現われるとすれば、私はそれを非常に嫌恶することでしょち。
もうー度やってくるかもしれない危険があるのですか。
そうならないことを望みます。その意味では、日本人は幸いなことに独自の象敢を失いました。日本人は統合のための新しい型の象徴を捜し求めていると言ってもよいでしょう。
そのかわリにもっと小さな、例えば日航のような象徽が現われた。
いやとんでもない、あんなものは象徴と呼ぶにはあまりに皮相なものです。それよりももっとましな例は、全国いたるところにみられる国鉄のポスターの「ディス力 バー・ジャパン」といちキャッチフレーズだと思います。あるいはもっと些細な例としては。伝統的な活花や茶の湯の復活があります。若い女性達は、結婚する前にそれらを身につけたがっています。その他多くの伝統的な技術や工芸の再認識もあります。あるいはまた、われわれの民族衣裳であるキモノが再び人気を取り戻しつつあるという事実さえ、その例としてあげ
られます。
日本の中産階級は今や苷の上流階級のように振篱い 始めているということですか。
いいえ、そうは思いません。以上の話は階級溝造とは何の関係もありません。むしろそれは単に日本人が祖先から受け継いだものを再び受け容れつつあるという事実を示すにすぎません。
ー九七O年代のコミュニケーションの爆発的増大と共に、日本は国際化されると思いますか。
はい。とりわけ若い世代はそうなるでしょう、海外旅行の機会を持つ日本の若者の数が増えています。もっともこのグループは常に少数であり、直接には多数に影響を及ぼすことはないでしょうが。日本にやってくる外国人の数も增えるでしょう、全体として、日本人が外国の人々や文化に接触する機会が增えて行くでしょう。このような傾向はすでに始まっており、それはほとんどの日本人にとって全く新しい経験です。
それはそのような人々にとPていいことだとお思い