Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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50 ユージン・ウィグナーユージソ・ウィグナー (Eugene Wigner) 教授は、一九三八年以来、ニュージャージー州プリンストソのブリンストン大学で、数理物理学のトマス・D・ジョーンズ記念講座教授の地位におり、一九七一年引退した。一九六三年には、ノーペル物理学賞を受賞した。
一九〇二年、ハンガリーのブダペストで生まれ、一九二五年ベルリン工業大学で博士号を得た。一九三〇年にはプリンストン大学に講師として赴任し、一九三七年アメリカ市民となった。
現在は、ルイジアナ州バトンルージュのルイジアナ州立大学で教鞭をとっている。また、多年にわたって、ワシントンにある合衆国原子力委員会の願問をしている。
過去十八ケ月間に六十六回の核爆発があった、とアルパ・ミュルダールGa naar eind〔註1〕が最近ジュネーブでいっていますGa naar eind〔註2〕。このような水素核融合のたび重なる実験でわれわれは危険になっていますか。
これらの実験が多数の人を害することはありません。私は、核兵器の実験から生ずる放射能の危険は、誇張されてきたように思います。多くの場合、はなはだしく誇張されています。危険の大部分は、いうまでもなく、ソ連の実験によるものです。本当の危険は、そのような実験にあるのではなくて、核攻撃の威嚇が行なわれるとか、核攻撃そのものがおこるとかいうことです。そのような危険でさえ、われわれがいつも読まされていることとは反対に、人類を絶滅させるというようなものではあり ません。しかし、それは来たるペき未来におそろしい傷を残すことは確かです。
しかし、ベトナムやその他の紛争地域での限定核兵器の利用はありうることだと考えられませんか。
ベトナムではそのような危険はないと思ます。アメリカがべトナムで核兵器を利用することはないでしょうか | |
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ら。それに、北ベトナムが核兵器を自力で使えるとは思いません。べトナムでは実際上核兵器の使用の危険はありません。実際、私が恐れているのは核戦争そのものよりも核を使うそという脅迫の方です。いいかえれば、心配なのは、ある日ある国が別の国に出かけていって次のようにいうことです。もしお前たちがセントルイスやシカゴやボストンなどにわれわれの連隊の駐留を認めないならば、お前の国の市民を、明日、これこれの人数だけ殺害するぞ、と。
ヒットラーがロッテルダムでしたようにですか。
ヒットラーがロッテルダムでしたようにです。それが一番こわいことです。
たとえは原子力発電のような原子力利用計画に欠陥があった場合、人類はどの程度安全でしようか。
その種の災害は限られた地域に打撃を与えうるにすぎませんから、人類は安全です、しかし一部地域が打撃をうけることはありえます、われわれは皆おろかですから。物事がどう動くか確実にみとおすことはできませんから。原子炉になにほどか問題があることはたしかですが、私には、おこりうる全災害も、地域的規漠から見て重要なほどのものだとは考えられません。
地球を管理するためには、汚染、人口、資源その他の相互作用を研究するモデルが必要だ、というローマ・クラブの研究方法に、あなたは賛成しますか。
それらの重要性が誇張されすぎていることもありうると思います。汚染を監視しなければならないとは思います。しかし、今頭上を見れば青空がみえます。アメリカでは、われわれは十分な福祉を得、十分な富を得ていることは確かですから、現在得ている以上に生産をふやして汚染を追加する必要はありません。もっとも人口がなお増加するかもしれませんし、従って生産が増加しそれにともなって汚染が増大するかもしれません。アメリカ で生産されている全電力のために、平均気温がどれくらいに上昇しているかご存知ですか。お調べになるとわかることですが、電力をこんなに大貨に浪費しているわりに、気温上昇は千分の一度にすぎません。このくらいは大したことはありません。それにしても、確かにわれわれに空気中に多くの物質を放出しており、それはなければないにこしたことはありません。われわれは確かに数 | |
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多くの感心しないことをしています。その中にはマスコミの誤報も含まれています。これもまた汚染です。
科学についての誤報のことですか。
あらゆることについてです。警察について、人々の投票の仕方について、ほとんどありとあらゆることについてです。ペトナムについての誤報があり、また汚染にっいての誤報もあります。われわれはそれと闘わなくてはなりません。現在のような形で物的汚染が人類に及ぼす影響のことは、私の意見では、誇張されて伝えられています。われわれの環境の物的汚染を弁護しようというのではありません。それを減らしたいと思います。しかし何かを減らそうと思うことと、それが人類にとっての脅 威であるとみなすことは、同じではありません。
でも日本をごらんなさい。ひじょうに深刻な問題がおきています。
日本やオランダの人ロ密度は、アメリカの人口密度より、また地球上の他の地域の人口密度よりはるかに高いのです。もし人口密度がその程度にまで増大すれば、確かにあなたのいうとおり、汚染の危険に対してもっと多くの注意が払われなければなりません。しかしそれにしても、私はそれが人類にとっての脅威だとは思いません。変えなければならない多くのことがあることは確かですが、それらがわれわれの生存をおびやかしているとは限りません。今、この回りに本がたくさんあるでしょう 、これらの本は私の生活をおびやかしてはいません。しかしそれにしても、私はその本をぎちんと整理しておきたいと思います。私は多くのことと、それが私の命をおびやかしてはいないにしても、闘います。それと同じように、われわれは環境や境遇を改善するために努力すべきなのです。
レイチェル・カースンが『沈黙の春』Ga naar eind〔註3〕を書いてから、殺虫剤に対する開いかいじまリました。あなたは誤報のことを問題にされましたね。ハンナ・アーレントならいうでしよう。「うそつ音は現実によつてうちまかされるのだ」と。カースンのあの本は問題提起に役だったのではあリませんか。そして『成長の限界』も同様に役だつのではありませんか。
ええ、カースンの本は問題提起に役だちましたし、私はあの本を賞賛します。彼女の勇気と彼女の想像力を賞 | |
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賛します。しかし彼女を賞賛するからといって、その人が人類の生存維持のために闘っているといわなければならないわけのものでもありません。私は、それが、人類の救済というようなことではないが、やるに値することではあると思うのです。
ですがあなたは、世界がある種の世界管理にむかってすすむとは予想なさいませんか。
私は、世界の未来について、それがもはや「一つの世界」にはなりえないという一つの理念をもっています。もしわれわれが単一の世界政府をもつとすれば、それは独裁的で抑圧的なものになってしまうでしょう。私の理想では、多数の国家が、いや多数とまではいわなくとも、いくつかの国家が、存在する方がいいと思ます。いくつかの文化も恐らく並存するでしょう。そしてそれぞれの政府は、その国民の忠誠を得ようとしてお互いに競争すればよいのです。それらの政府は、アメリカが自国か ら他国への移住を認めているように、その国から外の国への移民を認めるぺきです。そうすれば人々は、自分達の政府、自分達の支配者に不満ならば、どこかよその国に移動することができます。そうたれば政府としても、強国になるために努力するのでばなくて、国民の福祉や幸福をもたらそうという気にさせられるでしょう。
アンドレ・マルローGa naar eind〔註4〕は『人間の条件』の中で、革命家を画家にかえました。世界をあらゆる人々にとって、あらゆる発達したあるいは来発達の国、豊かなあるいは貧しい国の人々にとって、住みよいものにするにはどうしたら可能でしょうか。何を何に変えればよいのでしょうか。
私が生れてこの方.世界の全般的な福 利Ga naar margenoot+がどれほど大巾に増大したかをお話しすれば、あなたはびっくりなさるでしょう。しばらく前に、私は貧困を表わす三つのしるしのことを読みました。第一はお湯の出る水道がないこと、第二は自動車がないこと、第三はラジオがないことでした。私の祖父は内科医でした。彼は、当時はそれがまあまあの豊かさだと考えられる暮らしをしていました。彼は自動車をもっていませんでしたし、もちろんラジオもありませんでした。お湯の出る水道どころか、水の出る水道さ丸ありま せんでした。でもけっこう幸福に暮らしていました。それに比べてわれわれの福利はものすごく増大しましたが、私は福利の欠如が不幸の原因だ | |
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とは思わないのです。この点に関しては、豊かさがゆきすぎていると考える若者達の方が正しいといってよいでしょら。
いいかえれば、豊かさには限界があって、畳かな国国では世界の他の地域がおいついてこられるように、方向転換、つまリ豊かさのゼロ成長、が必要だというのですね。
その意味では、わが国にとっては豊かさのゼロ成長がおこなわれれば、それで十分です。そして実際まもなく、豊かさはほんの少ししか増大しなくなるでしょう。アメリカでは、ほとんどの人が、必要なものをすべてもっています。もちろん、もっと改善が可能な多くのことが、特に精神面で、あります。私は、他の国々が福利の増大のためにいろいろのことをやっているのを賞賛しますが、アメリカではわれわれはすでに十分な食物をもち、ほぼ十分な住宅をもち、十分な輸送手段をもち、十分な 書物をもっています。これらのことがわれわれの問題なのではありません。
アメリカでも人口の二〇バーセントは貧困ライン以下に暮してはいますけれども、ともかくあなたのいわれるようにすれば他の国々がおいっく機会を得られることになりますね。
この貧困ライン以下の二〇バーセントという話をきくと、私はいつも、大いに職務に励んだにもかかわらず、努力し勤勉につとめたにもかかわらず、彼のクラスの半数が今なお平均以下だといって不満をいっている先生のことを思いうかべます。現在貧困水準以下で生活している人について、その状態が改善されればいいなとは思いますが、その水準は五〇年前の平均の暮しよりはずっとよいのです。誰も腹を減らしていずにすみます。前に一度、私は、どうしても使わなければならない食費はいっ たいいくらぐらいかためしてみたいと思いたちました。私は食料品店へいって安い食べ物を捜しました。そして鶏を買ってきました。背骨と手羽を十八セントで買いましたが、それだけで食事が三回できました。
ロバート・マクナマラGa naar eind〔註5〕は、一九七二年九月の世界銀行での演説で、世界の畳かな目々はひとつとして、低開発国援助の最低目標に到達していないとのべ | |
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ました。あなたは、われわれが人類の残リの過半数の部分に対してこのような羲務をおっている、と思いますか。一方でわれわれは核ロケットに何十億ドルのお金を使っているのですが。
いや、前にもいいましたように、われわれは侵略を不当と考えればこそ、人々を援助しているのです。侵略は人類の最悪の敵の一つです。一部の専制的な支配者や独裁者達の力の拡大の欲望-北ベトナムにみられるような-もそうです。私はあえてそれをいいます-評判を落とすことになるとしても。
わかりました。われわれヨーロッバ人は、常に、残念ながらわれわれの自由があなたの国の核ロケットによって保証されていると感じています、われわれはこの事実を認めています。しかしそれはそれとして、アメリカがソ連を何回殺しつくすことができ、ソ連はわれわれを何回殺しっくすことができ、そのためにどのくらいの費用をかけているかということを、このさい数えていただけませんか。
それこそ、広く伝えられている誤報の一例です。私は自分で計算した数字を示すことができます。ソ連に、自国の都市を疎開してしまうことが可能です。もしソ連がその都市を疎開したとして、おれわれがソ連にむけてわれわれの全ロケットを発射するとすれば、そしてソ連のミサイル防御網が完全に無効だったとすれば、われわれはとてつもなく多数の人間を殺すことができます。とてつもない数ですよ。およそ六百万人にもなります。これは、第二次大戦で彼らが出した死者の半数以上に、また 、あらゆる種類の処刑やそれに類し鬼わざで出した死者のほとんど三分の一に、あたる数です。
お言葉ですが、ウィグナー博士。それにしてもなお、われわれ普通の人間にとっては、いったいそれだけのものが必要なのかという疑問が残ります、アルバート・セント=ジェルジGa naar eind〔註6〕はフレジネフGa naar eind〔註7〕やニクソンのことを、「豚ども」と呼んでいます。際限もなくロケットを作り続けるという不道徳な任務に加担し続け、アメリカはソ連を一千回でも破壊しつくすことができるなどと公言している「豚ども」だと。
それこそ、まさにおろかな、まちがった、勝手ないい草です。まったく正しくありません。ロシアは、二億四千 | |
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万の人口をもっています。アメリカは、ロシアがその都市を疎開させるとしても、六百万は殺すことはできます。それに決してみんなを千回でも殺せるということではありません。それは十六人に一人、いやいや四十人に一人殺す可能性でしかありません。アメリカはこの二年半、ミサイルカを増強していません。実は、アメリカは過去二年半にミサイルを減少させてきました。ロシアが備えたミサイル防御力のためにそうせざるをえなくなったからです。防空力のことをいっているのではなく、 ミサイル防御力のことです。その結果として、アメリカはMIRVを備えなければならなくなりました。つまり、ソ連の弾道ミサイル防御力が増大してもなお一定の核抑止力を維持するためには、ミサイルの大きさは小さくしても、その数をずっとふやさざるをえなくなったのです。過去二年半の間に、アメリ力のミサイルカは減少しました。増大してはいません。ふやさなかったのは、ロシアもまもなくそれにならってくれるだろうと希望したからです。ところが、ロシアはそれにならうかわりに、そのミサ イルカを飛躍的に増強しました。アメリカが過去二年半の間にそのミサイルカを増強したという人がもしいれば、その人は誤った情報をいいふらしているのです。
最近、ニユーヨーク・タイムズは、アメリカの原子力潜水艦一隻が十億ドルかかると報じました。同じだけの金額で、アメリカの一つの都市の大量交通輸送システムが作れるそうです。これほど大規模な公共事業を進める必要があるという時に、われわれはいつたいどうしてモんなとっびょうしもない額のお金を原予力潜水艦などに使わなくてはならないのでしょう。
何ともいえません。ニューヨーク・タイムズが誤報を流すこともまれではありません。原子力潜水艦にどれくらいの費用がかかるか私には今わかりませんから、私には何ともいえません。
二ーチェGa naar eind〔註8〕はあらゆる価値の崩壊を予見しました。私の感じではあなたは楽観論者ですね。私は、人類の物質的な未来に関しては楽観論者です。
私が心配しているのは、われわれが何をめざして努力しなければならないかということです。美しいハンガリーの詩があります。人は目標を必要とする、人はいつも何かを求めて闘っている、良きにせよ悪しきにせよ、とい | |
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うものです。喜んで人生を送るためには目標が必要です。私には、入間の未来の目標がどんなものになるのかはわかりません。過去においては、いや、私の世代でもなお、衣食足った生活を送ることが目標でした。この目標は今では、大多数の人々にとっては、少なくともわれわれの国々では、思うままに実現できています。私は、人々がこのさき何を求めて努力するようになるのかがわかりません。私は人類の精神的な福祉のことは、気にしていますが、物質的な福祉については心配していませ ん。
ボードレールGa naar eind〔註9〕は、生きのびて行くためには生活の中に美が必要だと感しました。
それが問題です。美はどこからくるのか。われわれが人口増加を制御できなくはないようになれば、生存維持のための戦いは終ると思います。人口増加を制御できるようになれば、生存維持のための闘いは勝利に終るのです。そういうわけで私には精神的な価値のための闘い、人生を価値あるものにするための、人間に目的を、目標を、意味を、与えるための闘いの方が気がかりです。これこそが私が心にかけている問題であり、肉体的なことが問題なのではありません。 |