同じような要求をしたとしても、アメリカ政府が協力するはずがないのと同じことだ。
第三の点は、アメリカのキャンベーンが、とりおけインチキ臭く見えるのは、アメリカには基本的人権について、ほかの国に教訓をたれる権利など、まったくないと考えるからだ。
アメリカにそんな権利がないのは、ほかの多くの問題がそうであるように、この問題についてもまず、自分の国から始めるべきだからだ。たとえば、アメリカのマスコミがあれほど巨大な民間産業となり、利潤の追求にきゅうきゅうとし、国民の利益よりはむしろ、社主の好みや企業の広告スポンサーの利益に迎合するようになった現在、アメリカ流の言論の自由に価値があるとは、信じがたい。
アメリカでは、マスコミに取り上げてもらえなければ、好き勝手なことをほとんど何でも叫び立てることはできても,だれも聞いてくれにしない。もっとも、東南アジアでの戦争に反対したために迫害を受けた若者たちのように、時にはFBIやCIAにつけ狙われる危険はある。
われわれソ連人は、ウォーターゲート事件に関連したCIAの違法行為に対する議会の調査についても読んだ。ジョンソン大統領がエドガー・フーパー〔元CIA長官〕を使って,共産主義者や過激派だけでなく、尊敬すべき議員までもスバイしていたことを知っている。リチャード・ニクソンは政敵のリストさえ作成させた。もしアメリカの政府当局が必要と考えれば、人びとにいやがらせをするばかりでなく、殺人さえ犯すことも知っている。
こうしたことはたとえば、ブラック・パンサーの指導者たちに起きた。何人かは、警察の手で冷酷無残に殺されたのだ。またでーチン・ルーサー・キングからパーノン・ジョーダンまで、何十人もの公民権運動の指導者たちが殺されたり、傷つけられたりした暗殺事件については言うまでもないことだ。しかも、手を下した者が罰せられたことはめったにない。
ケント州立大学の事件〔一九七四年五月四日、ケント州立大学(オハイオ州)で、アメリカのカンボジア侵攻