Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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48 ハーバート・マルクーゼマルクス主義哲学者ハーパート・マルクーゼ (Herbart Marcuge) は、一八九八年ペルリγに生まれた。フライブルクおよびベルリンに学び、哲学博士となる。 一九三四年、マルクーゼはアメリヵ合衆国に渡った。一九五四年から六五年までブラγディズ大学哲学敦授。次いでカリフオルニア大学サン・ディエゴ分校に移る。彼の教え子のうちもっとも有名なのぼ、黒人活動家になったアソジェラ・デイヴィーズ。 有名な著作に『理性と革命』 (一九四一年), 『工ロス的文明』〔一九五四年) 、『ソヴェト・マルクス主義』 (一九五八年), 「一元的人間一 (一九六五年) 、『否定』 (一九六八年) などがある。
私たちは、MITやフォレスター氏のコンピュータやローマ・クラブが、地球を、富んだ国のためだけでなく、全人類のために、どう扱っていったらよいのか、という点について縞密な研究をしている、その結果がどれだけ役に立つかを論じているのですが。
この研究はたいへん重要なものだと考えます。それは資本主義システムに固有な破壊性、侵略性を新しい角度から示すからです。同時に資本主義システムの歴史的な限界をも示します。地球の全資源の再配分とか再組織とかいっていますが、私の考えでは、そんな再組織というものは資本主義システムを廃止する過程で、また廃止後においてのみ可能となるものです。もともとこういう、いかに生き残って行くかというふうな問題というものは、私にとっては根元的政治聞題であって、資本室義シス テム内の若干のものだけを変えるというのではなく、そのシステム自体を変えようとすることを前提とするのです。
なるほと。しかし資本主義システムは強化する一方 | |
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のようです。
強化する一方?べトナムはどうなんです?チリーは?キューバは?そして南米諸国のようなアメリカの力に頼っている地方、経済成長ということをいってよいような地方でも、この種の経済成長は人口の大多数の貧困化の進行と平行していますよ。
しかし、金持ちがますきま金を持つようになり、貧乏人が貧しくなる一方であるというふうな傾向があるとすれば、衝突は必然のように思われますが。
衝突は必然です。私、じつは資本主義が強化しているとは思っていません。いや、こういいなおしたほうがいいかな-弱体化する時点に達するまでは、まだこれから強化して行くかとも思うが、しかしすでに資本主羲システム内にこのシステムの限界を示すもろもろの力が動き出していると私は思います、とね。
しかし現在、貧しい国々は富んだ国々に対して七百億ドルも借りております。どうやってこの窮状を脱出できるというので」よう。
うん、まさにその点なんですよ。進んだ工業国自体に変化が生じないかぎり、そうした国々がこの窮状を脱出できるはずがないのです。第三世界のみによって根本的変化が達成されるとは、私、思っていません。主要国家が変化することを前提としているのです。主要国家が変化して始めて第三世界の改革化が生じると思うのです。
労働者階級ではなく、大学や貧困区域が資本主羲システムを内側から、はじめて真に威嚇しているのだという事実を指摘なさつたときGa naar eind〔註1〕-それは特に一九六八年、一九六九年 のころですが-あなたは楽観的だったんじゃありませんか。一九七二年の状況をどうごらんになっていられますか。
第一にいまのご質問を訂正したい。私、大学や貧民区域が革命勢力として労働階級に取って代わるだろうとか、とって代わる力をもっているなどといったことも書いたこともありません。私はただ次のようなことを指摘しただけで、それが正しかったことは、その後何度もたしかめられたと思う-すなわち、今日の合衆国において労働階級は革命勢力ではないこと。それから学生や貧民区域、それにウーマン・リブ運動を入れてもよいのですが、そ | |
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ういうものが暴動の準備的な、あるいは「早発性の」といってもよいでしょうが、そういう勢力を表わしている。早発性であっても何でも、それがわれわれの今日所有する唯一の勢力なのです。私が強調して来たことは、労働階級が政治化されないかぎり-労働階級が政治化される日までは-こうした勢力が働きつづけるであろうということなんです。私、たとえば、学生運動が死んだとは思いません。再編成、再検討の時期にあるのであって、主要な問題はどのような形の組織を運動に捧げるべきか ということだと思います。現在までのところ主として、どんな種類のものにせよ、効果的な全国的組織の欠如したことが学生運動の一時的な弱体化をもたらしたからです。
マルクーゼ教授は、特にヨーロッパ人に対してですが、こんなにも多数のアメリカの若い人たちがニクソンを支持したという事実をどう説明なさいますか。
そらですね、理由は二つあるでしょう。じつはこの二つ、別々に諭じるべきものです。一つは最初の二クソン政権以来抑圧が強化され、強化されたままでいるものですから、こうした若者たちは急進的な活動をしたことが記録に残れば、あとで職を探すのにじつにたいへんな骨折りをしなければならないということを知り過ぎるほど知っています。だから一時的に協調するのです。いや、ひょっとすると一時だけじゃないかもしれない。第二に、六八年、六九年のたいへんな努力が無に帰したという 幻滅と失望。そうして今日の政府が今までになく強力なように見えることです。これが、やはり、運動の一時的再編成の-お望みなら「退化の」といってもよいが-一つの様相ですね。あるいは、これは一歩後退二歩前進の構えということでしょう。
ケント大学やジャクソン州立大学の殺戮事件も学生運動をおびやかすことになつたとお考えですか。
もちろんです。しかしながら、これは抑圧、破壊のもっとも残忍かつ明瞭な形にすぎない。ほかにもまだあるのです。今も申したとおり、経済的卿圧は明瞭なテロ的手段を使って動くものではないけれども、同じように効果的です。
ベトナム帰り兵隊はどうです?その影響が革命運動に意味を持ちませんか。 | |
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いや、いや。革命状況でない国や状況において、これが革命運動のなかに大きく働くことなどありますまい。この点は何度でも強調したいことです。この国に革命的状況などありません。何といったってこれは歴史上周知の事実です。革命的状況などというものはかなり稀なものですよ。ふしぎじゃありません、資本主義システムが今だって能率よく動いているので、ここでは革命的状況などないのですから。私の知るかぎり、徴候はあるんです。たとえば海軍における人種的不穏状態とか、一般に 軍隊の規律が周知のように弱まっているとか、こういうのはすべて何かがおきようとしている徴候です。しかし、ほとんど人殺しという唯一の訓練だけを受けた人々に何が期待できますか。そういう人々が突如平和勢力になるとは考えられない。そんな例はないのですからね。第一次大戦後ドイツに帰って来た兵隊の例をごらんなさい。その大部分にファシスト軍隊組織の最初の前衛になりました。
しかし外国人には、どうして合衆国が労働運動をその権力構成のなかにうまく取り込んだのか、わからないんです。
それを説明するのはやさしいことです。組織化された労働力を資本主義社会に統合することは合理的でたいへん物質的な過程であって、イデオロギーの層にのみ関係しているものでないことはたしかです。まず第一に私は、だれにも分りやすいことですが、生活水準の相対的な重要性を申し上げたい。いかに流れ作業の仕事が人間疎外的であろうと、搾取が今日強化されていようと-これは資本主義発展上のいかなる段階におけるよりも今日強化されていると思いますが-今日の組織化された労働者が親 の代や祖父の代とくらべて、ずっとよい生活をしているという事実を否定するわけにいかないのです。生活は安定して来る、レジャー度は高くなるで、何やかといっても、こうしたことは大事な要素なのです。弁証法的唯物論者といわれる人たちが、こうした事実を単に消費領域の問題として、消費領域などというものをマルキシストは完全に黙殺してよいもの、あるいは第二義的な層に追いやってよいもののように扱うのに、まったくおかしな話だと思います。これが第一の理由、統合の物質的基盤 となるものです。第二の理由は、他に選び取るべき道がなさそうだ、ということです。社会主義というものについて話をするとすれば-労働者が社会主義を勝 | |
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ち取ったとすれば-労働者が考えるのは現存するソビエト連邦ないしソビエト衛星国の社会主義であることは間違いない。だが、そういう社会主義は望まないのです。それを望まないということは十分理解できることで、現状に比較して、そういう状態を選ぶ気にならないのです。
合衆国民は世界ではじめて民主的投票によってフアッショ化する可能性をもつものであろうとあなたは書かれたことがありますが、アメリカが独裁主義形態に向かって進んでいるという徴候が見えましょうか。
民主的な週程を経てフアシストになるということを論じたとき、私はたいへん具体的な例を考えていたのです。一九六九年の選挙でひじょうに大きな票数がウォレスに入ったこととか、一九七二年の選挙で強い労働票が保守的右翼にはいったことを考えてください。私はまた国民を巧妙に操作すること、ほとんど完全にコンビユータ化したエレクトロニック的制御で国民に当たること、あるいは電話盗聴のたぐいを考えていたのです。同時に軍国化の進行という問題がある-警察や州兵などの強化です ね。こうしたものに傾向を示すものであって、傾向以上に考えてはいけない。私はいつも指摘していることですが、いまも選択は残されている。もしも資本主義システムが廃止されずに根本から変容するとすれば、それはファシズムに向かう変容であろう。それに対する選択は社会主義ですが、いうまでもなく、これは資本主義システムが何とか資本主義システムとしては終結させられることであって、システム内の改善などにとどまるだはのものでありません。
アメリカにおいて、また一般に富んだ国において、資本主羲が変容する方向に向かっていると考えられる徴候がありますか。
それは徴候なんてものじゃないと思うんです。資本主義の制度ないし関連の枠組の内部における資本主義システム自体の変容が目の前で行なわれています。今日の資本主義を過去の自由競争主義 (レッセ・フェール) 的資本主義とくらべるなら、すでにたいへんな変容のあることがわかりましょう。今日あるもの、通例国家独占資本主義とか独占国家資本主羲とかいわれるものは競争を完全に規制したり、経済関係に政府がこれまでになく活発に広範囲にわたって介入したり、新帝国主義とよばれたり、 | |
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まあ、資本主義システムの枠組自体の内部におけるかなり基本的な変容です。
IBMの株は現在の市場価値では四百五十億ドルになり、政府がそれを崩そうという措置に出ていまが......
これは資本主義システムに対して意味ある最初の独占禁止告訴ということになりましょう。ですから、仮に私がIBMの株をもっているとしても心配しませんね。
『成長の限界』と口ーマ・クラブが行なおうとしていることについて、もう一つ質問したいのですが。
そのご質問の前にお答えしていいでしょうか。私の考えは経済成長を限界づけるという問題よりも、むしろ経済成長や経済活動を拔本的に方向づけしなおすことが大事なんです。あらゆる有効な技術的・自然的資源を動員し利用して世界中の貧困と不平等を廃止する方向に向かうことです。そのためには、これ以上の経済成長も必要になるでしょうが、それはまったく異なる方向に用いられる経済成長なのです。それでご質問にお答えしたことになると思います。 |
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