書のなかで、ティンべルヘンが語っているように、世界をいくつかの地域にわけ、また資源やエ茱の将来について「人口倍増の世界」という見地から検討を加えている。ラテン.アメリヵのグルーブは、後進地域の立場から、成長の限界を見なおす作業を行っている。茅陽一東大助教授を主査とする日本のグルーブは、資源の限界についての個別的な検討、世界分布モデル、日本社会の価値体系等についての作業を行っている。
貧しい社会では、物的生産の增大は、福祉の向上に直接つながっている。食糧の増産によって空き腹をみたすことは人間の生存にとって、最低限必要なことである。しかし生産が增加し、経済が敗かになるにつれて、欲望は多样化し、物的な豊かさが必ずしも生活の質的向上とつながらなくなってくる。人々は環境の保全が、より大きな生產活動よりも価値があると唱えはじめる。
人々はまた、現代の先進国社会が、あまりにも資源や、エネルギーの浪費の上に成立っているのではないかとうたがいはじめている。使い捨てを奨励するかわりに、できるだけ長もちする商品を奨励することによって、資源、ェネルギー消費を節約し、廃品の発生率を引下げることも経済政策の課题となりつつある。
一方、成長の限界を心配するよりも、成長の可能性をたかめることがより重要だという意見も強い。自勤車や洗剤のように使利なものをより多くの人々が求めるのは当然のことであり、先進国の社会でも物的欲望がみたされない多数の人々が存在する以上、経済成長によってものの供給を豊かにすることが依然として現代社会のもっとも重要な課題だというのである。また経済成長があってこそ、汚染を減らし、環境を改善するための投資が可能となるのであって、成長がとまれば、環境はむしろ悪
化するだろう。また成長があって初めて、経済力の增加分を新しい社会的必要に向けて配分することが政治的に可能となるというのである。
一方開発途上国の人々は、世界の資源を消耗し、環境を悪化しているのは、主として先進工業国であり、貧しい国々の必要を先取りしていると非難している。成長の限界があるとすれば、それはまず先進国が考えることで、われわれは、まず経済成長によって貧困から脱却しなければならない。われわれが濁った水を飲み、ろくに栄養もとれないでいるのも、貧しいからであり、開発途上国にとっては貧困こそ最大の汚染であると論じている。一