Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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9 ジョン.プラットジョン.R.プラット (John R. Platt) 教授は、ミシガン州アナーバーにあるミシガン大学の物理学の教授であり、生物物理学の研究者である。この対淡は、カリフォルニア州スタンフォード大学にある行動科学高等研究センターで行なわれた。教授は、一九七二年十二月にはそこでの研究に従事していたである。 ジョン.R.プラットは、一九一八年フロリダ州ジャクソンビルに生まれ、一九四一年ミシガン大学で物理学の博士号をえた。各地で教鞭をとったあと、一九六六年、物理学教授としてアナーバーに戻った。ブラット教授はまた、ローマ.クラブの会合にも定期的に出席している。 その有名な著作の中には次のものがある。『科学の感激』 (一九六二年) 、『人間へのステップ』 (一九六六年)Ga naar eind〔註1〕、『知覚と変化-未来の予測」 (一九七〇年) 、『社会の変換について』 (一九七二年)Ga naar eind〔註2〕
プラット教授、あなたは行動科学者の立場から『成長の限界』をどうごらんになりましたか。
長年にわたって私は、社会に一つの問題があると感じてきました。それはごく最近まではわずかの人々しか認めようとしなかった問題です。その問題というのはわれわれが今大きな世界的転換を経験しつつある、ということです。これは独特のものです。このような規模の転換を経験するということは、人類の歴史において最初のことであり、そして唯一のことです。それはきわめて大きな転換ですから、いわば一〇回の產業革命や宗教改革を全部あわせて一つにしたものよりもはるかに大きく、し かもそのすべてが、この二十年ぐらいの間におこっているのです。
あなたはフォレスターのモデルが、この惑星を運営していくための学問をつくる方向に一步ふみ出すことになつていると思つていますか。 | |
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ええ、その点は認めます。
行動科学の角度からみると、あれは、社会的交互作用のモデルというよりは、数値計算をしただけのモテルになっていませんか。 さあ、多くのことが並行して行なわれなければならないでしょう。われわれは同時に事を進めていかなければなりません。意識の高揚、世界の教育、低開発国の產業発展、行動科学的研究、予測などです。われわれはきわめて多くのことを並行して行なわなくてはなりません。人間社会は少なくとも自動車程度には複雑です。ジュネラル.モーターズの典型的な自動車は、一万五千の部品から成り立っていて、その各々が設計され、組み立てられなければなりません。社会は少なくともその程度には込 みいっています。われわれは社会の一万五千の諸側面について並行して作業をすすめる設計者と研究者、建築家を必要としています。そして、それらの作業が一つに組みたてられなければなりません。この点からみると『成長の限界』はまさに荒けずりの第一歩であって、全地球的構造がどうなっているか、将来それはどのような結果をもたらすか、そしてもしゎれゎれが生きのびてぃこぅとすればどれだけのことを調整していかなければならないか、を明らかにしようと試みたものです。
どうやって「地」を改造しますか。マーシャル.マクルーハンGa naar eind〔註3〕のいい方ですが。
過去三十年来のこの革命はすでに巨大な変化をうんでいます。それはあらゆる社会制度を、以前とは似ても似つかぬものに変化させつつあります。じっさいわれわれは今この変化を眼のあたりにしているのです。変化しているのは農場、銀行、產業、軍隊、警察、法律制度、民族、国家、国際関係、家族、学校、などで、これらのどれ一つをとっても巨大な変動のまっただ中にあります。上に教会のことをあげましたっけ。教会も同じです。あらゆるものが巨大な変動の中にあります。 一例として家族の変化を問題にしてみましよう。一般向けの書物や雑誌の中で毎日あるいは毎週目にすることができるでしようが、家族が変わらなければならないとか、集団生活の方法を見い出だす必要があるとか、核家族の制約から脱しなければならないとか、コンミューン的な生活樣式を見出ださなければならないとか、いたるところでそういつた議論がされています。これらすベての | |
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記事が、じっさいにコンミューン的生活をもたらすことになるのかどうかは私も確言できません。しかしこのサンフランシスコ近郊一帯でも、昨年の夏には四万人ほどの人々がコンミューンで生活していると推定されました。正確には数えられないんですが。というのは彼らは、数えようとすると姿を消してしまいますから。しかし彼らは、十八歳から三十歳の間の人々の約五バーセントに相当すると推定されています。これは相当の比重です。たしかに過半数ではありません。しかし相当数の人人 が新しい家族生活の様式や新しい道徳的価値、そして環境と調和した新しい生活様式を実験しつつあるわけです。この実験者たちの一部は農場に住んでいます。また、都市に住み、アバートに住んでただ家賃を出し合うだけのものもあります。その中にはフリー.セックスを実行している人々もいますが、初期のキリスト教徒のような生活を営んでいる人々もいます。つまり、原始キリスト教徒がしたように、共同の食事をし、お互いを愛し合おうとしているのです。たいせつなのは、これが実験だと いうことです。しかも、この実験はヒツビーや大学教授から実業家にいたるひじょうに広い範囲の入たちによつて行なわれています。この運動をごらんになれば、それが青年層だけに限定されているものでは決してないということがおわかりでしよう。それは、家族とは何か、家族とはいかにあるべきか、そしてこの新しい社会では、人々がいかに自由かつ気楽であるかについてのわれわれの考えを変えつつあります。
新しい社会におけるスキナーはリの「自由」というわけですね。あなたのいわゆる「人間へのステップ」には、どうすれば到達できましようか。
スキナーの仕事は新しい形の集団生活を可能にするものだと思います。その集団生活というのは、お互いを罰せず、むしろスキナーのいうようにお互いを強化 (reinforce) しあい、お互いのまなざしや声のいつくしみによって報酬 (reward) を与えあう、というものです。それは古いキリスト教のいう「汝の隣人を愛せ」または「汝の敵を愛せ」という考え方です。これこそあなたの隣人の行動、あるいはあなたの敵の行動を変える最も強力な方法です。
この「強化方式」は、新しい生き方への重要な貢献だとお考えですか。 | |
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当然です。われわれはこれらのさまざまな人間関係の領域で新しいやり方を見出さねばならず、新しい強化手段を見出さねばなりません。なぜなら、われわれの古い生き方のために、今世界は一種の高台に近づきつつありますが、この高台をすぎても古い生き方をなお続けていくならば、われわれは破滅させられることになるからです。世界中の新興国が成長をめざしている時に、旧来の経済成長主義や、拡張主義ではお互いの衝突を引きおこすことになるだけです。それが破滅をもたらすことにな るのです。無制限の出生という旧来の方式は、かつては人類が生きのびる上で大きな価値をもっていました。生活は困難で、病気が蔓延していたからです。しかし、今日、われわれはにわかに病気を減らし、死亡を減らしました。ですから今や、出生も減らさなければならないことは明らかです。これこそ、もし人類が生きのびょうとするならば、人間行動の新しい型に対する新しい心理的報酬、新しい強化が必要なことを意味しています。
あなたは未来社会における個人の役割りをどう見ますか。トィンビーは世界を管理する「慈悲深い独裁制」ということをいつていますが。 私は慈悲深いかどうかにかかわらず独裁制を信じてはいません。独裁制というのは古い型であり、拡張主義的政策をとつている国にとつては時には「うまくいつた」こともありました。しかし全世界的な社会、地球規模の社会では、中央の権力とか独裁制とかいう観点から問題を考えるのではなく、人間の脳とちようど问じように、ネットヮークという観点から問題を考えなければなりません。人間の脳には独裁的細胞なんかありません。
しかし権威は存在します。
人間の脳にですか。 いいえ。しかし今おっしゃった人間生活のネットワークの中には、ある形の權威が存在しなけれはならないでしよう。
血液の供給には「権成」などありません。一連のフィードバック.ループがあつて弁を制御し、弁が開いたり閉じたりします。あるいは、アドレナリンや血圧を制御します。有機体には、安定性を維持するための相互作用的なフィードバック.ルーブの全体的な連鎖があります。われわれの体には、血液供給ループがあり、神経系 | |
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ループがあり、リンパ系ループがあります (わきの下などにあって、この必要な液体-リンパ液-を供給しているリンパ腺のことはご存知ですね) 。酵素や抗体や消化過程などの数多くの化学的ループもあります。これと同じように、私は、うまく組織された世界では他のものを支配する単一の独裁者といったものはない、と思います。たった一人の教授、もしくは、ひとつの教授集団がいてあらゆる計画編成を行なうというようなことではないのです。単一の都市に単一の政府があるというようなことでもありません。そうではなくて、われわれがすでに目撃しているのは、全世界にわたって成長しつつあるさまざまなネットヮークなのです。科 学のネットヮークがあり、民間組織のネットヮーグがあります。ローマ.クラブがその一例です。ローマ.グラブは、問題に関心をもっている実業家や国際人や科学者の集団です。彼らはだれをも支配しようなどとはしていません。彼らはただ単に、お互いを、そしてまた耳をかたむけようとするものを教育しようとしているだけです。さらに別のネットヮークは通信衛星によるもので、これによってわれわれはたとえばオリンピックを見ることができます。これによって全世界が、才リンビックにおけ るテロリストの殺人事件を目擊した時のように、喜怒哀楽の情をともにすることになります。あの事件には全世界が反応しました。ちょうどァメリ力で、テレビ.ネットワークによるジョン.F.ケネディの死や葬儀の放送にみなが反応したように、あるいはわれわれが月着陸に反応したようにです。それは人類の集団経験になるのです。ところで、どこに独裁者がいるのでしょうか。独裁者などいはしません。ネットヮークなんです。プールされたコミュニケーションをわけ合うネットヮークなのです。 もう一つのネットヮークは巨大な国際企業からなっています。これらの企栗は世界中に広がっています。IBMとかジェネラル.モーターズだけでなくトヨタとかフォルクス.ヮーゲンとかロイヤル.ダッチ.シェルなどもそうです。ある面では彼らは有害です。つまり、彼らは小さな国々よりも巨大であり、したがってその政策は小国を支配することになるからです。しかし別の面では、彼らは各国政府の軍事的目的に抵抗しうるだけ十分に経済的に強力であり、かつ平和に対して大きな関心をもっている、世 界における唯一の勢力です。その結果、われわれは今日、はじめて闻際贸易や国際協定の、国際的敵意ではなく、囝際協力の、全地球的バターンを確立する | |
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方向に動きつつあるフイードバッグを持ちはじめたのです。
われわれはあらゆる方面で、地球的規模の対話をめざして動くべきだ、あるいは動かなければならないというのですね。
そうです。ただ、私が今強調しているのは、中心的独裁者などはいないということ、単一の首府などというものはできないだろう、ということです。ニユーヨークにある国際連合も、ワシントンもロンドンも、モスクワも、東京も、そんなものにはなりません。できてくるのはネットワークです。貿易のネットワーグ、通信のネットワーク、科学のネットワーク、観光旅行のネットワーク。ちょうど人体の血液系や神経系のように、全世界にわたって固有のフイードバックをもつネットワークなので す。
それでは「生体フイードバック」革命の役割りはどうですか。人に自分の肉体の内部を認識しついでそれを制御することを教える技術のことです。
さあ、いわゆる「生体フイードバッグ」革命は、ある面で誇張されています。それに、その一部は単なる新しがりです。しかし、医学的にまた心理的に有益な要素もまた含まれています。たとえば、もしそうしたければ自分自身の血圧を制御することができる、ということを知るのは有益です。この種の強化方式を使えば、食べすぎをおさえたり喫煙をおさえたりすることが可能になります。私は、基本的にはこの新しい強化方式によりながら、さらに他人の前での宣言や友人からの多少の援助をそ れに組み合わせたりすることによって、体重を減らしたりたばこをやめたりした人を何十人いや何百人に及ぶほど知っています。その結果、われわれは今や、自分は自分の肉体の犠牲者ではないと感じはじめています。人間は、自分の中にいて自分の意志に反して動きまわる悪い動物によって支配されているのではなく、自己統制された統一体でありうるのだということがわかります。われわれの肉体と精神とは、これまで想像されてきたよトうな別々のものではないのです。これは健康で希望にみブ ちた発展であると思います。自己管理の感覚は世界管理の感覚の始まりです。もし人類が地球を住みごこちよいと感じ、また自分で自分の運命を設計し、みずからの創造性に応えつつあると感ずるようになっていくものとすれば、まず個人から出発しなければならず、したがつて | |
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個人が自分自身の運命を設計し、自分自身の創造性に応えていくということになります。この点であなたのさきほどのご質問にたちもどることになります。この社会システムまたは世界システムにおける個人の役割りは何か、という問題です。 将来発展する可能性のある、そして多分安定する可能性のある社会には、明らかに多くのタイプのものがありえます。しかし私は別のタイプの社会もまた安定しうると思います。安定するというのは、戦争の脅威その他をうまく処理することを知っているという意味です。その種の社会の一つのタイプは、古代エジプトあるいは古代スバルタのようなものかもしれません。つまりひじように硬直した社会で、そこでは個人が集団によって厳格に統制されます。すなわち、最大限の多様性をもった社会 です。そこではわれわれの技術的な豊かさが-われわれのエネルギー消費や天然資源消費に若干の制限が加えられるとしても-過去のどんな社会も比較にならないほど大きな多様性を可能にしてくれます。技術的成功の笫一の成果は、一種のせまい豊かさとでもいうべきもので、数百万台のフォルクス.ヮーゲンはあるけれども他には何もないといつた状態です。しかし技術的成功の第二の成果は、多様化が容易だということです。たとえば、かっては一つか二つのレコード会社がレコードの生産の全体を支 配していきました。しかし現在では、LPレコードが何百種類もあります。その結果、われわれは今では、過去のすぐれた歌曲や有名な演説や詩や、モンテヴェルディGa naar eind〔註4〕にまでさかのぼる過去の音楽などと並んで、ナイトクラブの演芸や低劣な冗談に類するような多様なレコードまで、手に入れることができます。過去のあらゆる音楽が、今では、いくつもの会社がいっせいに発行したレコードの形で手にはいります。若者に影響を与え、公民権運動やブラックバヮー運動そして反戦運動などに貢献することになったフォーグ歌手の盛況は、技術によって多樣化が可能にされたおかげで、レコー ドを通してもたらされたものです。 今日アメリカでは、そしておそらく西ヨーロツバでも、これまで世界のどこにも見られなかったような大きな多様性が、衣服について見られます。たとえばスカートの長さがそれですし、あるいは女性がスカートそのものをはくかどうか、それとも、ズボン、ショーツ、ミ二その他にするかを選べます。このようにこれまで世界のどこにも見られなかつたようなひじように大きな多様性 | |
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が、衣服だけでなく、住宅の形とか生活樣式とか、交通運輪機関、通信の形式、本、音楽、芸術、建築の種類、といったところにみられます。個人の嗜好や選択の自由も增大しています。その結果、各人は自分独自の生活空間を、音楽や衣類や生活様式や書物や家族関係や旅行、その他に関する自分なりの好みに応じて、形成することができます。この種の多様性は新しい豊かさによって今可能にされつつある多元主義的な形の社会に固有のものだ、と私は思います。それこそが未来の社会として望 ましい形だと思います。
あなたは、今日の危機に対処するためには科学者の大規模な動員が必要だと思ぅ、といっておられましたがGa naar eind〔註5〕。
ええ、この人類の危機を、この今日の地球的規模の危機ないし転換を、戦争と同じ程度に深刻であり、戦争と同じ程度に緊急である、とわれわれ皆が考えなければならないと思います。戦争の時には、たとえば第二次大戦中の科学者は、原子エネルギー、ソーナー (音波探知機) やレーダー、対潜兵器などを開発することができました。それは、一週間とか一力月以內に何かをやつてしまうという「突貫作業」によるものではありませんでしたが、反面、三十年にわたる基礎科学研究を行なうというような長期的な平和時における計画によるものでもありませんでした。むしろ、科学者は一年以內とかあるいは三年ぐらいの内に大規模な成果をうみだすような企画にとりくんだのでした。これと同じように、今日われわれが当面している地球の危機は、五年とか十年という才ーダ ーの時間尺度をもつものだと思います。そこで生じている問題によってわれわれが死滅してしまうことをさけるためには、そのくらいの期間內に解決にのり出さなければなりません。生きのびるには、平和を維持するためのよりすぐれた安定化機構を作り出さなければならないのです。人口制限をはじめなければなりません。汚染を制御しなければなりません。天然資源の消費を制限しなければなりません。私は、これらの問題の多くが技術的な性格のものですから、その解決に科学者が貢献する必要 があると思うのです。私はただ物理的なあるいは工学的な科学のことだけをいっているのではありません。行動科学的技術をも含む社会科学の頭脳や知識を動員することも必要です。さしせまって研究しなければならない問題としては、小集団構造の問題、組織におけるフイードバ | |
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ッグ.メカニズムの問題、人権侵害調査官制度の問题、参加デモクラシー、集団生活および家族生治の新しい実験などがあり、宗救や哲学の新たな再構成といった問題さえあります。あらゆる分野で、科学者の貢献が必要とされると同時に、政治家や実業家や市民一人一人の貢献が必要とされています。
そらそら。それじゃやゥばリ、ギャッブを埋める力は政治家がもっているということになるではありませんか。
いや、そうは思いません。政治家はとても、われわれが想像するほどの力はもっていませんよ。われわれは新聞の見出しで催眠術をかけられすぎています。新聞というのは一面で怠惰なものです。新聞は、ヮシントンやロンドンその他に常駐の記者をおいておきますから、政府機関がくれる材料をそのまま報道するのです。しかし、真の行動は、ハーバード大学のスキナーの実験室とかその他数多くの研究や発明の場にこそありうるのです。
ニクソンはスキナーのことをどの程度知っているでしようか。 知っていてもいなくても、それはどっちでもいいことです。
しかし、ほかならぬニクソンが、ブレジネフGa naar eind〔註6〕とか毛沢東とかと話をつけるのではありませんか。
そうです。しかし私がいいたいのは、それは人類に今おこりつつあることのごく小部分にすぎないということです。われわれは今、何から何まで一緒になった大きな変化の洪水の中、大きな淹の中にいるのであって、その中ではニクソンとかワシントンとかいうのは表面の小さなさざ波にすぎません。
しかし議会には一人の科学者もいませんね。
そのとおりです。
それでは必要なこと、科学者たちが必要だと惑じていることをどうやって議貝たちに実行させることができますか。
それはあなたが本を書けばょいのです。レィチュル.ヵースンが『沈黙の春』Ga naar eind〔註7〕を書いたょうに。そうすれば、十年ほど後には、人々がめざめ、ヮシントンがDD | |
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Tを禁止し、そしてわれわれはその他の汚染物からも逃れられるようになっていくのです。もしあなたが効果的な本を書き、そしてその本が......。
ローマ.クラブのようにですか。
そうです。もしその本が事態に適合したことをいっているのならば、つまりその本が真実を描いているのならば、人々は「ああ事態はこうなのだな」と気づき、そこで人々が動かされ、そして政治家たちがあとをついていくのです。ボール.エアリックは、『人口爆弾 』Ga naar eind〔註8〕という書物を書き、「入口ゼロ成長」とよばれる小さな協会をつくっています。これに加えて、五年十年のうちに、数多くの他の人口学者たちが圧力を加えていくようになれば、その影響はいたるところにあらわれることになります。ラルフ.ネーダーは自動車製造業および自動車の安全性に関する本を書き、そして五年もたたないうちに形勢が、そして法律や行動もが、すっかり変わってしまっています。このように触媒的な作用を始めることはワシントンには できません。ワシントンはついてくるだけです。政府の反応には若干の時間の遅れがあります。しかし時間の遅れは今ではこれまでより短くなつています。時間の遅れはアメリヵでは四年から十年の範囲にあります。
この全体的危楼への対応には、実際上、最終期限を定める必要がありますね。
多分われわれはこの時間遅れをもっと短くする必要があるでしょう。しかし重要なのは、われわれが今、歴史上もっとも反応の早い社会にいるということです。問題はこの反応の早さでさえ十分かどうかわからない、という点です。しかしもうこれ以上変化はないのだ、といってはなりませんし、また、イニシアティブが政治家によってとられると考えてはならないのです。政治家はついてくるものなのです。 |
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