Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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30 モーリス·ストロングモーリス·F·ストロング (Maurice F. Strong) は、ー九七〇年十一月に、国際速合人間環境会議 (UNCHE) の事務総長に任命された。この地位につく前は、カナダ開発庁の長官をつとめ、実業界と公職の両而で広範な経験をつんでいた。 ストロング氏は、ー九ニ九年、カナダのマニトパ州で生まれた。カナダで教育をぅけ、トロントのョーク大学で客貝教授をつとめた。 ー九六六年まで、カナダ政府の样済おょび国際問題に関する願問の役をつとめ、またその後カナダ政府の次官として対外援助局を統轄した。 ー九七ニ年六月五日から十六日までスゥ工ーデンのストックホルムで開かれた人間堁境会通の推進力となり、その成功に大いに貢献した。
あなたは、現代のもっとも緊急な問題が成長を世界的に管浬することだ、という『成長の限界』の論旨に賛成なさいますか。
それはじっさい、現在人間が直面している問題の核心をついています。私の見方では、『成長の限界』の本の中で堞き出されているいくつかの理由からだけではなくて、多分それよりもはるかに深い理由から、そういえると思います。その理由というのは、人間が、人類の進化の歴史の中ではじめてといってよい、自分自身の発展における重要な転機にさしかかっているということです。人類の未米は、今や人類自身がとる行動にかかっているので す。
各国政府から、それぞれが環境に対して責任を負っているという首質をひき出すことは、絶対に不可欠だ と思いませんか。
『成艮の限界』が、じっさい、重要だと考えられゐのは、そ | |
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れが指向しているある特定の結論よりも、これらの問題についてわれわれが考えざるをえないようにさせるそのやり方です。世界联初の高度技術文明と技術がうみ出してきた複雑な相互依存関係の增殖とを人間がどのように管理するか、という根本的な問題に対して、人々が、特に指導者たちが、本気でとりくむようになったことにこの本が役立っていますが、まさにその事実こそ『成長の限界』の大きな貢献でした。この木によって、われわれは、人間が依存している相互依存関係の物理的シス テムが亊灾問題として地球的規模のものであるということ、それが地球的規模のものとみなされねばならないということ、それが地球的規模の単位として処理され管理されねばならないということ、をひじように簡単な表現で認識させられることになったのです。 ところで、この点を、人間が自分自身の発展過程を管理しようとするさいに依存している現実の諸制度と対照してごらんなさい。それらは明らかに部門別のものであり、国別のものであり、地球規模の管理という仕事には明らかに不向きなものです。概括的にいえば、『成長の限界』によって人々がこれらの問題に注目するようになつたという事実が、その主要な貢献の一つなのです。『成長の限界』の思想はストックホルム精 神Ga naar eind〔註1〕を全面的に支持するものです。すなわち、人間にとって新しい相互依存関係を規定する経済的、社会的、政治的手段を獲得する必要性が、ますます增大しているということです。『成提の限界』が重要な貢献をなしたと考えられる第二の領域は、方法論の領域にあり、この研究が、これらの新たに発見された相互依存関係は錯綜したものだというひじように单純な前提にもとづいている、という亊実にあります。これらの相互依存関係がどのように作用しあ っているか、ほんとうに理解することは、たとえばコンビュータとかコンビュータ·モデルの技術といつた、最近の技術的用具を用いることなしにはひじように困難です。原因と結果はしばしば時間と空間の次元によって分離され、われわれの通常の測定能力をこえており、それらがじっさいに相互にどう反応しあっているかを判定することはひじように困難です。そして、このようなことがわれわれの未来の進化の方向を決定しているのです。『成長の限界』の研究者たち自身こそ、彼らの着手した 仕亊がいかに宋熟なものであったかを、もっともよく認識しているのです。 | |
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オランダでは、ローマ·クラブの第二の世界計画モデルのために、ティンべルヘン教授Ga naar eind〔註2〕やハンス·リンネマン教授が、現在、オランダ=スウェーテン·チームをつくって作業しているのをご存知ですね。
もちろんです。これもまた、フォレスターやデニス·メドウズの最初のモデルの拡大になっています。このモデルは私も最初からフォローさせてもらっています。私はそのモデルがひじょうに魅力的できわめて興味深くかつ有益だと思いました。しかし、このモデルを生み出した人々でさえ、それがまだほんのはじまりにすぎないということを承知しています。
一九七ニ年のストックホルム会議に参加されて、あなたは開発途上国にとっては日本の警告が重要たと思われましたか。つまり、われわれのニの舞をふむな、無計画な成長はするな、このように気ちがいじみた度はずれな無計画の技術および経済の成長の爆発を繰リ返えすな、という警告です。
私が思うのには、ストックホルムでは、われわれは、『成長の限界』などの研究が指摘しているひじように深刻なそして重要な長期的問題の一部に、正面からとりくみはじめることになったのです。つまり、世界的成長における一種の均衡をどのようにしてつくり出すか、ということです。世界の陸地の大きな部分をしめ、世界の天然資源の大きな部分を占めている世界の三分のニの人々がどうしたら技術文明の本流にのることができるのか、どうしたらそのような状況をわれわれがつくりだすこと になるか、が問題です。またその場合、どうしたら彼らが、技術文明によって可能にされる、より高度の次元の生活に正当にあずかりうることになるか、が問題です。現在、亊態がそうなっていないことは明らかです。明らかに、現在の状況は、人間に創造的成長のための新しい力とまた同時に自己破壊のための強力な潜在力とをともに与えるような技術そのものが、大部分高度工業国の手にあるというものです。このように、技術を手にし、科学的知識を手にしているということが、今曰の世界にお ける力の主要な源泉ですから、われわれはその力を利用し、また分かち合うもっとよい方法を見出さねばならないでしょう。われわれは、世界の資源の利用のためのもっと合理的な基礎を、見いださねばならないでしょう。 | |
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あなたは、窗や資源を開発途上国ともっと公明なやリ方で再分配するということが、ほんとうにできることだとお思いですか。
われわれが認識しなければならないのは、そのようなことは、世界的マスタープランをつくることによって、あるいは何らかの超闻家的な機関をつくることによって、実現できるものではない、ということだと思います。もし『成長の限界』が資源の枯渴の進行について述べていることが正しいとすれば、そのことによって開発途上国の手に新しい手段が与えられるでしょう。つまり開発途上囯は不足な天然资源の多くを手にしているのですから、それを豊かな围々との交渉の手段に使うことができ るわけです。石油がひじょうによい例です。石油雍出国は、OPECという形で団結し、枯渴しつつある商品の供給国が消费国に対してもつ力が、じっさい、ひじょうに大きなものであることを証明してきました。私は、自分自身理想主義者だと思いたいですけれども、だからといって、世界が単純に超囯家主義的な過程を経て改造されるものではなく、また、みんなが突然自分の仲間との関係について理想主義的な考えを抱くようになることを通じて改造がなされるものでもない、と思います。高度技術文明 によってつくり出された新たな相互依存関係は、まさしくわれわれが協力することを、もっと分かち合うことを、もっといたわり合うことを、これまでに例がないほどもっとー緒になって働くことを、われわれに要求しています。何よりもまずこのことにわれわれが気づくことによって、事態が進行するのだ、と私は思います。これこそ、われわれがお互いに生きのびるために、しなければならないことです。これこそ基本的な共通某盤です。第ニに、天然资源の枯湛の進行と豊かな国の困難の增大と が発展途上世界の目的遂行手段に新たな可能性を開きます。この可能性は、現在存在する巨大な不均衡を矯正する助けになるような交渉力を、ある程度発展途上世界に与えるという形で、創造的建設的に生かすことができます。
壹かな国のいずれもまだ、開発途上国に対する援助がGNPの一パーセントにさえ速していませんが。
われわれは、対外援助の伝統的なやり方のある面が大幅に修正されねばならないということを、認識しなければなりません。自分たちの囯の社会を見ればわかるよう | |
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に、慈善は決して贫苗の関係にとっての永統的な基礎にはなりませんでした。われわれは、もともと純然たる贈竽であるとか、ひもつきの贈与として考えられていたものを、もっとずっと客観的で非個人的な富の再分配の制度に、急速におきかえてきました。機会均等や対外援助の許画は、この播のブロセスを国際社会に拡張するための、たんなる未熟な出発点を示すにすぎないのです。したがって、国際社会でも、多くの国が闽内的に採用してきた制度に対応するような、富の再分配や機会の均 等化のためのより非個人的で客観的な機播が存在するような体制へと移行していかなければなりません。援助計画は、そのような進化の始まりにすぎない、とみなければなりません。たからこそ、私は、開発途上世界が結集しうる政治的経済的手段こそが、世界全体にもっと均衡した発展のパターンをもたらす鍵の一つ、世界の機会や資源の公平な分け前に彼らがあずかるための鍵の一つである、と強く信じているのです。私は、このことが必然的に公然たる紛争をもたらすというつもりはありません 。われわれ自身の囯内社会のことをもう一度ふり返ってみましよう。貧しい者が、投票その他の手段によって、社会的政治的行動によって力を得た時にのみ、そして彼らが自分の力を認識し、またその力をどう利用するかを知った時にのみ、彼らは、社会における自分たちの境遇の興に永統的な改善をかちえたのです。これはあらゆる社会にあてはまることです。貧しい諸国が彼ら自身の内在的な可能性ゃカ设をよりよく理解した時にはじめて、また、彼ら自身の力だけでなくその貴任をも理解した時 にはじめて、工業国との交渉の席につき、交渉を通じて彼らの利益を敢大化することができるようになるのです。このようなブロセスを経てはじめて、世界の機会や资源のよりよい配分が達成されることになるのです。
ストックホルム会議のあと、地球監視団はどう動いていますか。あれはあなたの発案でしたね。
そうです。地球監視団はまさにその出発段階にあります。地球監視団は、今日世界中にある数多くの機関を結びつけることになるでしよう。その機関というのは、専門技術をもつ機関やセンターで、一定のデータやー定の情報、一定の評価を広めるのに役立つもののことです。そうすることによって、世界の意思決定者だけでなくその決定によって影響を受ける人々にとっても、下される決定をめぐって人類にもたらされる重要な諸結果を理解 | |
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することが可能にされるのですストックホルム会議は、私たちに、地球監視団の剣設を委任しています。一九七ニー七三年の国際連合総会は、その作萊を可能にするための資金を私たちに供給してくれました。
あなたはさきほど「私は理想主義者だ」とおっしゃいましたね。あなたは十三歲の時亲をとび出し、しはらく谀師をし、その後ひじょぅな早さでカナダの最大の会社のひとつの社長にまで昇進されましたね。そして今あなたはこの仕事をしていらっしゃる。まったく人道主義的な、全人類の利益のための仕事です。どんな動捸であなたは、財界での有力な地位をほおyだし、人顛のための仕事をなさることになったのですか。
まず私は、自分が今していることをもっとも利己的な理由からしているのだ、といわなければなりません。なぜなら、私はそれをまさに楽しんでいるからです。私は、自分が进要な問題だと考える問題にとりくむことで满足します。私は実業界にいた時に一つの分析をしました。周囲をみわたしてこぅいち結論に逹したのです。つまり、物質的な面での成功だけでは、経済的な面での成功だけでは、社会全体にとクては满足すべきものではない、特定の人々以外の人にとっては满足すべきものではな い、という結論です。全体を構成している多種多様な部分社会に问時に役立つ仕事をするほうが、もっとやりがいもあり、もっとスリルもあります。つきつめて考えれば、この仕亊は、社会のなかでたまたま物質的利得の追求にのみ向けられているひとつの小さな部分を管理する仕亊よりも、おそらくずっと有益な仕亊です。私は、自分がしていることを好きだからしているのだといわなければなりません。ですから、多分、それ以上利己的なことはないでしょう。
同時にあなたが世界中の他の財界実力者の横範にもなることを期待しましよう。その人たちがあなたの例にならって、物質的な利得を社会的利得に、全人類のためになる利得に拡大することを。私は、もっと多くの実業家があなたの例にならえはよいと思います。
ありがとう。じっさい私も他の人の例に強く影響されてきました。私が知っている実業界の多くの人が问じように感じ、また私のことをうらやましく思つている、ということができます。なぜうらやましがるかというと、私が | |
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自分のこの種の関心を表現する機会を得ているからです。そのような機会は、じっさい他の人々には与えられていないのです。その意味では私はひじょうに幸運です。しかし、まあ、うんと話を単純にしていえばですね、私には五人の子どもがいます。人生のある時点で、未来をながめてこういいます。おまえはいつたい子どもたちに有用で長持ちするどんなものを残す。とができるのか、と。もしもそのとき、多額の銀行預金とか巨額の信託基金ぐらいのことしか思いうかばないとすれば、まさ に砂上に家を建てているようなものです。もしそれしか子どもたちに残すものがないというのなら、それは同時に、物質的なものがしだいにあるいは急速に社会的退廃と退化の大きな泥沼の中にのみこまれていつてしまうような社会に、子どもたちをひきわたすことを意味します。もはや、たんに多額の銀行預金を残してやったからといって、家族の世話を十分したということにはならないのです。未来の世代には、もっといきいきした、もっと力ある社会を 残してやらなければならないのです。 |