Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
[pagina 308]
| |
36 アルバ・ミュルダールグンナー・ミュルダール教授夫人、アルパ・ミユルダール (Alva Myrdal) 女史は、一九六六年以来、教会および軍縮問題をあずかる大臣である。 一九〇二年、スウェーデンのウブサラで生まれた。ストックホルム、ロソドン、ライブチッヒ.ジュネーブで学んだ。一九四九年から一九五〇年まで、ユネスコの社会学局長。一九五五年から一九六一年にかけて、スウェーデンの駐インド大使。一九六二年以来は、ジュネーブ軍縮議におけるスウェーデン首席代表をつとめている。また一九六二年から一九七〇年にかけてスウェーデン議会上院議員でもあった。 グンナー・ミュルダール氏との数々の共著の他に、女史は、『圏家と家族』 ‘Nation and Family’ (1941), 『戦後の計画化』 ‘Postwar Planning’ (1944), 「貧しい人々に対する責任』‘Our Responsibility for the Poor Peoples’(1961), 『軍縮-現実かユートビアか?』 ‘Disarmament-Reality or Utopia?’ (1965) を蓍している。
ジュネーブ軍縮会議の委員であるあなたは、一九七二年の二月に、過去十八ヵ月の間にまたしてもこの地球上で六十回におよぶ核実験-中国が三回、フランスが五回、アメリカが十六回、そしてソ連が何十回か-が行なわれたことについて警告されましたが。
それはまさに停止させねばならない一つの開発 (核兵器開発) です。真に罪があるのはたった五つの強国です。私は危険がそれほど大きいとは思っていません。しかし、彼らは核兵器の殺傷力を今までよりもさらに強いものに改良しようとして、これらの核実験を行なっています。これはもちろん、彼らが競争していることを意味します。彼らはまた、自国の巨大な資源を占有化しつつあります。世界資源の大きな部分が殺戮の道具を完全なものにする目的で消費されているわけです。たとえ、核戦争がおこらなくても、また、核実験による核爆発が人間 | |
[pagina 309]
| |
の健康に無害だとしても、この種の競争を余儀なくされている結果は、人類全体の利益-他の国々の人々の利益はもちろんこれらの強国内の人々の利益すら-をそこなうものとなります。
イワン・イリッチは、近代兵器は、それらを絶滅することによってのみ、文明やいわゆる自由を守ることができるようになると書いていますGa naar eind〔註1〕。あなたは、例えば戦略兵器制限交渉 (SALT) はロケットの核弾頭のいっそうの増加を阻止しうるものではないという考えに賛成なさいますか。戦略兵器制限交渉はひとつの協定に達遣しましたけれども、ストックホルム国際平和研究所はそれについて「化粧用の協定」という言葉を使っています。人類は非常に厳しい状況に直面しているのではないでしようか。
そのとおりです。戦略兵器制限交渉の協定は、二大陣営が何らかの合意には達しうることを示している、という観点からは好ましいものです。しかし、あの協定は、防御用戦略兵器に関してさえ、協定で定められた制限数量に達するまで両陣営のABMを増加させることを意味しています。しかも、攻撃用戦略兵器に関しては、個々のミサイルにより多くの核弾頭を装備できるといったように、量的な面でさえ制限が加えられていません。さらに, 質的な面での開発を行なうことも可能です。彼らのいわゆる改良には終りがありません。また量的な増加に関してもなんの制限もないわけです。この分野は競争のままにまかされているのです。核兵器の増加にソ連においてもアメリカにおいても非常に巨大であり、したがってそれはまた、中国の追随しようとする試みを刺激することにならざるをえません。少なくともこの三つの世界的強国は、その破壊的競争を止めようとするきざしを今のところなんら示していないのです。
換言すると、彼らは今、量から質へと進んでおり、気違いじみた競争が現にどんどん進行しているというわけですね。
そう、彼らは着々と質の改良を進めています。彼らが何らかの制限を置こうと試みているのは、量の面での制限だけなのです。ところが、量の問題は、質のそれに比べればそれほど悪質なものではありません。なぜなら、もしもっと大量の核兵器を生産すれば、設備、鉄、電力、その他の資源を使ってしまうことになります。他 | |
[pagina 310]
| |
方、もし質的な改善競争を続けるならば、もっとずっと多量の人間の頭脳を他の部門からひきぬいてきて利用することになります。それには研究・開発が必要ですものね。私は、この世界ではたとえば電力といった資源に比べて、頭脳力の方がはるかに稀少な資源であると信じています。貧しい国々が何よりも必要としているものは、いうまでもないことですけれども、これらの国々自身の問題-破壊の問題ではなく建設の問題-のために働いてくれる何十万人という科学者なのです。
その点に関する意識の高まリが何かみられましょうか。何か変化はおこっていますか。フルシチヨフとケネディの間に結ばれた大気圏内核実験停止協定の現実的な意味はどこにあったのでしょうか。地下核実験の方は、地球と人類を危険にさらしながらそのまま続けられることになったのですが。現在では、いわゆる戦略兵器制限交渉による暫定協定が締結されていますが。
核実験禁止に関するフルシチョフ・ケネディ協定ば、とりわけ軍備競争の沈静にとっては、何の意味もありませんでした。まったくの無意味な取決めね。彼らは従来どおりのことをそのまま続けている。私は、軍事関深者がその態度を変えないかぎりこの競争には真の終りはこないと見ています。他方、科学者たちの方は、いま態度を変化させつつあるところだと思います。例えば、科学者の側からは化学兵器のような仕事に非常な不快の念が表明されていますね。現在進行中の仕事に批判を加える ようにもなってきました。原子科学者の中にさえ、偉大な英雄は常に見られたのです。たとえばオツペンハイマ-Ga naar eind〔註2〕のように、自分たちがしてきたことは正しかったのかという疑問を呈する人たちがいたんですわ。
そうです。ソ連のサハーロフGa naar eind〔註3〕もそれですね。
ソ速にもサハーロフをはじめ何人かのそのような学者がいます。彼らはスウェーデンの会議に来たことがありますが、最近、すべての科学者は少なくとも生物学兵器の仕事を中止することに同意すべきだ、と述べています。科学者たちが現在の状況に反逆するようになるという点には、大きな期待がもてます。彼らは、このような状況に反逆するように世論を盛り上げていくでしょう。そしてそれが政治家に影響をおよぼすことになるでしょう。そうなった時には、こんどは政治家や為政者たちが | |
[pagina 311]
| |
軍部に対して権力を行使することになればよいと思っています。
ということは、科学者が人々を動かして政治家に必要な手を打たせるようにするということですね。
そう、そのとおりよ。人々は、自分ではエネルギー源をもっていません。マスメディアやテレビによってものもいえなくさせられているんですもの。人々は、優越性だとか国家的体面だとか、われわれは最も偉大であらねばならないとかいった、イデオロギーの方をずっと信じ込みゃすいんです。そんなものはまさにナンセンスなんですけれど。どの国も最も偉大な国になることなんて、どっちみちできっこないわね。むしろみんなが一致団結してこの地球をせいぜいよく利用するよう試みるほうが ずっとましです。
このほど初めて, MITのフオレスターGa naar eind〔註4〕 のチームが地球モデルの作成を試み、それによって、生残るためには何をせねばならないか、すべての生物に打撃を与えるような要因相互間の関係が実際にはいかなるものであるかを研究しようとしています。
そう、もしあなたが初めてのという言葉を強調なさるのでしたら.それはたいへん結構なことだと思います。あのモデルは多数の人々にとって興味ある分野を開拓しました。でも、あのモデルに、その結果にもとついて行動をおこせば足りるほどのものだとはとうてい思えません。むしろ.選択可能なさまざまの未来の姿を批判的に吟味するための研究の出発点をなすものだと思います。スウェーデンでは、この分野について非常に興味がもたれています。私たちは小国として、もちろん、大国、超強国 、とりわけ軍事的観点からするこれらの国々の計画を恐れています。多国籍企業や巨大企業などは、世界の未来を彼らの利益にあわせて計画するでしょう。実際には、彼らは、私たちの未来をも計画していることになるのです。私たちは、彼らの活動に影響を与えたいと思います。スウェーデンは、いくつかの研究チームを編成して、計画の分野での既存の研究成果を学びとり、さらに私たちの国にそうするだけの十分な資源が存在するいくつかの部門では、それに積極的に貢献もしていけるようにな ることを切望しています。私はちょうどある公的な委員会の議長をつとめたところですが、そこでは、スウェーデンでの未来研究をどのように行なうべきかが審議 | |
[pagina 312]
| |
され、報告書が作られました。未来を考えるにあたっては、公衆の利益、地方の利益、州の利益、各種団捧の利益を忘れてならず、またそれらの利益がそれぞれバランスのとれた形で実現されるようにつとめねばなりません。しかも同時に、未来の世代の利益をも考慮の中に含めねばなりません。あまりいろいろのことを決めすぎてはなりません。必要以上に未来の世代を束縛してはなりません。未来の世代が自分で決めることのできる部面を、なるべくたくさん残しておいてあげねばなりません 。この点は計画にかかわるあらゆる問題を非常に困難なものにする主張ではありますが。
『ニューヨーク・タイムズ』紙はバージニア大学のメイソン・ウィルリッジ敦擾の貫葉として、やがてギャンヴや悪人たちが手製の核爆弾を作って人類をおびやかすようになる日が来るだろうと警告しました。
その可能性はあります。暗殺者や盗賊はそれを実用化する潜在的可能性を私たちが考える以上に大きくもっています。化学兵器、例えば毒ガスなどについてもそうです。小さな手紙の形で、いろいろな国のいろいろな人々に爆弾が郵送されているという例はご存知ですね。それらは大多数の人々にとっては実際的な影響をもたないかもしれない。でも私は、個人による、あるいはギャング団による非道な計画の実現可能性については、今まで以上に真剣な考慮を払わねばならないものになっていると 思います。例えば、ストックホルム国際平和研究所では、ちょうど今すべての化学兵器についての研究をまとめたところです。研究所が最近公表した九〇〇頁にのぼる広汎で読者を悩ますような研究、『第三世界との兵器貿易』 (The Arme Trade with the Third World) のことは、きっとご存知でしょうね。
はい、私は所長のフランク・バーナビー博士にお目にかかリましたし、この重要な研究を記事にもしました。と二ろで、あなたは、われわれが本当に破滅してしまう前に、科学者たちが人類を十分に目覚めさせうる望みがあるとお考えですか。
いいえ、希望がもてるとに申し上げかねます。しかし、有望でないからといって手をこまねいて破滅を待つ必要はありません。私は、これらの問題を多少とも理解しているすべての人は、意見を述べる義務があると信じています。とりわけ、小さな中立国にいる私たちのよう | |
[pagina 313]
| |
な人間、つまりどちらの側に対しても気兼ねする必要のない国の人間には、自分の眼にうつるがままの真実を、長い眼でみればそれが世界の動きに影響を及ぼしうるという期待の上にたって伝える特別な責任があるといいたいのです。もし理性への信念を放棄してしまうならば、もはや信ずべきものは何もなくなってしまうんですもの。 |
|