で評価も定まっているのだから、亭実の歪曲、特にソ連の外交政策についての歪曲に避けられたはずだと思う。
歴史の記録を書き改めようとする試みには、どれも失望させられる。自分の業績を最新の政治的流行に合わせて、装い新たにしたいという願望から書き直しを試みたのだろうか。だが、現在の強硬な反ソ姿勢を最近の歴史に投影させたように見えるところがあまりにも多過ぎる。
- キッシソジャーは回想録で、自分自身を完全な成功物語の主人公として描いている。
A もっとも、著者を低く見せる目的で書かれる回想録などはありえない。問題は、キッシンジャーの場合、成功とは何だったのかということだ。私には、キッシンジャーが緊張緩和を実現したことについてまるで謝っているような印象をぬぐえない。こうしたキッシンジャーの態度から,この成功物語は、いかにソ連側をだまし、あやつり、アメリカのために一方的な利益を得たか、という視点から書いたものになっている。これが、何といってもキッシンジャーの仕事のやり口だとしたら、ソ米関係で
本当に価値のある成果は、何も得られなかったに違いない。
ヘンリー・キヅシソジャーが重要な成果をあげたことには疑問の余地がない。しかしそれはキッシァジャーの現実主義的傾向のおかげだし、相互に利益となる分野を感知し、つきとめ、そうしたお互いの利益の枠組みのなかで、双方に受け入れられる解決策を探し求あるという能力によるものだった。
私個人としては、一九七四年に「アメリカとソ連の間に建設的な関係がなければ、平和的な国際秩序はありえない」と言った政治家キッシソジャーのほうに、その数年後、回想録のなかで七〇年代前半に両国関係で遠成された成果の重要性を低く評価しようとした政治屋キッシソジャーよりも、深い感銘を受ける。
そしてもちろん、軍事力はもはや政治的影響力となることはないということ、「決定的な軍事優位