Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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42 ノーム・チョムスキーノーム・チョムスキー (Noam Chomsky ) 教授は近年、言語の意味理解の革命的研究によって有名であるが、同時にアメリカ対外政策の急進的批判により、今日の左翼におけるもっとも有力な代弁者の一人となった。 彼は一九二八年ベンシルパニア州フィラデルフィア市に生まれた。一九五五年ベソシルバニア大学より言語学における博士号を獲得。ハーバード大学在学中に書いた博士論文の題は「変形分析」。一九六一年にはマサチューセッツ工科大学の外国文学言語学科に加わり、同時に電子工学研究所教授となる。一九六六年には現代国願言語掌フェラーリ・P・ウオード特別教授に任命された。 有名な著作には、『文法理論の諸相』、『デカルト派言語学』, 『言語と精神』、『アメリカン・パワーと新官僚』、「アジアと戰う」、『知識と自由の諸問題』、『生成文法における意味油』などがある。 MITのコンピュータは世界均衡への道を研究する第一歩として『成長の限界』を出しました。このようなアプローチが世界の諸問題にどれほどの役に立つとお考えですか。
フォレスターの研究ならびに関係研究の経験的妥当性については別として、その一般的問題性は質的に正しいこと、これは疑いの余地がない。すなわち自然的、物理的、化学的法則によって成長にはいろいろな限界がある。テクノロジーが発展して何らかの形で資源の一定の隈界から来る問題を克服し、生態システムの有限の包容力が汚染と破壊を許容するなどと単純に想定するならバカげた楽天主義だというほかありません。もちろんそんな想定が行なわれているわけではない。非理性的な経済成 長がいつか、そんなに遠い将来ではなく、自然法則の限界に迫るだろうことは問違いありません。こういう予 | |
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想は大きな社会的影響力をもっている。ぼくの見るかぎり、フォレスターの研究には出て来ないにもかかわらず、中心的重要問題は、無限の成長という予想が薄れるにつれて、社会的コントロールの大きなテクニックも失われるだろうということです。経済成長が限りもなくつづくだろうといら考えが、たとえば富の再分配をコントロールし、制限しようという必要に対してたいへん効果的な役を果たして来た。そしてこれはずいぶんオオッビラに了解されております。ジョン・F・ケネディ大統領 のもとで経済諮問委員会の議長をしていたウォルター・ヘラーは明らさまにいっています-限界なき成長という考え方を利用すれば、富の再分配の要求を克服して紛争でなく意見の一致が生まれるだろう、他の方法によって人生の利益を期待できないとしても聞き入れてくれるだろう、といっています。もちろん特権階級は、それが弁説であるかぎりは、再分配なんて話も黙って語らせておくわけで、話が実行に移されれば黙っているはずはない。 ということは、成長の限界を真剣に考えなければならなくなると激しい階級闘争が生じるかもしれない。そうなれば特権階級が利用できる巨大な破壊資源は、特権に挑戦する者を破滅させるために使われるでしょう-それが西欧のコントロールする世界経済から離れようとする第三世界の国であろうと、工業化された社会自体の内部の不満グループであろうとですね。
バートランド・ラッセルGa naar eind〔註1〕は働く者が管理をコントロール」ないかぎり、テモクラシーに真の自由はないであろうといったことがあります。あなたがいわれたのはそういう種類の階級闘争ですね。
そのとおり。資本の所有者が労働者には保険プログラムを委せておくということは考えられる。それをもって共同決定などとドイツにおけるようによぶかもしれない。しかしその程度でなくなって、じっさいに管理や利益を分担し、企業の方向、行なわれている仕事の性格などを決定することに加わるようになれば、そんなこと、もちろん受け入れられるはずがない。その時点において深刻な闘争が始まるでしょう。それは限りなき成長という予想ゆえに抑えられて来た種類の闘争です。
そういうことでサミュエルソンとかケイセンのような経済学看がいっせいに『成長の限界』に抗議するのでしょうか。 | |
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自由主義的、進歩的経済学者たちが全般的に、この、成長は一種の限界に達するだろうという論に相当否定的なのは驚くばかりです。その理由は、さっき引用したウォルター・ヘラーのいっていることにほかならないと思います。彼の指摘は正しい-彼のいい方でいえば、ポールに金を払うためにピーターから金をうばいとらなくてもすむ、だれもが利益を得ることができる、となれば紛争の代わりに意見の一致を見る。これはまったくそのとおりです。そのとおりですよ。だれに対してもあなたの分 け前が明日はよくなりますと約束できるものなら、貧困者でも被強奪者でも社会を受け入れてよいと考える。その社会がじつは彼らに対して強い偏見をもっているにもかかわらず、です。しかし人はそういうことを考えなくなってしまいます-ヘラーその他の自由主義経済学者が了解しているとおり、そういう見通しがもはや存在しないということになりますとね。
優雅な技術者たちが (今日の新しい官僚Ga naar margenoot+の代わりに) この上ない仁愛をもって政治を行なうというH・G・ウエルズGa naar eind〔註2〕の夢は、いつの日か奥現するものとお感じですか。 ぼくはH・G・ウエルズよりもずっと以前の予言を、条件つきで受け入れる傾向ですね。それはバクーニンGa naar eind〔註3〕やその他の左翼の社会批判家の予言です。バクーニンは科学インテリゲンチャを新しい階級と見ておりますから。それは人間社会を支配するもっとも専制的、もっとも権力主義的、もっとも残酷非情な階級で、富と知の資源をコントロールし、教育のない大衆に、生きて働き太鼓の響きに合わせて行進するよう強制する......というふうな予言です。しかしながら、新しい階級の勃輿を予想したバクーニンのもとの予言には一つ条件をつけなければならないと思う。これは、こ の手の予言の最初のものだとぼくは思うんですが。この手の後年のバリエーションについても同じことがいえます-つまりジョン・ケネス・ガルブレィスとかダニエル・ペルとか、権力が技術的インテリゲンチャの手に移行しているという人たちについて。ぼくの意見では, これらの人々は真の権力が科学的インテリゲンチャの手に移っていると見る点が間違っている。そうじゃなくて、むしろ、産業社会の現状においては、技術的科学的インテリゲンチャ、ガルブレィスのいう教育的・科学的階層は、社会の中心的機関を真に所有し管理している人々のためにひじょうに有意 | |
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義な奉仕をすることが可能になっているということなんだ。じっさい彼らのために科学、テクノロジー、科学的管理などの成果を供給することができる。それよりもずっと重要なのは、彼らが科学めかした化粧をほどこして富や機関の権力主義的コントロールを正当化できるということだ。だれもが科学はよいもの、崇高なもの、価値あるものと思い、技術的専門知識を畏敬している。特権階級や、才能があるといわれている入間による権力主義的コントロールが現代生活の条件には必要だという ふうに見せかけることがイソテリゲンチャにできるならば、そういう種類の特権の正当化に成功してしまうでしょう。ぼくの信じるところでは、そういうのが権力や特権の分野におけるインテリゲンチャの主要な貢献ではないだろうか、ということです。
世界的にいって、人間精神の複雑な、生物学的に決定されたシステムをどのように動かして行くべきでしょう。人間のこころを動かすのに、どこから始めたらよいでしょうか。
人間精神を動かす最善の方法は証拠を提示し論ずること、説得し、説明することだと思います。これこそ人間の心を動かす何にもまして優れて効果的な技術です。そりゃあ、なるほど行動主義的テクノロジーを発明もできましょう-タバを吸う人に、タバコをやめさせるというような。しかしまた、なぜタバコをやめなければいけないかということを理性的に説明しても同じ結果に到り得る。人間の心を動かす正しい道は説明の術によるものでしょうね。そのくらいのことしかいえない、それ以上深 いようなものにない。人間精神を動かすそれ以外の技術があれば、それはとりもなおさず強制的権力をふるおうとする者のためになせるわざだ。究極的には、選択や決定が自由に結ばれた個人の手中にあるような社会を望むべぎだと思う。行動主義的技術者のコソトロールを利用したいとか、そういうことをいうなら、さらに軍隊的尋問とか看守のやり方を利用したい、などとは絶対に思わない。それを違うと主張するような科学者のウソや見せかけに乗らないことが大事です。
ただいまの地球でもつとも肝腎なのは生き残ることだというスキナーに同意なさいませんかGa naar eind〔註4〕。
じつは彼は、ある文化が生き残ることがその文化にとって最高の価値だといっている。その考えにはもちろん | |
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賛成しない。文化的・社会的機関にひじょうに重要な変化・変更があるべきだとぼくは思います。生き残るというよりは入れ替ったといえるような変化です。しかし人類が生き残ることはもちろん大事です。
トインビーGa naar eind〔註5〕はアメリカのドイツ化について警告しました。アメリ力合衆国は現在世界第二に大きい国家経営をやっているわけですが、その将来はどう発展すると思いますか。
現在の状況を変えるようないかなる単一の改革も、いや復合した改革も、ないでしょう。露骨な侵略というたものはある、ベトナムのような。これは、じつは伝統的な植民地戦争で、独立をもとめ、自国の社会を、合衆国によって支配される世界経済から切り離そうとする急進的民族運動を合衆国が滅ぼそうとしているのです。伝統的なやり方で、合衆国はそんな民族運動は許せないので、この土着の民族運動を滅ぼそうと掌中の莫大な資源を使用する。この点については特に新しい点はない。新し いのは、そのスケールの大きさです。しかし現象としては歴史でなじみ深いものですよ。 しかしアメリカがドイツ化に向かっているという目に見える傾向はありますか。
彼らがナチだからというんではないですね。ほかに利用できるものがないからです。ほかに政府が経済に介入するやり方がない。浪費をつくる以外に。政府が社会の真の支配者の必要と衝突するような措置はとれないという事実にこれは関係があります。たとえば政府は一般大衆輪送システムに金を注入しないでしょう。トップ企業団体の大部分が、自動車を非理性的に使うことから収益を得るからです。また政府は役に立つようなものは何もつくらない。なぜなら、もし役に立つものをつくれば、 経済をコントロールする私企業と競争になるからです。さらに政府の経済介入は勘定を払ってくれる納税者に許してもらわなければならない。ついでですが、前と同じ自由主義的経済学者たちがアメリカ現代においてもっとも逆行的な税法案を導人した。納税者はその命にかかわると思えば、むりやりに方針に従わせてもよいのだから、軍費を喜んで払ってもらわなければならぬ。国家宗教は力があるのだから、国家的面目がかけられている宇宙競争のような場合、市民には服従を強制し、そのた | |
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めの出費をしばらく許してもらわなければらぬ。しかし、こうした政府の経済介入のさまざまな条件、すなわち支配グループの利益に衝突せず、むしろ利益を高あ、その金を払わなければならない市民にはガマンしてもらう-こういう条件を調べてみるならば事実上決定されていることは、政府の経済介入が軍事的浪費をっくり、武器をつくり、その武器をときどきインドシナのようなところで使う、ということになります。
全米科学アカデミーのフィリップ・ハンドラー総裁が私に説明していわれたことですが、全米アカテミーに参加している科学者が、しばしば言語の使用におけるギャップを意識すらしていないというんです。「この人たちには何がニつの陣営を分けているのか紙に書いてみることもできないだろう」というのです。あなたのご専門の認識心理学や言語学の分野では、政治家や外交官と科学者との二陣営に今なお広がっている、こうしたギャップを橋わたしすることができましょうか。
言語学や認識心理学がそういう領域で貢献すると思っていただいてに困ります。そんなことはないのですから。それは興味ある重要分野で、たまたまぼくは自分の知的エネルギーをそれに捧げている。しかし、あなたの山されたような問題を解くっもりはありません。そういう問題は科学的.技術的専門知識で解くものだというのは誤りですし、じっさい、前にぼくのいった、科学の堕落の一部にはいります。この問題の答は各個入の手中にある。人々はイデオロギー的にコントロールされている。こ のイデオロギー的コントロールはその人々の社会での特権ならびに力の構造によってたいへん明確に決定されています。合衆国には公式な国家イデオロギーがあり、日々宣伝され、だれもが幼年時代以後それを叩き込まれる。まことに当然ながら、そのイデオロギーから抜け出ることのできない人たちは、おこっていること、日常生活の事情や、世界でおこること、.あるいは目の前に見えるものについて、たいへん歪んだ、誤った見方をするでしょう。これはアメリカ以外のどんな社会についてもやは り真実だと思う。答は、社会的、政治的過程を理解しようとすることに、力がどのように行使されているか見ようとすることにある。科学の貢献の中に、重大な貢献をするだろうなんてものはない。データは人々が利用できるものです。人々が自分の知力を使おうと決心しなけれ | |
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ばならない。イテオロギー的な束縛を解き、ギマンと、アメリカにせよ、他の国にせよ、いかなる力の組織についても内面にそなわる構成分子たる歪み、これを見抜こうと決心しなければならない。人々は、いかなる科学者にも教えられないことを自力で調べようとしなければならない-すなわち、ちゃんとした人間生存のための条件とは何であるか、その条件をかちとるにはどうしたらよいか、ということを調べなければならないのです。
しかし世界の三分のーが文盲で、ほかの三分の一には学校施設も何もなくて、紀元二千年には人口ガ七〇億になろうというのに、われわれ生きて行二うと思ったら、どのようにしてそれができるのです?
『成長の限界』の主要問題は未開発世界によって出たものじゃありません。進んだ産業社会によって出たものです。人々が文盲でなく、巨大な資源、材料、知性を破壊や浪費にまかせている社会から出たのです。そういう社会の人々が、こういう件に関する思考を歪めるイデオロギー的コントロールから身を解かなければならないのです。責任を科学者に転嫁することはできない。責任を第三世界の文盲の百姓に転嫁することはできない。責任は進んだ産業社会の市民の一人一人の手中にあるのです 。
じゃ、すぐさきの未来をどうお考えになります?
じっさいたしかに存在する成長の限界というものが近い将来に見えて来るなら、そうなれば産業社会においてひじょうに重要な社会的大変動が生じるだろうと信じます。多くの面において人権を認められないような入々、貧困な人々、圧迫された人々、こういう大多数の大衆が、彼らに対して偏見をもつ不平等で不正なシステムをもう受け入れるべき理由はないと認めるのですから。もうそんな理由はないのですから、やがてイデオロギー的前提を調査し始め、圧制的で不平等な制度的構造に挑戦し 始めるでしょう。これが始まると、ただちに力にぶつかる。なぜなら権力と特権をもつ者はその特権の本気での挑戦を許すことはないからです。そういう種類の闘争の結果がどうなるか、予言できません。明らかなことは平等と正義を得ようとする努力を粉砕しようと多量の力が使われた時点における意識と組織の状態によるだろうということ。ついでながら、同じ種類のことは国際的なスケールでもおこるかもしれないと思う。特定社会の特権階級、富裕階級が、もうイデオロギー的コントロールが 利かな | |
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いとなれば、自分たちの特権を守るために力、恐怖、暴力を使うであろう、それと同じことが進んだ産業社会と、いわゆる発展途上の、じつは多くの場合に発展していない世界との関係にも当てはまります。どこかの、たとえば、どこかいわゆる第三世界の社会が、それに対して偏見をもっている世界的システムから離れようと決め、その限られた物質的および人間的資源を自分のために使おうと決めたとすれば、これは予言してよい、十中八九予言が当たるでしょうが、世界の特権社会はそんな 行動を許さないでしょう、力でつぶそうとするでしょう、ペトナムでこの二十五年間やっている例をごらんなさい。思い出しましたが、ある研究があります、じつはアメリカ外交政策の政治経済学についての数少ない研究の一つです。ついでながら保守的なグループの行なった研究です。これが指摘したことはまったく正確なのですが、共産主義の根元的脅威は共産勢力が西欧産業社会を補足する意志もしくは能力がない、すなわち比較優位にもとづくゲームにおいて自分の役割り、遅れた、補助的な 役割りを演じようとしない、というのです。これが共産主義の根元的脅威だというのですが、じっさいそのとおりです。われわれが共産主義社会とよぶものは人口を動員し、一般にある種の権力主義的コントロールを加えて、一種の<自力でやりましょう>式の発展計画を企てる社会です。われわれがほんとうに承服できないのは彼らが西欧の産業社会を補足しないということであった。もしこの傾向が世界の他の場所でも発達するならば、そういう脅威はもちろん、必要とあらば、力で抵抗される。 利用し得るかぎりのテクノロジーと科学を使って抵抗を受けるでしょう。こんなところが次の半世紀について、まずまずの推測だと思います。 |