Asu no chikyû sedai no tameni
(1975)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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続・明日の地球世代のためにー『成長の限界』をめぐる非西欧世界49人の証言ー | |
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1 インデイラ・ガンジーインディラ・ガンジー (Indira Gandhi)夫人はジャァハ ルラル・ネルーの一人娘として一九ー七年十一月十九日に 生まれた。両親も祖父母も英国の帝国主義者逹に絶えず刑 務所に引つばられていたので、インディラ・ガンジーは孤 独な青春時代を過ごした。彼女は一九四ー年フエローゼ・ ガンジー(インドの父マハトマ・ガンジーとは関係ない) と結婚した。インディラは結婚した年に逮捕され、政治犯 以外の者も含む他の二十二人と一緒に収監された。彼女は インドの大学の他にオックスフォードやスイスにも留学し た。彼女は一九五五年に政治家になり、ー九六六年一月ニ 十四日インドの首相となつた。ガンジー夫人はラジヴとサ ンジャイの二人の息子の母親である。夫は一九六〇年に死 亡した。この対談は-1ユー・デリーの大統領宮殿の近くに ある首相の事務所で行なわれた。
インドは世界で最も人口の多い民主国家として二十五周年の記念日を祝っていますね。英帝国主義から独立して最初の四分の一世紀になるわけですがその期間 におけるィンドの失敗と成果を要約してくださいませ んか。世界のどの「金持ちクラブ」がどの点でほんと うにィンドを援助してきたか、またどの面において期 待と義務が充分に果たし得なかったかをお閎かせくだ さぃ。
これは話し始めるのによい質問です。 成果と失敗について言う場合すぐ経済的なバランス・ シートだけを考えて、政治的な面を忘れる傾向にありま す。私にとっては、わが国の最も®要な成果はおそらく 他のいかなる国よりも宗教、言語、人種の多様性を持つ 国がこのような優れた政治的団結力を持つようになった ことと、その政治過程への国民の積極的参加の記に成 功したことです。私逹の国は帒に個人主義者の国でし た。わが围民は自分が好きなように思考する榷利を齩重 | |
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に守ります。今日この自由は今までにかつてないほどの 力強い勢いを誇示しています。 次に経済的な面について言いますと、多くの富裕国は 発展途上国に対して心からの同情を示していますが、し かしまだ大部分の国は無関心であり、またわれわれの努 力を嘲笑することさえあります。一般的に富裕は人間を 自閉的にさせたり、またある種の健忘性さえつくり出し ます。私達が贫困を克服してこなかった(自由を成就し てきたにもかかわらず)ことを非雔する多くのものは、 贫困を克服するまでには、繁栄した国でも産業革命を起 こしてから数十年もかかっ ていることを忘れているので す。今日でさえ當裕国の中にも贫困と窮乏の谷間 が存在 しており、問題点を究明するために設けられた尊門家グ ルーグにょると。まだまだそれは存統して行くだろぅと のことです。 ィンドの産業革命は自由が達成された後に初めて開始 できます。ここ二十五年問私達は経済開発のための確突 な基礎 - 農業おょび工業の開発のための下部構造の建 設 - を創設してきました。その他に私達が確かな成果 としてあげることができるのは伝染病を防止する公衆衛 生計画や学校施設の強化拡充に成功したことです。 あなたは宫裕国からの開発援助について質問なさいま したね。開発における费用の八十バーセントは国民の貯 菩と献金からくるものです。残りの五分の一が按助から くるのです。しかしこの五分の一のほとんどが新しい技 術の援助になるので重要なことです。私連はこの授助に 感謝しています。しかしながらこの援助は車なる资源の 琪渡ではないことを理解しなければなりません。これは 贈物ではありません。私達の場合ほとんどが借款の形を とっています。ほんの 僅かな国々だけが择済援助につい て開明的な政策を突行しています。大部分の 国にとって は与えることもまた、彼等の有利なビジネスになっています - 確かに、神は与える者を患み铪います。また援助と一緒に、ある政策を押しつけてくる傾向もありまし た。政治的圧力だけを言っているのではありません。 「専門家」といぅものは経済学者にしろ、工業技術者に しろ、ある特殊な社会環境でょいとされるものが他の社 会では必ずしも理想的なものでないといぅことをしばし ば忘れるものです。ある国民の大きな歴史的衝動を無視 した多くの開発理 論や経営理論が構成されてきました。 これらの機械論的理論は社会的公正には ほとんど笊きを 䦛いていません。われわれは成長と社会的公正をあらゆ | |
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る段階で調和させ、同時に遂行して行かなければならな いことがわかりました。 富裕国が社会的公正の重要性を正しく認識すること は、贫しい国への援助額を国家生産高のーパーセントに 引き上げるという提案と同じくらい、贫しい国のバラン スのとれた発展に貢献するものです。
あなたがス卜ックホルムでの演説(ー九七ニ年)で警 告されたように、もし贫困と欠乏がアジアの第一の汚 染者であら らならば、人口の成長は依然として将来ィン ドの主な、最も緊急な問題でしょうか。 人口の成長を抑制する努力は明らかに私達の第一の関 心事です。 ョーロッパの多くの国において小家族になっ たのは都市化とエ業開発の結果によるものです。 私逹はこのような過程を待つ余裕はありません。なぜ なら家族計画もまた生活状況を改善する手段だと思うか らです。私達の出生率は、英国が去って後上昇していま せん。しかし死亡率は笟くほど下降しています。第ーに、 その理由は独立によって政府が国民の生命を救うという 大きな賫任を担ってきたからです。(私逹には英国統治 の最後の年にベンガルで起きた三百万人ほどの餓死というようなものを座視することは考えられません。)次は、 わが国が独立した頃か ら全世界的に用いられるようにな った新しい救命医薬のおかげです。わが国 の人口の上界 は伝染病抑制と近代的公衆衛生計画の普及が直接影響し たためです。それは、劇的にも、あらゆる利得には代価 がつくという真理をよく物語っています。 その理由からして、 もし伝染病が統いたとすれば、よ りよい暮しをしていただろうと言えますか。重要なこと は産児制限の新しい方法の研究、家族計画の広範な宜伝 および施設の削設です。
スウェーデンの社会学者グンナー・ミユルダール 〔本書第一卷対談35参照〕は、もし今、急進的な産児制限 対策をとるとしても結果は二十年か三十年後にしか現 われないだろうと私に語ったことがあリます。中国と 日本では異なった方法がとられていますが、出生率は 両国とも急激に下降しています。この面でィンド政府 のと。た独特で熱心な努力は認めるにしても、なお近 い将来、産兕制限でもっと思いきった政策をとる必要 があると思いませんか。
われわれに批判的な者や、基本的には同情しているが | |
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もっと効率の高いものを望む者は - ュルダール博士のように - われわれにもつと急激な対策をとるよう勧 告しています。しかしそれはどんな対策なのでしょう か。われわれが強制的に男女の断種をすることができる というのでしょうか。 父や母になることは基本的人権なのかどうか、私には よくわかりません。しかし政府の長としてこのような問 題は強制できないことは知つています。成果は説得によ る以外には得られないのです。若い両親が、自分達や子 供逹にとって小家族がいいとか、出産は運命ではなく意 志の問題であると納得した時、初めて効果があるのです。
新国民会議派は「贫困撲滅」Ga naar margenoot+の旗印を掲げました。もし人類がニ千年までにその軌道を修正しないと贫困 な国民は富裕国民の三倍にもなリますし、また前者は 後者の二十分の一から三十分の一以下の地球资源しか 使用しないことになリます。明らかに、富める国から 贫しい国へもっと援助額を増すということは答えには なりません。この傾向をどの点から変更し始めればよ いでしょうか。 「贫困撲滅」は一つの過程です。それを、いわば時限付 きの計画にすることはできません。私達の貧困は非常に 広範で根深いものがあるので、ある特定の期限までに根 絶すると公言することはできません。基本的要求に対す る国民の考え方もまた変わりつつあります。贫困対策も 決して固定的なものではありません。近代通信網は新し い欲求を生み出します。しかし、われわれは「追いつけ」 の態度を助長すべきではないし、またできもしません。 技術のダィナミッ クスは「追いつけ」を遂行することを 非常に困難にしています。われわれの貧困撲滅は敢少限 度の必要と住みよい生活のための基礎的要素ー充分な 栄養、健康と住居施設、公平な教育の機会 - を提供す ることです。 貧困の除去とは消費指向型の産業の産物である耐久消 費財の獲得と同じ意味とは考えられません。魅惑的な雑 誌がいろいろな資材や器機で誘っている時、どうして耐 乏生活の道を歩むようわが有識の国民に説得できます か。彼等のあまりにも多くが、今から欧米の生活の派手 な面に惹かれています。 究極的には、あなたがいみじくも指摘されたように、 貧困国の「貧困撲滅」運動は、富裕囯の「ムダ追放」運 動とどこかで出合うことがあるようです。確かに、富者 | |
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から貧者への借款や資源の移転は重要です。だが、それ より緊急を要することは、貧富を問わず、諸国民に、自 然は搾取すべき敵ではなくて、保護し保存すべき同盟者 なのだという観念を植えつけることです。初期産業革命 は、社会的コストを無祝して人々と自然との「搾取」に 熱中しました。 今や、技術は、長期的な社会的利益という概念を念頭 において、新しい方向づけが与えられなければなりません。
ゥ・夕ン卜氏〔本書第一巻対談1参照〕は、もし世界 か進路を変えるのに最も決定的な手段をとらなければ 人類は破減に直面するだろうと考える、と私に苜われ たことがあります。 ローマ・クラプは『成長の限界』 という地球全体に関するコンビユータ研究を始めまし た。種々の国家が自分逢のコンピコー夕研究や今日の 最も好ましくない傾向を抑制するにはどうすればよい か、また何ができるかという研究を促進するためのモ デルの股計を始めています。 ィンドの政府はこの計算法と未来予想の方法に賛成 しますか。インドの科学者はこの種の研究に参加する でしょうか。
明らかにこの問いに対しては、慎重に意見を述べねば なりません。『成長の限界』のような研究は、主として 仮説と使用データに依存する量的予想よりは、むしろそ の研究が示す質的危険信号の方が有益です。その研究は また、われわれが直面しているらしい地球的危機を避け るには、特に高度の産業開発国と発展途上国との間で、 あらゆる種類の资源の再分配を必要としているという要な本実を示しています。 統計学や動学過程のコンピュータ・モデル方式は即時 に機能的決定をするには価はあるが、しかし私は外挿 法は基本的な人間の情緒や意志の働きに関する限り必ず しも誤まりのない指針だとは思いません。既知の、ない しは確かめることのできる事実だけを信頼していては新 しい政治的、科学的知識または新しい社会的、経済的制 度の発達が人間の文明に与えることのできる大きな転換 を予言することはできません。 今日の世界の制度や進路の危機を避けるに必要な構造 の変更を確認するためには、はるかに大きな注意を払わ ねばなりません。これは - 『成長の限界Wの主な弱点で | |
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す。もっと機能的レベルでは、今、他の諸国で充分な計 画のないままに行なわれている産業開発がもたらしてい る多くの悪い結果を避けるために、われわれも実際に計 画に統計学を用いています。
ー九六八年にィンドはユネスコの第十四回総会にお いて「生活の投計」と题する新しい重要な計固を紹介 しましたね?そのことについて、そして、五年後にこ の計画が受け容れられ、効果的に実行されているかに ついてお話しくださいませんか。
新しい生活の設計はニュー・デリーで一九六六年九月 に開かれたユネスコのジャヮハルラル・ネルーに関する セミナーで生まれたものです。ィンドの代表はー九六六 年の第十四回ュネスコ総会で「人間と環境 - 生活の設 計」と題し、率先してその決議を提案しました。(協同 提案国には日本、メキシコ、ユーゴスラピア、ボーラン ド、チェ コスロバキアが入っていました。)たぶんこれ が環境に関するストックホルム会雄を開く原因になった のでしょぅ。 浪費的な富裕国の生活基準は伝染しやすいので、われ われは国内的というよりむしろ国際的に行勖しなければなりません。私達は人間の满足度の新しい考え方と莲準 とをそのプログラムに取り入れるように、ユネスコに対 して説得してきました。もし富裕国がより質素な生活を とらなければ、贫困な国に対して彼等が二等国と考える もので我慢せよと説得するのは困雜でしょう。 国内では、インド社会科学研究審議会で新しい生活設 計のための計画の具体化に関する数個の専門委貝会を組 嫌しています。この研究は私達に新しい教育の型を示 し、新しい態度を形成させてくれるでしょう。環境改善 については国家環境計画・調整委員会があります・その 事業はすでにわが国の工萊技術者や企業家に影皤を与え ています。
ー九六ー年のベルグラード会議において、あなたの お父さんのジャワハルラル・ネルーとガーナのクワメ・ エンクルマがモスクワに行き、インドネシアのスカル ノとマリのケイ夕はワシン卜ンに行ゥて、冷戦問題を 解決させるためそれぞれフルシチョフとケネディの最 髙首脳が会談するよう勧告することを決議したことが あります。今やリチャード。 ニクソンは毛沢東と握手 し、アメリカとソビエトの指導者達は毎年首脳会談を | |
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交しています。あなたご自身バングラデシュ戟争のほ とんど直後ズルフィヵル・アリ・ブット大統領と首脳 会談なさっていますね。同様な会談を中国の首脳とも なさいますか。平和や希望ある未来に関連して、この よぅな個人的首脳外交の発展宏どぅお考えになリま すか。
個人外交は、政府機能が柔軟性を欠き、遅いため、国 際場面で起こる変化と歩調を合わし得ないので、今や流 行の、があります。あなたはー九六一年のベルグラード 会謎を引き合いに出しましたね。その時の外交は世界の 道義心を奮起させ、大国の首脳に冷戦に対する頑固な態 度を改めることの重要性を痛感させるのが目的でした。 今や、幸いにも冷戦戦術は機能しないことが広く理解さ れるよぅになってきました。 二国間問題を解決するため の両政府の首脳の間の直接交渉といぅことになるといさ さか問題を異にします。 私達は米中関係を正常化するためのニクソン大統領の とった大胆な主導性を歓迎します。実際ニクソン氏の中 国についてのいくらかの発言や、キッシンジャー国務長 官が近年国連総会において、国連メンバーシップの普遍性や人類大衆を無視しないことの逭要性について述べた 声明は、わが国も含めて多くの国が国連で二十五年間主 張し統けてきたものの反響を含んでいます。 あなたは私とプット氏との会談について言及されまし たが、ニ、三か月前にも、デリーにおいて、首脳会饑レ ペルではない、もう一つのインドーパキスタン会議を持 ちました。それもまた、たいへん重要な前進をもたらし ました。首脳会議は注意深い準備がなされた時のみ成功 するのです。私逹は確かに中国との関係を改善しようと 欲してはいますが、今までのところ首脳会議のための何 の準備もなされてきませんでした。 しかし、政治戟線での緊張緩和にもかかわらず、た ぶん人口圧力のためにインドやアジアにおける食糧の 問題は依然として最も重大でK急な問題です。 あなたは、現実はどうも反対のことを示しているら しいにもかかわらず、いわゆるグリーン・レポリユー ション・か発展途上国の慢性的飢餓を救うというお考え をまだ持ゥていらっしャいますか。 殺物の問題は単にインドやアジアだけの問題ではあり ません。それは全世界的問題になっています。インドで | |
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は、もしもっと水が供給されればほとんどの土地は作物 がよくとれるようになることを知っているので、われわ れは灌溉の拡張を試みてきました。しかし、灌溉でさえ も沒水や塩害を避けるように苦心しなければなりませ ん。われわれはまた新式の農法や小機械の普及にも当た ってきました。趣民のための延べ払い制度や金融のため の施設の拡充もはかってきました。これら全てにもかか わらず、わが国は未だに、配分祖織を維持するために大 fiの穀物を輪入しております。ビハールやゥッタルプラ デシ州におけるー九六六年、ー 九六七年の飢陆の外傷は われわれに急治療を必要とさせました。その時までには わが国の農業科学者は他国で研究された麦をィンドの土 壌に適合させていろいろの新種をつくり出していまし た。自給自足の達成は政治上からも実際の必要上からも K要なものになってきました。われわれはより好条件の 斑民がより多く生産できるように対策を構じてきまし た。そして、例えば融資や他の資材投入の援助をしてき ました・それは素睛らしい成果を上げています。 これが一般に言われている「グリーン・レボリニーシ ョン」です。もっとも、私はあまりこの名前にはこだわ らず、まためつたに用いたりしませんが。解決方法そのものが社会、経済的影響力を持ちます。つまり、手段に よっては農村地域の不公平さも悪化させることになりま す。ある種の生態学的影響が現われ始めています。われ われの科学者や行政官はその危険に気づき、他の毅物や 他地域にその実験と計画を広げる必要も感じています。 われわれは典莱を改善して黍Ga naar margenoot+・粟・玉蜀黍Ga naar margenoot+等の生産さ れ る降雨地域での単位面租当たり生産率を高める努力をし ています。それは施肥の増加による增収獲というより、 土地保護によってなされます。われわれは今生猫学的問 題を生じせしめないで食糧問題を解決するいろいろの増 産手段の組み合わせを研究しています。
あなたはマハ卜マ・ガンジーの精神と影響力、ある いは「将来のィンドは農村を改革と発展の中心にすべ きだ」という彼の有名な主張は、四分の一世紀後の今 ては忘れられたか、あるいは死んだとお考えですか。
その非難はしばしば受けますが、しかしそれはいくらか皮相なものです。もし農村ィンドが刷新されなければわが社会に安定した未来は望めないということは明らかです。大部分の他の国と同様わが国にとっても都市化はその答えにはなりません。マハトマ・ガンジーの自己独
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立的個人と社会の建設という基本的な使命は何もインド だけに限るものではありません。それは全世界に通用す るものです。マハトマ・ガンジーは近代的工業文明の雄 弁な批判者のー人ですが、西洋にもこのような批判者はおります - 例えばトルストイ、ラスキン、ソロゥ。今日ではイリック〔本書第ー卷対談32参照〕のような人がお ります。 先ず必要な産業下部構造を作り上げなければわれわれ の農村の改善もできないし、またよりよい典菜技術の普 及もできないでしょう。われわれは今、遅れた地域の開 発とともに、典村の改善に重点を置いています。
あなたはかつて、自分の経験だとして、「自然と喰 い違った目的を持つ人間は人類について冷笑的である し、自分自身に不安を感じるものだ」と首われたことが あリますね。現代人は自然と生活との完全な連結を再 建しなければならないと感じていらっしャるようでナ が、しかし具体的には、インドやアジアの子供違が今 日の驚くべき傾向と鬪い、明日、明後日の長期計画に 取リ組むに新しい勇気と希望を奮い立たせるために、 彼等をどう指導したらいいのでしょうか - 今日のインドでは昔の身分の低い力ース卜や不可触賤民の 子供達 でも実陳大学教育を卒業することができるよぅになリ ましたが、しかし多くの学生は何年も職業を見つけ出 すことかできないよぅですね。 インドの首相としてあなたは、悲しむべき想い情報 で取リ囲まれている無数の資年遠に正しい考え方を教 え込んで行くといぅ難問にどぅ対処して行かれますか。
質問は異なったニつの問題からできていますね。その 一つは特にインドの問題であり、他は世界的問題のー部 です。他国における教育制度の問題も暗中模索の状態で す。もし大学や学校を卒業してくる全員に職を与えるこ とができると仮定しても、人間を自然から遠ざける教育 制度の疑問はやはり残ります。歴史的にみてインドの悩 みの一つは幾世紀も前に厳格なヵースト制度を作り上げ てきた一種の専門化の問題です。われわれの仕事は革新 といぅょりは順応主義を強調してきた世襲的職菜の専門 化の頑固さを打ち砕くことです 。つい近頃まで多数の国 民が実際上何の教育的機会をも持たなかったので、自分 が他人と同等であることを示す機会を求めるのは当然で | |
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す。そこで遅れた階級に属する資年逹の大学入学に対す る不平の抗議が起こるのです。われわれは彼等へのその 機会を拒否することはできません。就職の機会は他に比 ベて彼等の場合は少々恵まれています。国民が単に仕事 を求めるのではなく、肉体労働にしろ、知的労働にし ろ、国家の生活に参加することによって、仕班を彼等自 身で削り出すように、教育の目的と方法を全体的に改革 したいと思います。いくらかの価姐ある実験があります が、しかしどの国でもほんとうに满足のいく答えを見出 したとは思いません。ィンド のような巨大な国において 長い期間で築かれた制度を変えることは決して容易な仕 事ではないのですが、しかしそれに着手しております。 われわれは何らかの職業と関連させた多数の「基礎」 教育学校を設立しています。しかしまだ充分に成功して いるとは言えません。その理念と応用についてはもっと 現代化する必要があります。教育を学校だけに限定する ことはできません。それは、学校や大学を終えた後、 家庭、典場、工場、または事務所等で継統される生涯の 過程です。
現代を指導する世代としてのわれわれは、インドやアジアの子供達に何を伝えたらよいのでしょう - 何 を与えたらいいのでしょうか。
私はこの国または人類の将来について少しも悲観的で はありません。なぜなら歴史始まってからずっと破滅の 予言者がいて、彼等は皆がみな、世の終わりがくるだろ うとか人類の破滅が起こるだろうとか言ってきたにもか かわらず、どうにか私逹は生存し統けております。最も 暗黒な時代は人類の中でも最も明るい光を産み出してき ています。私は子供達に非常に期待しています。 私は今日の子供達に未来を注意深く見るよう望みま す。世界におけるあらゆる情努の変化は非常に速く、彼 等が自ら見たいと思う未来だけにしか実際にはついて行 けないのです。子供達に何ができるかよくわかりませ ベしかし、きっと今日の青年违はやり遂げるでしょ う。もし彼等が彼等の社会を取り巻いているきらびやか さーそれは消费材であれ、彼等の心を満足させる多く の娯楽であれーから目をそらして彼等の欲する未来を 見つめることができるならば、です。多くの靑年はー彼等は考える青年ですがー未来について何かを なそう とはせず逃避しようとしています。あるいはまた舴かな | |
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場所を探してそこへ座り込もぅと言ぅのです - 私個人 としては静かな場所が好きです。しかし、今の世代が平 和と静けさを求めるのは未来 - 青年の未来 - にとっ ては決して公正なものとは思いません。それは蕾闞であ り、たいへんな挑戦です。それはまた彼等にとって非常 に大きな試練であり、機会でもあります。
(玉城政光) |
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