Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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27 エドワード·ゴールドスミスエドヮード·ゴールドスミス (Edward Goldsmith) は、ィギリスの『エコロジスト』誌の一九七〇の創刊以 来の編集長である。 ー九ニ八年パリで生まれ、オックスフォード大学のマグダレン·ヵレッジで政治学と経済学を学んだ。ー九七一年ー月に出版された『生存のための背写真』 (Blucprint for Survival) の共著者の一人である。この本は、ィギリスの三十三人の第一線の科学者と知識人の連名にょつて発 表された歴史的文獬であ るGa naar eind〔註1〕。
『生存のための青写真』は『成長の限界』とほとんど同時に現われました。このニつは互いに竸合する著作 でしょうか。
いや、補完的なものだと思いますね。ローマ·クラブの研究の方は、世界の状況の非常に高度な分析であって、社会の安定化のために必要とされる変化を示唆しています。われわれの分析も似たようなものではあるが、はるかに初歩的です。ただし、必要とされる変化のプログラムを与える方に茁点がおかれています。
あなたの著作から、私は多くの部面での互いによく調整のとれた変化が必要だという結論を得ました。あなたの考えでは、『生存のための青写真』と『成長の限界』はどんな形でこの目標に貢献していますか。
あらゆる部面で変化が生じなければなりませんし、それらは国内的および国際的に調整されていなければなりません。しかしながら、政治的行動は、提案された変化が「政治的に実行可能」でなければ行なわれる可能性は少ないのです。政治的に実行可能というのは、単に、政治家がその票を失うことなしに実行できるという意味にすぎません。いいかえれば、最初に変えなければいけないのは世論です。必要な変化というのは非常に根本的なも | |
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のであって、それはわれわれが工業社会においてもっとも大切にしているようなほとんどすべての基本的な価値を含みます。いうまでもないことですが、これはー夜にしてなされるものではありません。『成長の限界』も『生存のための靑写真』も、多くの注目を集めました。これらはおよそ一五力国語に翻訳されました。多くの学校や大学では、これらはすでに標準的なテキストとしてもちいられています。マンスホルトGa naar eind〔註2〕氏は、たとえばオランダ政府はこれらニつの報告から非常に多くの影響を受けたと私に語りました。二ュージーランドにはヴァリュー·パーティ (価値党) と呼ばれる新しい政党ができていますが、この党は『ニュージーランドのための青写真』 (Blueprint for New zealand) という文身を採用しました。これは、基本的には『生存のための青写真』をニュージーランドの必要にあわせて办き変えたものです。私はこれらニつの記録が貢献をなしたと思いますが、今いったように、人は価値観を一夜にして変えるものではありません。
先進諸国の現在の拡大は第三世界の供牲において生じているとお考えですか。 疑いもなくそうです。経済成長は、西欧であれその他どの地域であれ、第三世界をだまして食料や原材料を、概していえば無益な工業製品と交換に提供させるようにすることによってのみ、可能なのです。イギリスは毎年ー、七〇〇万トンの高蛋白澳縮飼料を買人れて牛に食わせています。その買人れ先といえば、ひどい栄養不足のためにこの蛋白を必要としているような諸国なのです。同時に第三世界自身も経済成長というぜいたくにふけることによってのみ自国の諸問題を解決できるのだと、だ まされて信じ込まされています。
しかし、インドに病院を建てるには、インド人は、その费用を賄うための経済成長を必要とするのではな いですか。
新しい病院はインドの問題と無関係です。インドは病院の欠如に悩んでいるのではなくて、人口と食料供給との間のますます広がるギャッブやその他無数の社会的·物質的問題に悩んでいるのです。これらの問題はすでに生じた経済成長の直接の結果として現在おこっている大規模の都市化が原因なのです。
そのギャップは本当に拡がっているのでしょうか。 | |
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間違いなくそうです。すでに五億を越えているィンドの人口は、飢蹄、戦争あるいは疫病によって阻止されない限り、今世紀末までにさらに二倍になるでしよう。確かなことは、現在の避圯制限計画によっては止められないということです。経口避妊薬や子宮内避妊リング (IUD) などの技術的な方法が人口水準の減少に著しい効果を及ぼすという証拠はまったくありません。アメリカでは出生率の減少が見られましたが、これはだいたいにおいて人々の態度の変化によるものです。食料の増産に関していえば、農業の工業化は一つの解決ではありますが、それが有効なのはごく短期間のことでしよう。それも著しく大きな社会的および生態学的な代価を払ってのことでしよう。ノーマン·ポーローグは交配種毅物に関する重要な業紐に対してノーぺル平和双を与えられた人で、緑 の革命の父ともみなされていますが、その彼でさえ、自分がなしたことといえば飢餓を一〇年からニ〇年延期しただけだ、といっています。私の思うには、人間は自分が思うほど発明の才に笛んでおらず、また人間の某本的な諸問題は科学•技術および産業によっては解決できないのだ、とぃぅぁまり愉快でなぃ亊実に逬面せざるを得ないのです。 多分、人間は高望みしすぎているのでは......
いやいや、これは高望みしすぎているかどぅかの問題ではありません。間違った方向を望むことが問題なのです。産業社会は物質的な天国を達成するょぅに作られています。そして、この天国では、われわれがこの地球に住み始めて以来、悩みの種だったと考えられている諸恶-例えば重労働、失業、贫困、病気、飢餓-等がすベて取り除かれたはずだとされています。この天闽の逹成は進歩であると考えられていますが、この進歩たるや、甚本的には、自然の正常な進行に代えるに人工の代用物をもっ てすることにあるのです。すなわちマックス·ニコルソンGa naar eind〔註3〕の言葉を借りれば「パィオスフェア (生物圈) 」に代えるに「テクノスフュァ (技術圏) 」をもってするのです。不幸にして、テクノスフュアは自然の搮準からすれば非常に粗雑なものです。それはパィ才スフェァょりもはるかに多くの資源を必要とし、したがってはるかに多くの旖棄物を産み出します。それはまた、自己制御的ではなくて人間にょってコントロールされていますが、そのことは、それが非常にもろくて不安定だといぅことを窓味します。われわれが作り出した人 | |
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エ物、殺虫剤や人造肥料はまた、自然が同じ目的を逹成するために用いる制御手段にくらべてはるかに単純なしろものです。そのため、それらは自然物に比べてより不安定です。安定性を保証するものは複雑性であるからです。パィォスフュアのさまざまな諸部分は全体としての安定性に向かう傾向をもっていますが、テクノスフェアは、長期的な諸結果を無視した人間のちっぽけな短期的必要を满たすために設計されています。これらすベての理山により、われわれが進歩と呼ぶところの代替過 程はわれわれの住んでいる世界の系統的な劣悪化をもたざるを得ないのです。
ヤン·ティンべルヘンGa naar eind〔註4〕は、『生存のための青写真』はあまりにもユートピア的だと感じているようで すが。
恐らく、彼がいいたいのは、提案されている変化が今日の政治家たちによって灾施されることはない、ということではないでしょうか。すなわちそれらは政治的に実行不可能なのです。これはまったく正しい。しかし私自身はそのことをべつに欠点だとは考えてはいません。純枠に戦術的な観点を別にすればの話ですがね。エコスフュァ (生態圏) はひとつの巨大な机織です。すべての組織と同様、それは階届的に構成されており、各階爝における行動はそれぞれちがった制約のもとにおかれています。これらの制約は累加的な性質のものです。例えば有機体は、あらゆる種類の生物学的制約に従わなければなりませんが、それ以前にまず化学的および物理的な制約にも従わなければならないのです。また、生物学的な制約を無視するような社会は、いかなるものであれ存続できないでしよう。例えば食べたり飲んだりすることに対して死刑を課す るような社会は、存統できないでしよう。あの有名なァメリヵの霣教徒が犯した誤りもそれです。彼らは絶滅する運命にありました。性交を禁止したからです。同様に、もしも政治家たちが、生物学的、化学的および物理的な法則を公然と無視するような社会を人々におしつけたならば、そんな社会はそんなに長続きしようがないでしよう。それは籌救の埸合と同じことです。ところが、これこそまさにわれわれが今日陥っている状況なんです。生態学的に必要なことが政治的にうけ容れられないとす れば、変えなければならないのは政治的な受容可能性の規準の方であって、その反対ではない のです。 | |
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われわれは、実際、いま戦争状態にあるのであつて、第二次大戦の場合と同じように科学者の新兵を募集しなければならないのだとジョン·R·ブラツトGa naar eind〔註5〕がいつています。
われわれが今一九四〇年のそれよりもはるかに大きな非常事態に直面しているというのは本当です。もし最悪の災厄を避けようと思うならば、われわれは現状を非常亊態として取り扱わなければなりません。しかしながら、これは単に非常事態を理由として科学者を募集するといつた問題にとどまることではありません。私は、科学がこの問題の解決に必要なものをすべて提供しうるとは思いません。われわれが求めているものは新しい発明ではないのです。結局のところ、もしあなたが魔法の杖を 与えられ、熱力学の法則のような某本的な法則を犯さないかぎり、どんな新しい仕掛でも呪文で呼びだすことができると告げられたとしたら、いつたいどんな仕掛をあなたは欲しいと思いますか。現在の諸問題を解くような人ェ物は存在しないのです。科学者たちは汚染の水準の調整を求められているのだ、という議論があるかも知れませんが、これはまったくの幻想です。われわれの環境にある五〇万におよぶ汚染物質と毎年新しく現われる三、〇〇〇の汚染物質を追跡して、地球上に住む無数の生 命形態に対してそれらの物質のさまざまな組合せが及ぼす影裨を調べることは、われわれの能力をはるかに越えています。地球がそのための実験に必要なハッヵネズミの重量に耐えられるとは思われません。いずれにせよ、必要なのは、この地球上の生命の破壊状況に関して、よりよい証拠を提供することではない。この過程をくい止めるための行動が必要なのです。ロパー卜·アレ ンGa naar eind〔註6〕は、「飛行機から飛び下りるときには、高度計よりもパラシュート·かあつた方がずつとましだ」といつています。
パリー·コモナーGa naar eind〔註7〕が、『生存のための靑写真』はファシズムへの後退だ、必要とされる変化をいった いだれが統制するのか、といっていますが。
概していえば社会の不安定性と緊張が坩せば、独裁化の傾向も強まるものです。『生存のための靑写真』は、人間が稀として次の世紀を生きぬくためには、何らかの形で実施しなければならないよぅな生活様式への移行を保証しよぅとして畨かれた本です。その目的は、社会の不安定性と緊張を、われわれがこれから経ていくであろ | |
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うきわめて困難な時期において、可能なぎりぎりの敢小限まで減少させることです。パリー·コモナーは無貴任ですが、それはべつに驚くべきことではありません。彼は一般に、自分がその時々に語っている多くのことについて無貴任だからです。彼のお気に入りのテーマは、例えば、世界は人口過剰ではなく、人口制限措置は正当化できないというものです。これは、アジアの人口の一大部分が飢えの脅威を感じている、しかも十年後という話ではなく现在ただ今そうだという時点でのことばと しては、特に奇怪です。例えば、ニ五万人のィンド人がニ遇間前に旱魃のために餓死したと伝えられています。パリー·コモナーは、これ以上の人口増加を止める唯一の方法は、工業化されていない国々の発展を許して西洋なみの生活水準を達成するようにすることだと述べています。その理由というのは、工業化された国々では人口の增加率が減少したからだということです。パリー·コモナーは、地球上の資源は限られており、また廃棄物の吸収容量はさらにいっそう限定されているために、「西 洋なみの生活水準」を全世界で逹成することがまるで不可能なことを、完全に承知しているのですが。しかも、もしかりにそれが成功したとしても、出生率が下降するという保証は何もないのです。なぜならそれは主として文化的に決まるものであり、アジアおよびアフリカ諸国の文化が工業化の影饗をどのような形で受けるかはだれも知らないからです。パリー·コモナーは、可能な敢良の情報にもとづいて根本から間違った結論に連するという驚くベき才能をもっています。
ジェィ·W·フォレス夕ーGa naar eind〔註8〕は、今アメリカのモデルを完成しようとしています。あなたはィギリスのコンビュー夕·モデルを設計中ですね。MITとは協働されていますか。
いいえ。私どもはモデルの中に社会的諸要因を入れようとしているのですが、これをやり始めたとたんにありとあらゆる反対論がわきおこります。今私どもが作っている研究チームは、過去三年間にわたって協働してきたおかげでかなり似たような考え方ができるようになり、この種のプロジ·クトについては高度の協働を逹成することができます。
これまで歴史上に現われた科半者の九〇パーセントが今日生きています。科半者閗のコミュニケーション | |
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についてのあなたのご意見は?
まるでなってない。これまで参加したどの学会でもそうでした。その基本的な理由は、科学者たちが一般的な諸原理について合意しないからです。彼らの多くは一般的諸原理について考えたこともありません。彼らの使う多くの用語は定義さえされていません。彼らのあるものは、定義は必要でないとさえいいきります。人々は経済とか、生活、行動、意識、心なんかについて調子よくしゃべってはいますが、実際にはこれらの言葉が何を意味するかを知らないのです。正しい一般的諸原理をもつま では、用語の統一は不可能ですね。科学が用語の統一を必要としていることは明らかですけれども。科学が水も漏らさぬ仕切りで小部屋に区切られているのはまったくこっけいなことです。われわれが理解しようとしている世界の方は決してそんなふうには仕切られていないのに。この世界は单一の過程として発展したのであり、それは緊密につながり合った猪部分からなりたっています。それはただ統一的な用語によつてのみ記述すること ができます。 いいかえれば、科学者たちが互いに理解し合えないのは、他の学問分野の人々のいっていることがわから ないからだというわけですね。
彼らが仕切りのむこう側で進行していること-他の字問分野の主題-を理解できないのは、それについてまったく無知なためです。しかし同時に、彼らは自分自身の小さな区画の内部で行なわれていることすらも知らないのです。というのはそれ自体は、実は他の区画で行なわれていることから絶えず影響を受けているからです。
人類学者たちによって観察された小さな自己制御的な共同体にあっては、個人主義の主張はみられません。社会の利益のためにはある種の個人主義的な志向は抑圧されるかあるいは変形される、必要があるかもしれません。今日の超消費社会を、一人あるいは二人の子供、ー台の自動車あるいは自動車がまったくない状態、あるいは自転車時代に、どうしたら逆戻りさせられるのか、だれも知らないのです。ものごとが変化す るには、まず初めに災厄を必要とするのでしょうか。
あなたは、灾際は二つの質問をされています。その第 | |
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一は個人主義の問題です。ョーロッパの小さな村落に住んでごらんになるとわかるでしようが、世論は大都市におけるよりずっと強力です。したがって、あなたの行動については制約がありますが、この制約は世論によって課せられるのであって、そのぶん個人主義が減少しているのです。なぜ個人主義がそんなに大切なのでしようか。わたしにはわかりません。創造的だというのでしようか。しかし、いったいどんなものをわれわれが创造しているのでしようか。ご存じのように未開社会の美術 様式や音楽はきわめてエレガントです。たしかに未開社会はべートーベンやモーツアルトをもってはいないかも知れませんが、その代わりに彼らはヒットラーやムッソリーニももっていません。得るものがあれば失うものもあり、もとのもくあ みGa naar margenoot+なんですな。座業社会の基本原理のーつは消费者主権です。人々がものを欲しがる-欲しがるものが手に人るようにすべきだ。そういう原理。この原理は徹底的に排擊すべきです。欲しいものをすべて手に入れるなんてことは、そもそも不可能です。どうにも手に入れようのないものだってあるわけですからね。この点を理解するために、はたして災厄が必要なのでしようか。ほんとうに急な変化をおこさせるためにはたぶん必要なんでしょう。今ロの社会にはそのあらゆる水準-政 府、実業人、労働組合、個人自身-にとてつもなく大きな惰性が組み込まれていますから。しかし他方では、人々の態度は急速に変化しています。特に産萊化 された諸囯の若者の間ではそうです。
マスメディ7にできることは? ジャーナリズムや テレビジョンには変化を促進する力があると思われま すか。
優先順位の問題ですね。ほとんどの新聞はまったくのビジネスです。彼らは、読者もしくは広告利益がふやせそうだと見た限りでしか、ものを刊行しません。もっとも、新聞にょっては、もっぱら政治問題ばかり取り上げるのもあります。いいかえれば、使命感で動いている。使命感で動く新聞がふえること自体は悪くないですね。ただし、その稱の新聞は、現在人々をいろいろちがった政党に分かれさせている争点というものは、地球上の人類の未来に関してはまったく無意味なものだ、というこ とを理解すべきです。われわれの政治家たちは、地下室に時限播弹が仕掛けてあるというのにチョコレートの奪い合いをしている子供みたいなものです。まず第一にこ | |
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の爆弾を取り除かなければならない。つまり、生態学的な問題を取り上げなければならない。これこそが今日重要な唯一の問題なのです。
人々を説得するための技術としてはどんなものがあリえましようか。
人間は政治が好きです。政治はいつでもニュースのたねになります。だから生態学的運動も政治的な遝動にしなければなりません。そうすればずっと多くの注目を集めることができましよう。すでにニュージーランドではそれがおこっている。さつき中し上げたとおりです。フランスの目下の選挙では、ァルザス州から環境間題でうって出た候補者がいます。同じようなことは、イギリスでもごく近い将来におこるでしょう。それはほぼ確実です。 |
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