A そうだ。この伝統的態度がソ連に対する現在のアメリカ人の行動のなかで依然、一定の役割を果たしている。皮肉なことに、それぞれの民族には革命を起こす固有の権利、すなわち武器を取って立ち上がり、その社会、政治制度に必要な変革を加える権利があるという命題を早い時期に、しかもきわめて明確に提示したのは、アメリカの独立宣言だった。しかし一九一七年には、ロシア革命へのアメリカの対応を決めるに当たって、建国の父たちの英知は生かされなかった。
アメリカ政府がロシ革命をどう考えようと、その敵意が時を移さず行動となって現われなかったなら、われわれにとってたいした問題ではなかった。アメリカはソ連の革命を圧殺しようとする諸国連合に積極的に加わり、アメリカ軍がわが国の北部と東部への侵略に参加した。
さらに重要なのは、ソ連の内戦の間、アメリカが革命の敵に融資提供や武器供与を含む大規模な援助をしたことである。アメリカはコルチャック提督〔帝政ロシアの反革命派の提督〕、アタマン・セミョーノフらの反革命指導者たちを公然と支援し、ロシアの新政府を転覆ざせようとして、約四〇億ドルを使った。
- しかし一部のソ連専門家は、実際にはその新政府が世界革命の脅しをかけ、対外関係の
多くを断絶することによって、むしろ西側の敵意を招いたのだと主張している。A 世界革命という考えについては、すでにその点についてのレーこンの立場に触れた。革命がロシ
アの対外関係にもたらした変化についていえば、帝政ロシアが植民国であると同時に、自らも西側の半植民地だったということを念頭におかなければならない。
第一次大戦では、英仏協商棚がドイッ皇帝とその同盟国と、帝国主義的勢力として競い合うなかで、何百万というロシア人を兵士に使った。ロシア国民は、自分たちの本当に必要としているものや利益とは相反する、まったく不当な目的のために利用され、搾取され、死んでいくのだと強く感じていた。