Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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69 ジョセフ・スレータージョセフ・E・スレーター(Joseph E. Slater) 氏はアスベン人文科学研究所の所長である。 一九二二年、ユタ市ソルトレーク市で生まれた。カリフォルニア大学 (バークレー) で学び、そこで一九四二年から四三年まで経済学を講義した。一九四九年から五三年にかけて、ボン (西ドイツ) の高等弁務官事務所に勤務した。一九五九年にはドワイト・D・アイゼンハワー大統領の対外援助委員会 (ドレーバー委員会) の書記をつとめた。ジョン・F・ケネディ大統領によって教育・文化事業省次官補に任命された。一九六七年から七二年まではラホヤ (カリフォルニア州) のソーク・インスティチュートの所長をした。ニューヨークの国際関係評議会およびロンドンの戦略研究所のメンバーでもある。
アスべン研究所では、ローマ・ケラブの試みの向うを張って、地球全体の研究が開始されているのだそうですね。 かならずしもそうにいえないのですが、たしかにそれに関連した活動は行なっています。アスベン研究所は、ローマ・クラブが報告を作成しているとぎに、そのメンバーの幾人かと交流しました。例えば、ジェイ・フォレス夕ーGa naar eind〔註1〕、アウレリオ・べッチェ イGa naar eind〔註2〕、その他の人々に、システムを計画するときの特質や資源の分析について論じてもらいました。われわれは、彼らが問題にしているのと同じ多くの要因や口的に関心をもっています。私個人としては、ローマ・クラブの行なったことは、成長のある有限の限度を専ら問題にしているというよりは、実際には『成長の性質への入門』であると考えています。成長は、質的成長と量的成長とに分解しなければなりませんが、この両者の組合せは、場所と発展段 階とにょって異なります。彼我の間には多少の不一致がありますが、私の考えるには、口ーマ・クラブは、今日の世界では緊要のものになっている論争に対して巨大な刺激を | |
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与えました。それは、過去には存在しなかうた全地球的視点を表現することを始めました。アスペン研究所自体が、ローマ・クラブ報告に続いて行なったことは、次のとおりです。 われわれは、主としてアメリカのなしうる選択について検討する作業グループを設立しました。われわれは、およそ二五から三〇人の学者に、一年聞かかって、社会の種々の計画に関する主要領域の研究をしてもらうよう提案しています。これらの専門家たちは、種々の選択肢を細心に深く分析して、この社会が選び得る方法について政府と公衆に報告することになります。彼らは、これらの選択の一次的、二次的、三次的な含意を規定するでしょう。われわれは、何らかの特定の諸目標というより は、いろいろな代替案や選択肢に関心をもっています。われわれは、これらの作業が完結し、提示されて、政治の執行・立法機関や、社会のリーダーたちが実は社会にとって可能であるかもしれないさまざまな選択肢について、もっと思慮深い議論を展開することを余儀なくさせられることを望んでいます。最も重要なことは、われわれが現実の諸選択の含意を研究するということです。なぜなら、単にある目標を述べるというのは、あまりにも静態的ですし、またいくらか空虚な演習になってしまい ます。諸選択肢についての深い論争と分析とを強いることは動態的な過程であって、いかなる国家にとっても不可欠なものであり、特に民主主義国家にとってはそうです。われわれは、種々の分野にあって、システム分析と高度の科学的思考との専門家であるこれらの人々の力を結集しようと努めているのです。彼らは、判断を下したり、制度やしばしば非合理的な諸過程を取扱ったりしているようなりーダー、政治家、報道関係者、社会学者、法律家、等々の人々と協働することを余儀なくされるで しょう。大部分の意思決定がなされる領域は、まさに右に述べたような過程の中にあるものですし、そこでは主要な事柄は数量化できず、また将来も決してそうされることはないでしょう。われわれがしようと思っていることは、科学的作業とシステム分析とに習熟した人々を、意思決定者たちのグループにもっと緊密に橋渡ししてやることです。意思決定者たちは、このような専門家の提供する資料を利用する方法を、そして誤用しない方法を、知らなければならないのです。中心問題は、これらの 資料の質の改善、数量化できない洞察にもとついて政治的その他の意思決定を行なわなければならない人々と、 | |
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数量化できるデ-タを取扱っている人々との間にある垣根越しのにらみ合いのような関係の逆転です。われわれは、重要な意思決定のもつ含意を考えぬくことのできる人々による国民的・世界的なコミュニティを作りあげる必要があります。こうした意思決定には, より規律のある思考が要求されるのです。 私の考えるには、ローマ・クラブは、この領域で有益な端緒を開いたのです。次の数年、数十年間に、システム分析と高度な科学糟神の大きな完成がみられるに相違ありません。科学者たちは、社会的・人間的要因に関わっているリ-ダ-たちと、もっと協調しながら作業を進められるようにならなければなりません。これが第一の目標です。第二の目標は、われわれのなしうる最良の分析の成果を提供することですが、それを単独の 制 度Ga naar margenoot+において行なうのではなく、多くの制度の協調によって行なうことが大切です。すなわち、指導的な個々人、消費者その他の運動 (単に大学のような組織された制度ばかりではなく) をも含んだ多数の制度の間の協調が必要なのです。いくつかの研究グル-プが並行的に作業し、そのいずれもが主要なセクタ-、例えばエネルギ-.農業、人ロ、教育とコミュニケ-シヨン、経済と社会、を取扱うぺきです。それらのグル-プは、この種の分析の結果を、人が容易に理解しうる形で発表して、大衆の討論を啓蒙し、政府の執行・立法諸機関に対して、明白にしなければならない選択の諸側面のすべてを議論し、検討するように強いるべきなのです。これは実際、民主主義国家にとっては不可欠の ことです。思慮深い選択をし、それぞれの選択に伴う含意を知りたいと思うどの社会にとっても、不可欠なことだと思います。このような作業を国家的・国民的な規模で行なうことは、デ-タと洞察とを全地球的枠組みに関連させることなしには不可能だ、とわれわれは考えています。エネルギ-であれ、右に述べたどの分野であれ、全地球的枠組みを離れて取扱うことはできないのです。この点でわれわれは、ロ-マ・クラブおよびティンペルヘ ンGa naar eind〔註3〕はじめ、多数の人々が追求しているところに帰ってくるのです。アスベン研究所は、全世界のこのような人々とつながりをもち、彼らの提供する資料が利用できるようになることを、心から希望しております。 前に申しましたように、われわれは単に伝統的な制度、例えば大学や研究所、政府、諸官庁等々だけでなく、婦人、青年、消費者、ラルフ・ネ-ダ-Ga naar eind〔註4〕 らを含む | |
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個々人-これらの人々自体が制度になりつつあります-にも手をのばしたいのです (単に相談するだけでなく、実際に参加してもらうためです) 。既成の制度が提供するものとは異なった代替案を持っている人々は多いのです。 すなわち、既成の、伝統的な諸制度が思いつく諸代替案だけをとりあげれば、代替案のある-つの集合がえられます。しかし、もし社会の中を広く深く探ってみれば、まったく異質なさまざまの代替案が見いだされるかもしれないのです。例えば、別々の地域にわかれて国を作りたいと思う人がいるかも知れませんし、あるいは、ある種の学校教育を拒否したり、教育とコミュニケ-ションとを統合して-つの学習過程にしたいと考える人もいるかも知れません。われわれは、既成の、伝統的な諸制度が現 在心に抱いているような代替案だけに縛られることを望まないのです。これらの新しい運動の中に入り込んでいって、そこで考えられている諸代替案を探求してみたいのです。さらにまた、政治家や選挙で選ばれる行政官がもうける陥し穴も避けなければなりません。すなわち、彼らは、二、三のダミ-の代替案を本命の代替案と抱き合わせで提案し、こうして、自分が望んでいる代替案が確実に受け容れられるよう計るのです。われわれに、この種の代替案について、議論したり具体的なデークを分析 したりするにあたっては、きわめて強い社会的な統合性を確保しなければなりません。われわれの意図するところは、自立的な制 度Ga naar margenoot+を創出することです。この制度は政府からは独立ですが、それと協働し、そこからデ-タ、洞察、アイデア等々を得るのです。すなわちそれは、政府外のところから資金をえて、運営されることによって、いかなる特定のシステムあるいは政党にも恩義を感じないで済み、そして、社会の種々の分野からの最良の思考-数量化が可能であるなしにかかわらず-を結集し、協調させようと努めるような制度なのです。諸価値、優先順位、態度、そして非合理性さえもが、人間生活 においては巨大な役割を演じます。これらを考慮に入れなければなりません。
あなたは、アスぺン研究所が収集することになるデ-タが、MITのフォレスタ-・モテルを改善する変数になるだろうとお考えですか。
われわれは、多分二〇か三〇の大学-MITやできればそれ以外の多数の大学-との協議体を作るという | |
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考えに興味をもっています。当然のことながら、ローマ・クラブ報告を作った入々とも、またその批判者のなかの何人かとも、接触を保ちたいと思います。批判を受けたといっても、私はローマ・クラブが開始した論争は、その特定の結論のあれこれの側面に同意するか否かにかかわりなく、何倍も元をとり返したと思います。
つまり、ローマ・クラブやアウレリオ・ベッチェイは、この新しい制度という主題について、あなた方と常に接触を保っているのですね。
そのとおりです。多くのメンバーたちが関係しています。もちろん、アウレリオ・ベッチェイやメドウズ、その他の人々です。彼らには、われわれの報告書が送られています。できるだけ広範の人々の手にそれが渡るように努めているのです。なぜなら、このような制度をうち建てるかどうかを決定するうえで、人々が提供できる最良の思考を手に入れなければならないからです。 アスベン研究所は、社会のどの特定の分野とも特別の関係をとり結んでいません。研究所は、その理事会、職員、発想および活動プログラムを国際化しています。われわれは、互いに関連し合っている六つの領域を選びました。すなわち、コミュニケーションと社会、変化しつつある社会における教育、科学・技術・ヒューマニズム、正義と個人、環境と生活の質、国際問題です。これら六つの領域で、われわれは、行動に結びつくような研究を組織しています。アスペン研究所は、社会の種々の部 分から人々を結集して、いろいろな代替案の含意を徹底的に考え、特定の行動や目標について提案しょうと努めています。
国連は、何百万膳、何千万語という報告書や文書を積み上げています。あなたは、アスペン研究所や口ーマ・クラブないしMITが、この紙のバベルの塔に屋上展を架さないためには何ができるとお考えですか。
さきほども申しあげましたように、われわれの若干の省が数年かかって、ある制度の創設のため努力をいたしましたが、それは今でも存在しています。International Federation of Institutes for Advanced Study (IFIAS) がそれです。われわれは、およそ二四の、程度の高い研究所を世界から結集しました。例えば、パスツール研究所、ニールス・ボーア物理学研究所、ウッズ・ホール海洋学研究所、大気研究大学コーポレーシヨン、ア | |
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スペン研究所、日本経済研究センターなどが結集して、この連盟を創りましたが、この主な機能は三つあります。第一は、国際的、学際的諸問題の共同研究を行なうことです。第二は、教授および博士号取得ずみの学生の交換です。第三は、毎年、五年先までの計画をたて、そうすることによって、種々の研究所の計画が調和のとれたものとなり、やがては、事実上の単一の大学あるいは研究所 (そのためのキャンパスがないのはむろんですが) ができあがるようにすることです。こうした作業が機能し始めれば、IFIASは高い質の研究を提供できるでしょうし、国連の扱う諸問題に機能的に関係を結ぶことができるようになります。モーリス・ストロングGa naar eind〔註5〕のような国連にいる強力なリーダーたちと、協力することができるようになるのです。ストロングは、国際的、学術的な仕事を開拓しようとしている質の高い (特に、既成であって質の高い) 諸制度の間の橋渡しをしようとしている人です。われわれは、国連の機構の肥大を回避し、多くの官僚主義的硬直性を回避することができます。IFIASは、一九七二年一〇月に第一回総会を開きましたが、そのメンバーたちは、これまでに申し上げたプログラムに賛意を表明しました。 モーリス・ストロング氏の技倆は、疑いもなく、民間企業における管理者としてのその立派な経験に負ってい宴す。多分、そのせいでしようか、われわれが恐らく、よリ管理しやすい世界に近づいているのは。
まず第一に、彼は有能な管理者です。新しいアイディア、仕事のしかたについてとらわれない、開いた心の持主です。有能な人々を、どこからでも探し出してきます。人がどの分野からやってくるかを問題にしません-実業界であれ、労働界であれ、学界であれ、国連その他であれ、多種多様な背景を持つ人々を調和させて一つのチームに仕上げます。私の考えでは、彼の天才は、その精力、献身、いろいろな考え方やいろいろな人々に虚心に耳を傾けようとする態度、にあります。そのようにして、 彼は、彼の事業に忠誠を誓う人々の支持を得、彼らの友情と、より良い世界の創造への参加とを勝ち得るのです。 |
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