とです、これは中国の莶本的利害に反するものです。あ なたの先ほど言われた結論 - 私達は政治家と人民を区 別すべきである - は正しいのです。特に自国が他国と共有する基本的利害についてはこの区別に注目することが必要です。
林彪はソ連に最も友好的態度をとった人として知られていたのですが、彼の失脚に関していろいろなことが言われています。北京の権威筋ではモンゴル上空で墜死したと首われています。ところがソ連政府は林彪の死体は発見できなかったと官っています。
S 入手できるあらゆる情報を調べてみると林彪はまちがいなく殺されました。しかし正確な状況は私にも研究所にもわかっていません。もちろん林尨がこの世にもはや生存していないことは明らかですが、その理由はいくつか考えられます。いろいろな説明が可能だと思いますが、私の意見ではーこれは林彪事件にとどまらず、政治的不安定が依然として統いている中国の全状況にも関 わるものですが - 林亊件の主な原因として次のことが あげられると思います。つまり五十年代初頭に敢かれた中国共産党の路線が崩壊したことです。それは中国の社
会主義建設を目標として十八年間統いてきた路線でした。毛沢東はこの総路線を壊したのです。彼はソ連や他の国々との関係もだいなしにしてしまいました。そのために私逹は中国への援助を中止しました。中国の社会主 義建設はこうして更に遅れました。ところが実際には。毛沢東は新しい路線を何ら定めませんでした。彼は社会 主義にかわるものも提示しなかったのです。その結果林 事件が起こり、更にこの国を特敢づける政治的不安定をもたらした一連の出来取が生じたのです。私達は林によって計画された特別のプログラムについて何一つ気
づか なかったし、今でも何も知りません。しかし容易に想像 できることですが一つのプログラムがそれにかわる新し いブログラムも提示せずに取り消されたとすれば。人々 は次のように自問するでしょう。この先どうやって行け ばよいのか、と。そこでー九七ニ年には毛政権によって 指導された急激な変化が発生し外交政策が変化しました。それは、中国が一方では反ソ政策を強化して、他方帝国主義の大国と友好関係を結ぶということでした。
林は中国承の最商贲任者として知られていました。長年の間、眾は反帝国主義的スローガンに親しんできました。そのスローガンによれば、アメリヵと帝国主我は第