二つの要因によって、民間海外投資の開発途上国への流入に絶えず増加し、その結果、開発途上国は、産業構造の選択やインフレのために国際競争力が減退した先進諸国に対して、低コストの最終製品を輪出することができるようになり、開発途上国の外貨稼得能力も増加するだろうと、私は推測しています。
SIPRI(ストックホルム国際平和研究所) の報告によると、一九六一年以来アメリカは、ナバーム爆弾だけで三三万八千トンを用しました。第三世界の軍備競争はますます進行中です。また、マクナマラ氏の報告によると、どの富んだ固も-アメリカはイタリアに次いで最低なのですが-この地球上の貧しい人々の援助のためにGNPの一バーセントすら支出していませ んGa naar eind〔註3〕
日本のしているように、開発途上国向けの民間部門の開発投資総額を含めないかぎり、事実、先進諸国の対外援助はGNPの一バーセントの目標に達していません。この目標は、政府の公約ないし予算措置を反映したものではないので、国家的努力の一部に組み込まれているとはいえませんが、それでも開発過程の一端を表わすものではあります。 軍事費の支出がきわめて大きいとあなたはいわれました。この点でも楽観的過ぎるくらい楽観的かもしれませんが、私は、強国間の関係がこの二年間に急速かつ実質的な進展をみせていることに感心しています。米・ソ関係および米・中関係は大きく変化しました。さらにドイツの暫定協定もなかなかのものです。これらは実に印象深いことでした。千年王国がやってきたとか、敵対関係や根深い哲学的・政治的な差違が突然なくなったとか考えるのは、馬鹿げているでしょう。しかし、確かに緊張 | |
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の著しい緩和がみられました。べトナム問題がひとたび解決されれば、緊張はさらに緩和されるでしょう。一九四五年から一九七〇年までの状態と比べると、一九七一年と一九七二年にみられた進展にはまことに驚くべきものがあります。もしわれわれが賢明に対処するならば、将来の国際関係は軍事支出を減少させる真面目な会をつくり出してくれるでしょう。SALT(戦略兵器制限交渉) に加うるに、在来兵器に関する東西相互均衡兵力削減交渉-これらはすべて、公的な資源を軍事目的から究極的に解放して開発途上国へ積極的に振り向けることを可能にし、持てる国と持たざる国との間のギャップの縮少を約束するものです。 主な問題はわれわれの音意志如何にかかっています。先進諸国、特にアメリカは、今でもマーシャル・プランの時代や、一九五〇年代や六〇年代に信じていたように、このギャップを埋めることが、アメリカの長期的な利益にかなうことだと信じているのでしょうか。アメリカやEEC(ョーロッバ経済共同体) や日本やカナダの経済的ナショナリズムの力を見逃すことはできません。それは国境を越えて流れ出し、われわれすべてを孤立主義と経済的停滞の時代につれ戻しかねないのです。われわれは、いろいろな面で指導の重責に疲労困憊しています。こうした疲労困憊に敗けないようにするためには、最良の政治的実業的指導力が、すべての国で必要とされましょう。けれども人類が生き残るためには、このギャップを着実に一貫した基盤に立って埋めていかなければならないのです。 |