Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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16 アレクサンダー・キングアレクサソダー・キソグ (Alexander King) 博士は、一九六一年以来、パリのOECD(経済協力開発機)の科学局長である。 一九〇九年、イギリスのグラスゴーで生まれた。ロンドンのインベリアル・カレッジ・オブ・サイエンスおよびミュンヘソ大学で化学を専攻した。第二次大戦中は生産大臣の副科掌顧問として活躍し、一九四三年から一九四七年までワシントン英国科学代表団主席、駐米英国大使館科学参事官を歴任。一九四七年から一九五〇年までロンドソの内閣科学官房長。 一九六八年、ローマ・クラブの創立メンバーのひとりとなる。
『成長の岡界』についてOECDや国連各組織の科学者の反応はどのようですか。
きわめて種々雑多ですが、あまり語りたがらない者が多いですね。一般大衆と同様、科学者も、これについては非常に意見がわかれています。既得権をもつものとしては当然のことともいえますが、科学者たちは、「技術的調整」で何もかも解決できると考える傾向がありますが、それでも、時間の要素の重要性についてだんだん考えるようになってきました。ご承知のとおり、今やわれわれは、科学政策は謎済政策や朴や会政策と一体となって進められなければならない、という点で意見が一致し ています。しかし、現在の新しい概念上の発見も、工業生産物あるいは新しい社会的革新という形でそれが実用化されるまでに、一〇年ないし一五年を要します。つまり、たとえ科学が今日の諸問題に向けられたとしても、一五年のおくれをとってしまうことになるわけです。そのようなことでは科学にに、創造的刺激者というよりもむしろ一種の修繕人としての役割が残るにすぎないでしょう。したがって、『成長の限界』が科学者に対してもっ重要性は | |
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-といってもその点の理解はごく最近浸透しはじめたことにすぎませんが-科学者にもっとずっと先を見こした計画を立て、もっとずっと遠い先の問題について経済学者や政治家と一緒になって見ていかなければならない。さもないと、その行きつくところは時代おくれとな ってしまうということなのです。しかしながら、私も多くの同僚と同じ意見ですが、『成長の限界』では、技術的要因が少し過小評価されすぎているきらいがあるような気がするのです。技術にはもっといろいろなことが可能ですが、とにかく、すべてはエネルギーがどれだけ豊富にえられるかにかかっています。
あのモテルにはもっと厳密なアブローチが必要だとティンベルヘンGa naar eind〔註1〕 教授が言っていますが。
もちろんそのとおりです。だれもあのモデルが完全だとは考えていません。著者たちでさえそうです。経済学者の感情的な反応-それは彼らが奮起すべき潮時であることを示しているのですが-とは別に、私が非常におどろくべきことだと思ったのは、非常に多数の人々が、この新しいアブローチ、先駆者的アブローチ、新しい分野におけるこの最初の研究によって、あらゆる解答が用意されるはずだと考えたことです。それは、科学進歩の全パターンに反することです。それは、感情的な反応であって 科学的な反応とはいえません。この研究は新しい分野への扉を開くものではありますが、それ以上のものではありません。しかし、そのこと自体が大変なことなのです。この研究にひき続いてティンベルヘンとそのチームやその他多くの人々によって同種の研究が行なわれ、さらに多くの情報が次第にえられ、確実性がいっ そう高くなり、政治的行動に移せるまでに具体化されていくでしょう。
B・F・スキナーGa naar eind〔註2〕と、論争をまきおこした彼の著書『自由と尊厳を超えて』について話した際、彼は、人々が本の読み方というものを知らないために、論評の八〇から九〇パーセントはどうしようもないものだつた、といっていましたが、二れは『成長の限界』に も当てはまリ宮すか。
もちろんです。私がこれまでに眼を通した悪い論評のほとんどは-粟は、良い論評のなかにもそういうものが見られますが-どれもこれも、必ずしも本自体を読みもしないで、もっばら先入観によって書かれているこ | |
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とが明らかです。例えば、あの本自身、何度も何度も、これは未来学の本ではない、未来を予測しているのではない、われわれが変更を加えなければ何がおこるかを言っているだけだ、とくりかえし述べています。それなのに、非常に多くの評者たちは、この本の予測はけっして実現しない、そうならないようにするための変化が常に生ずるのだ、といいます。ところが、この本の目的は、まさにそのような変化を呼びおこす点にあるのです。彼らがこの本を読んでいないのは明らかですね。
あなたが親しくされている第三世界の科学者たちや、東欧、社会主義諸国の反応はどうですか。
これは非常に興味深い問題です。第三世界諸国が一般に認識されている以上に不安定な位置におかれているような状況をこの本が暗示しているため、低開発国では、科学者ばかりでなく一般にものを考える人のだれもが、最初は好意的な反応を示そうとはしなかったのは明らか です。彼らにしてみれば、反感を持たざるをえなかったわけです。あの本は、一種のみえすいた新植民地主義、自分のすみかを汚してしまったくせに、それでもなお自分の地位は強化し、同時に他のすべての活動はやめさせたいという金持の反動的な反応のようにも読めるのです。しかし私自身の経験からいえば、特にローマ・クラブがリオデジャネイロで行なった討論会の後では、低開発諸国の立場の代表者としてのラテンアメリカの科学者たちは、そのあとしばらくして見方を変えるようになり ました。彼らは、あの本には、われわれが直面せざるをえない基礎的事実が述べられていることに気づいたのです。ラテンアメリカの研究者たちは、カナダからの資金援助をうけて-この援助は、ローマ・クラブがこの人々のために受けたものですが-研究をさらに深め、しかも、彼ら自身の視点からこの問題を検討しようとしています。これは大きな前進であり、ローマ・クラブとしては、きわめて喜ばしいことだと考えています。
あなたはリオの話をされましたが、ストックホルムではGa naar eind〔註3〕経済成長に偏見をもたせるような生態学的閤心は許せない、とプラジルが主張しましたが。
それは自然な傾向ですし、十分理解しうる立場です。大きいが空腹な国にとって、長期的未来を優先させたり、おそろしく望ましい経済的利益を棒にふってまで生態学的被害に注目したりするのは、とてもむずかしいこ | |
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とです。これはすべての個人やすべての国家が目前の利益と、より長期的な安全に関する利益との間にもっている、避けがたい精神分裂的性格なのです。
キング博士、いまや世界は環境同題を政治問題として自覚するにいたったとお考えですか。
その通りです。私たち、特に、アウレリオ・ペッチェ イGa naar eind〔註4〕と私が、政治指導者やその他の人々と話してみて感したことですが、政治体は総体的な問題に関する認識を次第に深めつつあります。環境問題それ自体、つまり汚染の問題はいちばんの注目を集めています。恐らくそプコブレアリイコケの理由の一半は、ローマ・クラブが「問題複合体」と呼んでいるこの複合体のなかでは、汚染の問題が最もわかりやすい部分だということにあるでしょう。それらは、技術的、経済的にみてそれほ ど巨額の費用をかけなくても解決されうる問題であって、「プロブレマティーク」の中ではもっとも解決の希望が大きくもてる側面をなしています。しかし、政治家諸公が、社会経済的な問題や資源の枯渇問題、産業の諸問題などを直視し、長期的視野に立ってそれに立ちむかうかどうか、またそれが、本当に消耗と浪費の経済を終わらせる第一歩となるかどうか、この点はまだわかりません。
そう期待しておられるのですか。
ええ、期待はしていますが、十分な時間的余裕があるかどうかがわからないのです。
あなたは、ローマ・クラブの発起人として、アウレリオ・ベッチェイ氏といっしょにたくさんの仕事をなさってきたわけですが、カナダのトロントにある、ヨーク大学のウィリアム・トムプソンGa naar eind〔註5〕教授は、『ハーバーズ・マガジン』誌で最近次のように述ベています。「ベッチェイは新しい集権的秩序を捜し求めている多国籍企業家のよい例である」Ga naar eind〔註6〕と。ベッチェイ氏についてのあなたの印象はどうですか。
私は、アウレリオとは長年の知合いだし、もう何年も一緒に仕事をしてきました。事実、ローマ・クラブの構想はすべて、この部屋Ga naar eind〔註7〕でわれわれ二人の間ではじまった討論から生まれたものです。私の見るところでは、彼はユニークな人間であり、残念ながら多国籍企業家の典型とは申せません。というのは、多国籍企業の一般の巨頭や官僚的幹部たちは、ほとんど不可避的に会社の仕事だ | |
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けにもっぱらしばりつけられているからです。とはいっても、世界的規模の活動に従事している多国籍企業では、より全地球的規模で物事をみており、したがってより深い理解ともう少しより長期的な考え方がそこからでてくると期待してよいのではないか、という点は私も賛成です。 ペッチェイ氏はともかく例外的存在で、世界が直面している困難という問題を何よりも重視しています。彼は、私が一生で出会ったうちで最も献身的な人間だと思います。彼はこのために生きており、彼の動機たるや、私に言わせれば、私の今まで会った人間のだれにもひけをとらないほど純粋なものです。彼は非常に勤勉で、自分の時間の大部分をこれらのことに捧げています。彼こそ真の世界的し視野をもった人物です。彼がいかなる意味でも多国籍企業を代表しているわけでもなければ工業国 を代表しているわけでもないことは確かです。彼は、われわれが育成していきたいとは考えているが、容易ではないところの世界精神をすでにもっている、数少ない人間のひとりなのです。
氏は以前、「自分の子供や孫のために、いったいこの仕事をおいて他に何がしてやれようか」と私に語ったことがあります。
そうです。全世界の市民がそういう視点に立ってくれればよいのですが、なかなかそうもいきません。そこがペッチヱイ氏と他の人との違いです。彼の関心は人類の未来にあるのです。 |
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