てあリませんか。もし食糧をますます多数の人々に供給することができなければ攻撃性が人々を支配しないでしょうか。
私は苦笑せざるを得ません。あなたは全く抽象的な架空のモデルを考えています。あなたは人々が食糧を手に入れる唯一の方法は闘争や戦争以外にないことを前提にしています。これは正しくありません。なぜ別のモデルを考えませんか。例えば家族のモデルです。もし六、七人の家族の場合、食糧が全く、ないしほとんど欠乏すればどうなりますか。
彼らは互いに相談するでしよう。
彼等はこの危機を打開するために各人ができることを話し合います。たぶん、一人は町へ行って金を借りるでしょう。彼等は畑を灌溉するための水をどうしたら手に入れることができるかを考えます。たぶん節約も考えるでしょう。家族全員に受け容れられることは全て考えるでしょう。あなたのモデルは一つの方法です。私のはもぅ一つの方法です。このニつのモデルは抽象的です。そこで質問します。どのモデルが現実的ですか。あるいは見通しとして、どれが効果的ですか。どのモデルが最上の結果をもたらすでしよう
か。
しかし歴史はその反対が正しいことを教えています。現実が希望を裹切らないでしょうか。あなたは人間とその知恵に深い信頼感を持っておられますね。
私はこれ以外に生きる道はないと思います。いったいこの信頼感をなくしたら、人間は生きることができるでしょうか。それは全てです。それ以外に方法は知りません。あなたがもし悲惨な選択しかないというあなたの主張を確信するならば、それは狂気、ノィ口ーゼ、自殺のたぐいのものしか生まないでしょう。悲観的考え方から人を殺してはならないのです。それは自殺的悲観論です。
ソ連の若者の、例えば心理学、精神病理学、行動科学などに対する興味は増大して、盛んになっていますか。
これにはニ点あります。これらの科学に関心を持つ若者は增加しています。数字で示すと、モスクヮ大学に約十四から十五の学部(単科大学)があります。私達の学部は非常に專門化しています。全ての精密科学にそれぞ