Seicho no genkai o meguru sekai chishikijin 71-nin no shogen
(1973)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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5 アーノルド.トインビー英国の歴史家アーノルド.J.トインビー (Arnold J. Toynbee) は一八八九年ロンドンに生まれた。ウインチェスター校ならびにベイリアル.カレジ (オックスフオード大学最古のカレジ) に学んで、オックスフォード大学を卒業。 第一次大戦中は外務省政治情報部に参加。一九一九年から一九二四年まで、ロンドン大学で文学と歴史を教える。一九二五年から一九五五年に公式に退官するまで、王立国際事情研究所長ならびにロンドン大学国際史研究教授。『中国への旅』は一九三一年に出版された。『世界と西欧』 (一九五五年) 『西半球の経済』 (一九六二年) 『人間と死』 (一九六八年) 『経験』 (一九六久年) などは最も有名な著作である。
月着陸はむだな金を使ったものだと思ぅ。まあ役に立ったとすれば、それは単に実用上、人類や他のあらゆる形の生物の生息環境-テイヤール.ド.シャルダン (一八八一ー一九五五)Ga naar eind〔註1〕の言葉でいえば「生物圈」だな-というものは一つの惑星の表面をとりまく薄い、空気の外包と、土と水とにすぎないということで、そこに、たまたま私どもが生存しておるわけだ。ひどく限られたものさ。そこにあるものも限られておる。だから人類の数や入類の富が永久に限りなく成長するなんてことは不可能だ。そういうことは人類がねがってもだめなのだ。 人間というものはすべて貪欲なものだが、西欧の少数者は貪欲を神塱視して、それを意図的に目的化した。こハういうことが始まったのはアメリカ大陸の発見されたときで、これが西欧諸民族に偽りの印象を与えた。無限の空間と富があって、それは西欧入の意のままに使えるものだという印象であった。次には十八世紀末に蒸気力の発明から產業の機械化が始まり、これがまた無限な生產源を開発したという印象を与えた。現代においては人類 | |
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の活動の機械化はとんでもない極端に達したが、今になって急に私ども、この生物圏が有限であり、物質的拡張に対し絶対に超えがたい限界のあることを悟ったわけだ。こうした限界には、增加した技術力や人口増加により、近い将来ぶつかるわけだ。この単純明快な事実を人類が認めるかぎり、『成長の限界』は人生の目的.理念に対する私どもの態度に革命的な影響を与えるはずである。これは、この五百年間の人類の歴史において、西欧入の態度.目的を逆にしたものであるから、大いに苦痛で あり、困難なことである。いっぼう多数者である非西欧人は西欧を羨んでそれを模倣してきた。こういう人たちに、発展しようとする努力をやめろというのはたいへんな困難だろう。とりわけ、もっとも貧困で技術的にもっとも遅れた民族こそ人口増加がもっとも早く、生産增加に迫られている度合いももっとも大きいのだから。私の見るかぎり、問題は「破局にぶち当たる前に人類が全体として、その態度.目的を逆にすることができるか」ということだな。 『成長の限界』はたいへん有益な本だ。私のような数学的素質のないものにも必要な数学的情報を巧妙に提示してくれる。ふつうの人にもわかるんだな、こういうデータならば。事実を理解するためには事実の数学的表現というものを欠かせない。この本が広く読まれて、真剣に受け入れられ、それにもとづいた実行がなされるとょい と思う。
しかしMITレポートはテクノロジーの指数的成長を見逃していないでしょうか。
テグノロジーというものはいろいろな異なる目的に使われ得る。現在それは主として二つの相反する目的に使われておる。戦時の破壊と物質的富の最大限の生產だ。戦争を廃止し、まったく富の生產にのみ集中するとなれば、テクノロジーの指数的成長はある期間にわたって破局を遅らせるかと思う。その期間を測定することは私にはできない。ただし遅らせるというだけの話だろう。遅かれ早かれ、こうした限界に到逹することは必定だ。
マーガレット.ミード博士は私に「いま新しいビジョンが必要なんだが、そのビジョンが何であるかを知らない」という意味のことをいわれましたが......。
古いビジョンがあると思うね。もっとも人類の年令にくらべればたいして古くもないが。偉大な宗教の創始者 | |
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のビジョンを考えているんだが、つまり-年代順に名をあげれば-ィンドの仏陀、中国の老子、バレスチナのィエス、それから西欧人が一人、アッシジの聖フランシスだ。西欧人はただ一人!だが聖フランシスは西欧人であるという理由で私どもにとっては非常に面要だ。私どもが注目して学ばなければならない典型である。 こうした宗教創始者たちは何が宇宙の性質であるかとか、精神生活の性質とか、究極的精神的現実の本質とか、そういう問題では意見が食い違っておる。だが倫理的な教えにおいてはすべて一致した。すべてが、物質的富を追求することは問違っておるという点で一致したのだ。私どもは生活をつづけるための最低限の富を得ようとすべきであり、私どもの主目的は精神的なものでなければならぬというのだ。いずれも声を一にしていわれたことは物質的富を至上目的としたならば災いにいたるとい うこと。いずれもみな無私ということ、他人を愛することをもって幸福の鍵、人間関係における成功の鍵だと説いた。いずれも個人としては物質的富、物質的權力を棄てた。仏陀は小さな王国の王子であったが、それを自らの意志によって棄てた。そうせざるを得なかったわけでないのに棄てた。聖フランシスは西欧初期に成功したビジネスマンの息子だった。フランシスの父は織物の卸し商人だ。
アウレリオ.ベッチェィGa naar eind〔註2〕の元祖みたいなものですか。
さょう、職業的成功においてはね。だが洞察力においては違ったわけだ。で、聖フランシスの父はフランシスに仕事をゆずり、家の商売をついでもらい、商売のさいはいをふるってもらおうとした。聖フランシスは拒絶した。その代わりに貧乏を選んだ。私ども聖フランシスの同胞たる西欧人は不幸にも聖フランシスを口先だけは敬ってきたし、聖人さまと崇めてきた。たしかに彼は聖人なのだが、じっさいに私どもがまねた相手は聖フランシスではなくて、父親のピエトロ.ベルナルドーネであった 。フランシスコ.ベルナルドーネではなかった。ピエトロは現代西欧ビジネスマンの成功者の原型だな。たとえばぺッチュィ博士の原型だ。ただしアゥレリオ.ベッチェィには異なる理想がある。大いに異なる理想がある。現在私どもが行なわなければならない、行なおうとしなければならないのは精神的革命である。これは別段新しいというわけのことではない。それはアッシジの聖 | |
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フランシスのビジョンであつたし、ィエスのビジョンであったし、仏陀の、老子のビジョンであった。ご存知だろうが、いまいった老子哲学というものは最低限の物質的富の開発と最大限の精神生活の開発に信をおいたのだ。 老子一派は孔子一派と対極をなしておる。孔子一派はかなり物質的な考え方をしたのだから。自我の否定、物質的富の拒絶を説いた人たちは私どもの助言者としてもっとも実際的であろうと私は思う。なぜというに彼らの生き方を学ぶことによって、きみも私も、この生物圈が生存可能であるかぎりここで生きつづけることができるわけだから。この生物圈の資源を使いつくしたり汚染したりしてはいけない。聖フランシスの父の助言に従えば、私どもは生物圈を破壊し、みずからを破壊し、みずか らが亡びるとともに私どもに依存している他のあらゆる形の生物を破壊することになる。
今日、一九七二年の子どもたちは-、二〇〇〇年が近づいているわけですが-、どのような可能性をもっているとお思いですか。
私は曾孫 女Ga naar margenoot+が二人いて、この二人が私の年令まで生きれば-私はいま八十三歲だが-二〇五〇年に生きていることになる。ねえ、きみにも私にも二〇五〇年に世界がどんなふうになるか想像もつかぬわけで、生んでいいかとも訊かれないでこの世に生まれてしまった二人の小さい子どものことが気になるのだよ。この子たちの両親にだって、きみや私と同様、どんな世界がこの子たちの将来に待っているのかわからない。私たちにゥカゥカしている時間はないんだと思う。私の子の世代、私の孫の世代、 私の曾孫の世代、こういう世代の人たちは迅速に、ただちに、待つことなしに、人生の目的を変えねばならぬ、遠い先を考えねばならぬ、仏陀やィエスや聖フランシスや老子がみな説いたような私心のない考え方をしなければならぬ、と私はそう思う。次の二百億年をどうするかという考え方、人類の生存をいかに保つかという考え方だ。これは私どもにははなはだむずかしい。直接の利益を考えず、もっと遠い将来を先に考えるということ。しかし、少なくとも、私どもがこの世に生んだ子どもたち のことを中心にして考えるということはできる。彼らに対して私どもは贞任を感じるわけだから、私の曾孫のように二〇五〇年に生きている子孫のことを中心に考えるならば、私どもにも直ちに大いに異なる目的を追う | |
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ことができるはずだし、現在とは大いに異なる措置をとることができるはずだ。私どもには極度の苦痛と困難だろうが、不可能なはずはない。これはほんとに一種の改宗だ、マーガレット.ミードがいうょうな意味で。
トインビー博士はスキナーの『自由と尊厳』の論をご存知でしょうか。人間は環境によゥてブログラムされるという論です。
うむ。読みました。尊敬の念をもって読んだ。有能な人だ。だが私と意見は合わぬ。なるほど環境というものは巨大な影響を与えるものだと思います。たしか初期ィエズス会の神父がいった言葉に「生まれて七年以内の子どもを私にまかせるなら、私はその子の一生をきめてしまうだろう」というのがある。しかしそうやって条件づけられた子どもが条件づけを断ち切ることも可能だ。人間は意識がある、自己意識がある、ある種の選択力をもっている、ある程度の自由をもっている。こういう自由 意志というものに閧してはベラギゥスGa naar eind〔註3〕や聖アヴグスティヌスの時代から論争がつづいているわけで、私自身は、人間は部分的には決定されているけれども、また部分的には自由意志をもつと信じている。というわけだから、私はスキナーに同意しない。スキナーというのは過激派じやないかね。 ヒンズー教でいうカルマ ( 業)Ga naar margenoot+という教義をご存知だろう。カルマというのはサンスクリット語だろう。文字どおりの意味は「行為」だ。カルマの術語的な意味は、われわれの過去の善悪にわたる行為の累積された結果で、それは一生のあいだのことでもよし、輪廻を信じるなら何世にもわたる生命を考えてもよい。このカルマの教義に従えば、人問というのは倫理的な貸借勘定であって、いつでも貸方の欄か借方の欄に追加記入をつづけているわけだ。赤字を出すこともあるし、黒字のこともある。しかし終わってしま うことはない。私は、スキナーの論よりも、このほうがずっと真理に近いと思う。私どもはカルマの遺產によって条件づけられておる。大きな条件づけである。生まれて来るとき、私どもは完全に、自由な行動主体ではない。しかし部分的には自由である。私どもは自分のカルマを変えることができる。ある程度まで悪くすることもできるし、よくすることもできる。ここが大事なところだ-ある程度まで私どものカルマを変える自由があるということ。 | |
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しかし先生、先生のお考えになる地球の舵をとるアレキサンドル大王と、七〇億の人類の個人の自由というものとをどう調和させたらよいのか、どう釣合わせたらよいのか、わからないのです。われわれはこの自由とわれわれ個人の成長を維持できるのですか。それとも、われわれはコンビュータ化されなけれはならないのですか。全世界を支配する了レキサンドル大王の操り人形と化さなけれはならないんですか。
すべて創造的なもの、人生におけるすべてのよいものは個人の自由、個人の行動、自由行為から生まれると思う。あらゆる悪いものもまたそこから生まれる。それは、これがエネルギーの源であって、善悪にかかわらない、からだ。すでにいったように人類の協力ということは人生における敢大の難事だと思う。テクノロジーは容易である。芸術的な仕事をなしとげるのは容易である。よき目的のために社会的な協力をすることは大いなる困難である。それだから思うのに、過去にしょっちゅうあっ たことだが、何か激烈な社会変化がごく短期間に遂行されねばならぬとか、他の道は最悪の災いになるという分かれ逍に来たとき、この二つの悪のいずれを選択するかという問題になる。災害に会うか、もしくは、しばらくー锺の独裁下におかれるか、という選択だ。 ローマ人はたいへん興味あるシステムをもっていた。普通選挙にょる諸行政長官の制度で、これらの諸長官が一時的に一人の独裁者を任命したり、やめさせたりした。独裁者が危機を処理してしまうと、処理がすみしだい退いて、諸行政長官が戻ることになる。ところで私はこんなのが好きだというのでは決してない。全体として民主的な方法で必要な成果をあげるほうがょいと思うんだが、その時間がないということも考えられる。となれば一時的な独裁が必要かもしれぬ。これは極度に危険なこ とだ。なぜというに問題は「ほんとうに一時的なのか ?」ということなのだから。 ユリウス.カエサルとアウグストウス帝は危機を処理するために独裁を一時的に行なうと称したが、その独栽権力を彼らの後継者は捨てなかった。そういう危険がある。しかし人生すベて悪のなかでどれを選ぶかということになってしまう。こちらのほうが悪の程度が少ないということだな。戦争をやめるため、汚染を処理するため、何らかの、最低限の世界政府というものが絶対に必要だと私は感じている。理由は簡単だ。理屈からいえば | |
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世界はおよそ一四〇の別々の領国に分かれている。空気と水は、そのほうぼうが汚れて来たわけだが、空気も水も理屈からいえば分かれているが、しかし海だの空だのをほんとに各国ばらばらに分けるわけにはいかぬ。その汚染を防ぐためには何か実質的には世界政府のようなものが全地球、全世界的な措置を講じなければならぬ。もしそれが独裁的だというなら、私の考えでは、これは、万物を破壊してしまうような悪にくらべて悪の度が軽いというのだ。一時的に独裁になるかもしれぬ。それは 悪である。だが少なくとも人類は生き残る。命があるかぎり望みもある。ニ千年も待てば、そんな独裁を除去することもできよう。だが自分たちを滅ぼしたのちには、さよう、何も残っておりはしない。
曾孫Ga naar margenoot+さんのことをお考えになるとき、教育が人間環境の大きな変化に十分応えていると感じられますか。
残念ながら情報量や知識の可能性の激増に対する現代の応じ方というものは専門化であった。宇宙の知識を分けて、区画づくりすることであった。生物圈を分けて各領国にしたのと似ている。現在の教育はあまりに専門化しすぎている。どうもィギリスは他のどの国よりもこれが進んでいるようだ。合衆国以上だな。合衆国では、たいがいの大学の一年で、フレッシュマン.コースで、広範囲の勉強を強制される。ところが、知識の区分化というものは教育に向かぬ。人間が生きて行く目的には向かぬ 。私どもが向かって行く世界において人命を救うのには適さぬ。そういう目的のためには現灾を包括的に広く見なければならぬからだ。ご存知のように私は歴史家仲間からずいぶん批判されてきた。単なる専門家であることを拒否し、一般家であろうと努めているからだ。私は真の歴史家じやない、アマチュアだというのだ。
そこのところが正にアウレリオ.ベッチェィの主張です。「必要なのは一般家だ」というのです。この点をカ說しています。
うむ。困ったことにいま教育の普通の形、伝統的な形というものは専鬥化だ。一般化はアマチュアにまかされている。山師にまかされることもある。必要なのは最高の入物に一般家になつてもらうこと。フランスにはよい伝統があるようだね。それをフランス人は皮肉めかしてoeuvres de vulgarisation(通俗化の仕事) といつている。 | |
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最高のフランスの学者がその最善を、この、いわゆる「通俗化の仕事」に打ち込んでいる。たとえばルナン。彼の最高の仕事のなかには今日の専門家の目から見れば、ほんとうにマジメな研究などとはいえそうもないようなものがある。それがほんとうにマジメな研究なのだ。それこそふつうの入に対する教育のエッセンスなのだ。私どもが考慮すべき大衆とは専門化されない知的大衆である。彼らこそ世界を動かすことができる。世界を変えることができる。こうした人たちが、人文関係にせよ、 科学関係にせよ、専門化過程の中途な教育を強いられてはいけない。包括的な教育-あるがままの宇宙を理解する教育-その中に私どもが生きなければならぬ宇宙を知る教育-これを受けることが可能になるべきなのだ。
『成長の限界』とそのショック効果はこのさい有益だと思われますか。いまが何かをしなけれはならない時なのですから。マーガレット.ミードの『文化と投企』の最後の文ではありませんが「未来とは今である」のですから。
うむ。そいつはじつにいい-「未来とは今である」。ショッグ効来を受ける人は主に合衆国の中年の世代だろう。一九二九年と三〇年代初期の経済的スランプに生き残り、経済成功と物質的成功を大事に思い、その子どもたちにそむかれている人々だ。そういう親たちにとって、これはたいへんなことだ。親は子どもを贅沢に育て、子どもは、贅沢なんか放棄する。それは聖フランシスが父の富を放棄したのと似ていなくもない。ショック効果はそういう親たちにもっとも響く。だが、ヒッピーにはシ ョック効果はあまりないだろう。聖フランシスもヒッビーだったのだょ。父親は息子がある年令になって貧乏を選ぶといったとき反対したが、それに対して聖フランシスは着ていたものをぬいで裸になってみせた。これはヒッビーのジェスチャーだ。着ていた贅沢な服を父親の顔に投げつけた。その埸にいた司祭が聖フランシスの手をとって司祭服のマントの下に入れた。この司祭の行動は見事だ。なぜならフランシスの父親はこの司祭の教区でじつにたいせつな人なのに、その父親に司祭が挑戦した わけなのだから。これは司祭がたいへん勇敢であったわけで、大いにほめるべきことだ。だが私のいいたいのは、聖フランシスの出発点はヒッビーであったけれども、ヒッピーに終わらなかつた、ということだ。やがては | |
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修行して、たいへん建設的なことをやったわけだ。いや、彼はオーガナィザーでもなし、管理者でもない、そのことを自分でも知っていたから、急に彼の新救団が有名になると、その首長であることをやめてしまつた。普通の修行僧として別な修行僧の教育を受けた。この僧はたいへんャヵマシィ人で、エリアスというのだが、この人がじっさいには教団をつくった。この人は管理者であり、その才をもゥていた。聖フランシスにはこの才がなく、才のないことを自分でも知つていた。フランシスは 自分個入の救済ということ、キリストのまねびということを心がけたわけで、似ているんだね、十五世紀のオランダ人『キリストのまねび』の著者に......。
トマス.ア.ケンビスですね。ヒッビーや麻薬の運動というものはぜんたい一種の「種フランシスの精神に帰れ」という気持ちの先がけでしょうか。利益をあげるだけのための生産性向上に向かうキチガィ競争はやめようという。
利益をあげるだけのための、ね。そう、これは排除しなければならぬ。 しかしソ連でも同じ競争が発展しているようです。モスクワのホテルの給仕がほくのジーンズを買いたいというのです。
残念なことだ。私どもは目的を変えねばならぬ、私どもの理想を変えねばならぬ、というてよかろう。聖フランシスの父親をやめて聖フランシスに変わらねばならぬ。 |
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