Asu no chikyû sedai no tameni
(1975)–Willem Oltmans– Auteursrechtelijk beschermd
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39 河野洋平一九七四年にアメリカの雑誌「タィム」によつて、未来の世界の百五十人の指導者の一人に入れられた文部政務次官(当時)河野洋平氏は、一九三七東京に生まれ、早稻田大学、およびカリフォルニアのスタンフォード大学に学んだ。氏は自由民主党の衆議院議貝である。また、党の国会対策副委員長でもあり、過去しばらく教育問題に取り組んできた 。氏は一九七一年に田中內閣の文部政務次官に任命された。河野洋平氏の名前をあげて編者の注意を喚起したのは、一撟大学の学生丸山君とその友人連である。この 対談は、文部省で行なわれた。
人類の未来を研究するためのョーマ・クラブの総会が最近東京で開かれました。会貝逢は、世界が物質的な諸問題に直面しているのみならず、非常に重大な社会・政治的また心理的な諸問題にも直面しているといラ結論に連しました。科学者連は人閗の未来を离剣に考察していますが、この点での政治家の役割はどのようなものでしょうか。
ー人の政治家Ga naar margenoot+として、私どもは、経済成長や物質主義的な観点から、生活の質の方に焦点を移すような政策を発案し実施すべきである、と偁じています。これは、あまりにも長いこと政治家達の口約束にとどまってきました。経済進歩とそれに伴う都市化が、この新たな社会問題や環境問題の主たる原因となっています。こ れらの新しいニーズを满たすためには、政治過程がそれに適応しなければなりません。政治家の任務は、人々が安定した生活を地全な心で送ることのできるような基礎とな る立法措匠を講ずることによって、そのための物的条件を準備することにあります。現代社会は、人々の心理面にきわめて深刻な影#を及ぼしつつありますが、この点については未だに充分な注意が向けられていません。右に申し上げたような目標を逹成するためには、政治家は人々 | |
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の卢にもっと敏感になり、また環境の改善に寄与する新しい政策や措置を考慮する上でローマ・クヲブのようなグループが行なった発見にもっとすばやく反応する必要があります。 また、政策は人々の锛神面にまで立ち入ってはならないとは苜え、われわれとしては。とりわけこの国では、価値システムの変化を考慮に入れる必要があります。というのは今日ニつの価値観が併存しているからです。すなわち、ー方には伝統的な戦前の価値体系に基づく集団指向があり、他方戦後世代の間には西欧文化の影響を受けまた過去四半世紀にわたってわが国が取り入れてきたアメリヵ的教育制度に支配された結果みられるようになった個人主義的な価値観があります。若い人々は、より自立的になり個人 主義的になっています。それ自体としては、これはよいことだと思います。しかし同時に、彼等はますます「孤独な群衆」となりつつあり、そのため自分をそれと一体视できるような共同体を捜し求めているように思われます。それなしには、彼等はいかに自由になり物質的に#かになろうとも、幸福にはなれず心理 的な满足も得られないと思います。
それではあなたは、日本にみられる変化は過去に支配的であった集団指向から、よリ個人主義的な指向が人々の間にみられるようになった点にある、とおっしゃるわけですか。
ええまあ、私の言いたかったのは、人々は古いものと新しいものとの調和を無意識に捜し求めているようにみえる、つまり、日本の伝統的な価値観の持つ分別と近代的な思考様式の両者の利点を結びつけたような集団指向と個人指向との間の調和を捜し求めているようにみえる、ということです。そのことは必ずしも、人々が古い価値システムに復帰しようとしているとか西欧的な意味での個人主接に完全に適応したとかいうことを意味するものではありません。
しかし若い学生逢はどうでしょうか。私が一橘大学で会ったような。彼等は、この対談集の中にあなたも入ってもらってはどうかと私に首いました。日本の学 校にはいたるところブルー・ジーンズがみられます。しかし西欧化はどれほど深く進むものでしょうか。
もちろん、現時点では、あなたもおっしゃるように日 | |
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本の若者達は西欧化されているようにみられます。彼等は幸福そうで屈託もなさそうにみえ、自立の度合いも強くなったと感じているようにみえます。しかしながら、そ のことは、西欧化が彼等の思考様式や心理を根本的に変えてしまったことを示すものではありません。彼等の価 値観は、ョーロッパや西欧で一般的に考えられている意味での個人主義には、必ずしも根ざしてはいません。彼等の感情は、この急速に変化する社会の中で、いくぶん混乱してしまっています。彼等は物質的には馥かになり、教育水 準も上がりました。それなのに、彼等はますます生活に不安を抱くようになっています。そのことは、最近行なわれた日本の靑年と世界の他の国々の靑年との比較調査によって示されました。ある意味で、彼等はいわゆるアイデンティティの問題と格鬪しているのです。彼等は自己実現のために戦っている一方で、共同体意識を持ちたいと望んでいるように思います。彼等は、 友人や家族との連帯を高く評価します。それにもかかわらず、彼等が旧来の家族制度に帰りたいと思っている、 というのではありません。 現代の日本の若者連が、西欧の個人主我と伝統的な集団生活の知恵とを密かに調和さ せようと試みていると中し上げたのはそのためです。私に言わせればこれは人類の行なっている一大突験であり、われわれ自身にも、また他の国の人々にも、有意義 なものです。
中国の指導者連は資年の操縦に成功したように思われます。いや国をあげての洗脳とさえ言ってよいかもしれません。その例にならいたいと思っている人は誰もいないにしても、若者逢に対する何らかの形での指導性は、日本のような社会でも必要なように思われますが。
青年の政治教育の中で、政治的な操縦が用いられるべきだとは考えません。ドゴール大統領はかつて、政治過程に参加させることによって靑年逹を教育しようと試みました。私はこの種の方式に非常な尊敬を払います。しかし未来においては、ドゴール大統領の考えた参加による政治は、共同の計画を基礎とする政治に取ってかわられるだろうと私は倍じます。政治家逹と全国民それ自体とが、計画の作製や問題の解決や行動手統きの決定に関して、共同して働けるようなメカニズムをつくり出す必要があります。 | |
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アメリカやラテン・アメリカのようなところのような話をしておられるのですか。
そうです。政治発展の段階が違いますから、とられる手統きも当然変わってくるでしょう。どの国も自国のベ ースを他国に押しつけるべきではありません。しかしな がら、この棟の共通の努力を通じて国際的な協力を增進すべきだと思います。 わが国では、政治家と民衆とがもっとずっと密接に話し合い一緒に仕事をして行くことが絶対に必要です。政治家は人々の真の二ーズの把握に失敗しがちですが、他方民衆の方はもはや自分の問題の解決のために政治に頼ろうとしていません。この種の乖離は好ましくないものであって、克服されるべきです。真の政治家たるものは、先ず最初に、このょうな悪循環から脱却するためのきっかけをつくり、他方また民衆の方も、ょりょい未来社会をつくる上で政府と自発的に協力するょうな新たな積極的態度を発展さ せねばなりません。ロミュニヶーシ">ン、フィードバック、おょび相互作用といった手段にょって民衆と政治家との間のょり緊密なつながりを打ち建てることは、明日のための望ましぃ行動経路を見出す唯ーの方法でしょう。私は、それと同じような過程が国際的にも行なわれることを希、するものです。
あなたご自身、斩しい世代に属していらっしゃいますが、若者との間に親近感をお持ちですか。
はいもちろんです。未来の日本は若い男女に全面的に依存している、という考えをわれわれは共有していると思います。ですから、政治指導者にとっては、青年連が多様な選択の余地を持ち、自分自身の未来について決定を行なう充分な余地を残してやることが、それだけますます必要となってきます。われわれは、この国を政治や経済やその他国民生活に影響を及ぽすさまざまな分野で発展させようと努めてきました。遅かれ早かれわれわれの世代の時代は終わって、現在は学窓にある人々がそのかわりを務めるよ うになるでしょう。一方では彼等にとっての選択の余地を広く残してやる必耍がありますが、他方よりよい社会をつくりあげて行く上で自分自身の意思決定を行なえるように彼等の準備を整えてやることはわれわれの大きな责任です。ここでは教育の役割が非常に重要なものになってきます。しかしそのような教育はまだ行なわれていません。 | |
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若者違が自分で資任を持てるよう钏、するためには、もっと多数の若者を政府に入れてやる必要がある、とお考えですか。
はいそのとおりです。教育が大切だと言ったのは、教育制度の内部での知的な訓練と、その外部でのより実際的な教育との両方についてのことです。現在の教育システムは、外面的な思考を刺激することを目指した教育に重点を置き過ぎています。精神的な典かさや情操の涵養や職業向けの実際的な訓練などを目指した教育は、概して無視されています。私達は、若者が成熟して貴任のある大人になるように、教育しなければなりません。もちろん、そのためには正規の教育過程以外での教育がより重要になってきます 。政治教育もその中に入ります。この意味では、政治家のもう一つの課題は、若者が自分の意思決定を充分#任を持って行なえるように、若者を訓練することにあります。
日本は近隣のどの国に比べても、とてつもなく豊かです。しかし日本の企業家の行動はそれらの国々て批判され、お国の総理大臣でさえ、インドネシアを訪問した時は宮殿の前で事実上立往生してしまいました。
日本のィメージを改善するのは、若者の仕事であるように思われますが。
私はこの問題の深刻さに、実際ショックを受けました。東南アジアでの日本人のこの種の振舞いは、近視眼的なものにすぎず、長期的にはどちらの国にとってもきわめて有害であることを、われわれは認識しなければなりません。私の唯一の希望は、私達が、そのようなやり方を改め、発展途上国と誠意をもって充分協力して行けるようになるという意味で、この禍を転じて福になし得る、ということにあります。 また、教育は、若い学生達の間に国際的理解が養われるような形で、行なわれねばなりません。適切な教育さえなされれば、彼等はもっと進んで寅任を負うようになり、わが国の見識ある指導者となるでしょう。更に、私逹は国際的なコミュニヶーションと文化交流の促進を通 じて、他国の文化を尊敬し理解する必要があります。今日までのところ、わが国は種の種の国際理解のためのブログラムには、充分萸献していません。政府も民問も共 に、さまざまな交流プログラムを拡大し質的に改善すベきだと思います。 | |
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あらゆる分野での教育を改善するためにも、経済成長の持統が必要だとお考えですか。
わが国にみられたような急速で高率の経済成長は、教育プログラムの発展を阻害するニとを認めねばなりません。率直に申し上げるならば、わが国のとてつもない経済進歩は多くの点で教育の型をゆがめてきました。例えば、われわれ。か今ロ直面している教育上の争点の非常に多くは、経済成長がもたらした都市化によるものです。 その他、経済成長は教育投資の増大を必ずしも意味しませんでした。事実、かつては世界最大の部類に属したわが国の教育予算は、今ではGNPで言えば先進エ業国の中では、經濟の部類に属しています。これまでのところ、私達は、経済の必要に即した教育にあまりにも重点を置き過ぎてきました。経済成長の結果として、産菜はできる阪り多くの人々を底用しようと努めてきました。もちろん、教育を受けた人間、できれば大学教育を受けた人間を補充しようと試みてきたということです。しかし今や、教育を経済発展 ではなくて社会発展の決定的に重要な手段だとみなすべき時がきています。 個人的には、私は生涯教育が必要だと倍じています。生涯教育は、「脱産業社会」ではますます。要となってくるでしょう。持統した教育は、人々が自分の生活の質 を豊かにし、また国としては全面的な国民的能力を維持することを助け、それがまた間接的に経済発展をも利す るものである、と私は思います。
あなたは未来については楽観的ですか。
私は全体としての世界の未来については確かに楽観的な考え方をしています。人間の内なる知恵を信頼しているからです。そうでなければ私は政治家にはならなかったでしょう、人間がひとたびは失敗して、この全地球的な環境危機がつくられました。しかし今やわれわれは国際的な協力によってこの危機を克服せねばならないということを認識するに至りました。人類に共通する諸問題についての多数の国際的な合同研究計画や、解決を求めての行動計画が今日では存在しています。 とはいえ、私はデ二ス・ガボール〔本書第一卷対談17参照〕のように人間の完成可能性を佶ずるほどには楽観的ではありません。教育を繰り返し強調しなければならな いのはそのためです。教育によって、人間の知惠や分別を用いてこの世界をより住むに値するものとするための | |
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方法や手段を見出すことが可能となるのです。学校教育だけでは不充分です。若者達を教育してそのよぅな知恵を身につけさせるためには、家庭と学校と社会の三者の間でのよく調整のとれた教育計画が必要となります。私 が大きな期待をかけられるのは、教育の未来に対してだ けなのです。 (公文俊平) |
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