そうです。そのことが日本人にとって職場が非常に重要なものとなる理由の一つです。
数か月前(一九七三年九月)田中首相は、世界の青年と比較した日本の青年の意識調査を行なわせましたね。世界中の二万人の青少年に質問表が配られました。誰もが驚いたことに、その結果は日本の青年が群を抜いて、何と首いますか、一番シニカルで不満が多く現実主義的だったのですね。
例えば、「人間の本性は善か悪か」という質問に対して、他の国々では人間の本性は悪だと答えたものは二十バーセントにすぎませんでした。ところが日本では青年の三十三バーセントはその意見でした。日本の若者は人間の本性について、現実主義的なのでしょうかそれとも悲観的なのでしょうか。
それは存じません。問題は、私達日本人はそういう種類の思考には不惯れだということです。そんなふうな質問を準備なしにしたとしますと、突然に......
まちがった答が出てくる。
そのとおりです。私どもは、そういうふうな質問を単刀直入にぶっつけられることには不惯れなのです。そんなふうな深刻な質問に対して、ただちに自分を表現してみせたりはいたしません。
日本人を理解するにはどうすればよいのでしょうか。昔読んだところでは、外国人が日本語の辞書の中の全ての言葉を習得したとしても、それでもなおかつ日本人としての考え方を別途習得しなければならないのだそうです。
それはどんな言語にも当てはまります。しかしたぶん他のどの言語に対してよりも、日本語に対してよく当てはまるでしょう。私どもの文化は長期間にわたって非常に孤立した文化だったのですから。
ですが、ついさっきあなたが、日本人はそんなに深くものを考えないと言われたのはなぜですか。
それは全く私どもの習惯だと思います。日本人は感受性には富んでいますが哲学的ではありません。実際、歴史の中で重要な役割を演じた国々のほとんどは、有名な哲学者を生み出しました。しかし日本は傑出した哲学者を生み出したこともありません。日本人の性格は、その